淡輪駅から徒歩5分で、説明板前(34.331936、135.175314)に着きました。
その後、西林寺鳥居前(34.332126、135.175718)に向かいました。
元久年間(1204年~1206年)頃、この地の地頭となった佐藤忠信の子小治郎重治が居住し、淡輪氏を名乗り淡輪城を築いたようです。
1333年(元弘3年)淡輪正円は足利尊氏に従い、室町期は和泉半国守護の細川氏に従ったようです。
戦国期に入り、天正初期には織田信長に従い、水軍を率いて1576年(天正4年)木津川の戦いで毛利氏の水軍と交戦しました。その後の雑賀攻めにも参加しました。
1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が横死した後は豊臣秀吉に従い、淡輪良重(徹斎)の娘「おこよ」は豊臣秀次の妾となって小督(ここ)の局と呼ばれました。
しかし、1595年(文禄4年)秀次事件で秀次が切腹に連座して、小督(ここ)の局は三条河原で斬首され、淡輪氏は改易となりました。
また、徹斎の次男六郎兵衛重政は1615年(慶長20年)4月29日、大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」で塙(ばん)団右衛門と共に討死したそうです。
説明板がありません。付近を5分くらい捜しましたが見つかりません。
先人のみなさんの投稿写真を確認しましたが、2年前のぴーかるさんの投稿で写っていた建物がありません。
1年前のしんちゃんさんの投稿では建物は無くなっていました。回りの風景は同じなのですが・・・。
説明板は確認できませんでしたが、土塁らしきものは確認しました。
淡輪城は西林寺の南側一帯に築かれていたようですが、西林寺には何もありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=中野城を目指す為、淡輪駅から電車で東松江駅に向かいました。
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