ようがいやまじょう

要害山城

和歌山県西牟婁郡

別名 : 要害ヶ城、高瀬要害山城、馬谷城
旧国名 : 紀伊

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小城小次郎

シダがすごい (2023/11/03 訪問)

安宅本城を中心とする諸城からはちょっと離れているが「境目の城」としての役割が評価され(?)国史跡「安宅氏城館跡」に含まれている。畝状竪堀は季節を間違うとシダにびっしり覆われている(泣)。

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イオ

境目の城 (2021/01/10 訪問)

戦国前期に熊野水軍・安宅氏により築かれた城で、幕府奉公衆・山本氏の支配地域との境目にあたるため、たびたび攻防戦の舞台となりましたが、羽柴秀吉の紀州攻めの際に廃城となったようです。

熊野古道・大辺路を見下ろす山上に主郭、その西下と東下に曲輪を設けた山城で、先人の投稿にあるように、草堂寺に車を駐めて大辺路を歩いて登城することも検討しましたが、登城口まで車で行けるようなので、国道のトンネルを出てすぐ東に入り、製材所を抜けて紀勢道の高架をくぐって少し進むと、案内板と説明板のある登城口近くに車2台分ほどの駐車スペースがありました。

登城口から5分ほど登ると東尾根を断ち切る堀切に着きます。ここからが城域です。堀切から西に少し上ると腰曲輪があり、奥からロープ伝いに急斜面を登ると主郭です。主郭からは山本氏の支配地域である富田川流域を広く見渡せます。主郭西下の曲輪は周囲を土塁が囲み、北西部の虎口を出て斜面を下っていくと、シダで見づらい部分はあるものの、西側斜面一帯に畝状竪堀群が広がっています! さらに竪堀の上端は横堀で繋げられていて、小さな城ながら境目の城らしい守りの堅さを感じます。そして、最初の堀切まで戻って尾根沿いに数条の堀切や竪堀が設けられている(はずの)東尾根にも行ってみましたが、ほとんど自然地形な上に、シダが生い茂っていて何が何やらよくわかりませんでした。

年末からの寒波と年明け早々のコロナ感染拡大で、雪と人の多いところに行くのはやめておこう と、麒麟がくる紀行を取り止め、南紀白浜の国史跡「安宅氏城館跡」をめぐることにしましたが、今年の城始めの要害山城は、コンパクトながら畝状竪堀群などなかなかに見応えがありました。
 

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キンヤ

畝状竪堀群が凄い城 (2012/02/04 訪問)

城びとで投稿がお一方のみでしたので、2012年に行った時のもので恐縮ですが投稿させて頂きます。

安宅氏の城で吉田春秀に守らさせたと云われます。
熊野古道の大辺路の上にある為か車で近づけず、草堂寺に車を停めて行きました。

城山に登り切ると最初に鋭い堀切があります。

主郭まで登ると、眺望が良かったです。

二の郭は発掘調査中のようで、礎石・焼き物の破片・虎口などを見ることができました。

この城の見所は何と言っても西側下にある畝状竪堀群で、冬でもシダが生い茂り見辛い箇所もありましたが、十本位の竪堀がありました。

和歌山で、これだけ凄い畝状竪堀の城があるとは驚きました。

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馬谷合戦 (2019/12/29 訪問)

 草堂寺の横の小道から歩いて登城しました。
しばらく歩いていると右側に案内板があります。主郭までの登城路は一部足場が悪い場所もありますが、概ね整備されています。紀勢自動車道が城址の東側の曲輪の下をトンネルで貫通しています。その周囲にも竪堀があるらしいのですが、シダ類で覆われ見にくかったこともありますが道路に落ちそうで怖く近くまで行って確認できませんでした。この城の魅力は北から西にかけてある畝状竪堀です。シダ類等により見えにくい所もありましたが、何とか確認できました。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 吉田春秀
築城年 明応3年(1494)
主な城主 吉田氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 国史跡(安宅氏城館跡)
住所 和歌山県西牟婁郡白浜町富田