さいじょうじんや

西条陣屋

愛媛県西条市

別名 : 西条藩陣屋、西条城、西条館、桑村館
旧国名 : 伊予

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伊予西条駅南口の標柱
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赤い城

狭間城 愛媛県西条市 (2024/08/02 訪問)

伊予西条駅南口に標柱が立つのみで遺構はありません。
城びとでも未登録です。
標柱には高峠城主石川氏の幕下、徳永信貞の居城とあります。

伊予西条駅には鉄道博物館があります。
新幹線の生みの親、十河信二縁の地でもあります。
四国新幹線の計画もあるようですがどうなるのでしょう。

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赤い城

堀を流れる水も清らか (2024/06/19 訪問)

陣屋跡には西条高校が建っています。
当然中には入れないので堀の回りを一周しました。
大手門のある東側の堀は広く、陣屋というよりは平城と言っても過言ではありません。

北側から西側に回ります。
西条は水が綺麗な街としても有名ですが堀底が見えるほど綺麗な水が流れています。
市内の至る所に「うちぬき」と呼ばれる地下水の自噴井があり、水汲み場も設置されています。
この水で造るお酒も美味しい!

話が逸れました。
堀の回りを歩き、最後は大手門。
西条高校の校門になっていて両脇を土塁が支えていました。

西条郷土博物館や五百亀記念館も隣接していますが時間の都合で見学は次回。
お昼の西条ナポリタン食べに向かいました。

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城好きのメガネ

「伊予西条陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
伊予西条藩陣屋は、一柳氏が3代30年治めた後に、徳川御三家の紀州より松平頼純(徳川頼宣の次男・8代将軍吉宗の叔父・徳川家光や徳川光圀の従弟)が入り、幕末まで松平氏が治めた。現在、曲輪、石垣、土塁、横堀、大手門など遺構が点在している。

<アクセス>
JR伊予西条駅 徒歩30分

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:西条陣屋 (2022/07/24 訪問)

土居構からの転戦です。西条高校の大手門前空スペース(33.920249、133.179742)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、1636年(寛永13年)伊勢神戸城主一柳直重が30,000石で入封し築城に着手したものと思われます。
西条藩は一柳直盛が68,000石に加増され、伊勢国神戸から伊予国西条へ赴く途中に大坂で死去したため、嗣子直重が30,000石で西条藩を継ぎ、次子直家が伊予国宇摩郡、周布郡と播磨加東郡小野で28,000石を領し川之江藩となり、第三子直頼が伊予国小松で10,000石を継いだ。
一柳氏は1665年(寛文5年)領民を苦しめ、幕府に対して不届きがあったため、3代一柳直興のときに改易となり、直興は加賀国金沢藩主前田綱紀にお預けとなりました。
その後、一時天領となりますが、1670年(寛文10年)紀州藩 徳川頼宣の次男頼純が西条藩に入封し、以後10代続いて明治に至ります。

西条陣屋は現在の西条高校の敷地となっています。
東に土橋が架かり大手門が現存しており、主郭の周囲を水堀が巡っています。
大手門付近は駐車禁止なので速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=生子山城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 一柳直重
築城年 寛永年間(1624〜1644)
主な城主 一柳氏、松平氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、大手門(西条高等学校)、北御門、御広敷門(大通寺)、西条藩政庁玄関(妙昌寺)
指定文化財 市史跡(西条藩陣屋跡)
再建造物 碑、説明板
住所 愛媛県西条市明屋敷234
問い合わせ先 西条市教育委員会社会教育課歴史文化振興係
問い合わせ先電話番号 0897-52-1628