さいじょうじんや

西条陣屋

愛媛県西条市

別名 : 西条藩陣屋、西条城、西条館、桑村館
旧国名 : 伊予

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城好きのメガネ

「伊予西条陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
伊予西条藩陣屋は、一柳氏が3代30年治めた後に、徳川御三家の紀州より松平頼純(徳川頼宣の次男・8代将軍吉宗の叔父・徳川家光や徳川光圀の従弟)が入り、幕末まで松平氏が治めた。現在、曲輪、石垣、土塁、横堀、大手門など遺構が点在している。

<アクセス>
JR伊予西条駅 徒歩30分

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:西条陣屋 (2022/07/24 訪問)

土居構からの転戦です。西条高校の大手門前空スペース(33.920249、133.179742)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、1636年(寛永13年)伊勢神戸城主一柳直重が30,000石で入封し築城に着手したものと思われます。
西条藩は一柳直盛が68,000石に加増され、伊勢国神戸から伊予国西条へ赴く途中に大坂で死去したため、嗣子直重が30,000石で西条藩を継ぎ、次子直家が伊予国宇摩郡、周布郡と播磨加東郡小野で28,000石を領し川之江藩となり、第三子直頼が伊予国小松で10,000石を継いだ。
一柳氏は1665年(寛文5年)領民を苦しめ、幕府に対して不届きがあったため、3代一柳直興のときに改易となり、直興は加賀国金沢藩主前田綱紀にお預けとなりました。
その後、一時天領となりますが、1670年(寛文10年)紀州藩 徳川頼宣の次男頼純が西条藩に入封し、以後10代続いて明治に至ります。

西条陣屋は現在の西条高校の敷地となっています。
東に土橋が架かり大手門が現存しており、主郭の周囲を水堀が巡っています。
大手門付近は駐車禁止なので速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=生子山城に向かいます。

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織田晃司

西条高校 (2020/03/08 訪問)

西条陣屋跡の大半が西条高校です。
大手門が学校正門。
水堀は広く、石垣があれば陣屋というより平城レベルです。

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オダリン

西条高校 (2005/10/29 訪問)

大手門が西条高校の正門である。陣屋だけれど水堀の幅が広かった印象がある。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 一柳直重
築城年 寛永年間(1624〜1644)
主な城主 一柳氏、松平氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、大手門(西条高等学校)、北御門、御広敷門(大通寺)、西条藩政庁玄関(妙昌寺)
指定文化財 市史跡(西条藩陣屋跡)
再建造物 碑、説明板
住所 愛媛県西条市明屋敷234
問い合わせ先 西条市教育委員会社会教育課歴史文化振興係
問い合わせ先電話番号 0897-52-1628