うつぶきじょう

打吹城

鳥取県倉吉市

別名 : 倉吉城
旧国名 : 伯耆

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主郭櫓台
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ぴーかる

太鼓や笛を打ち吹き鳴らしても天女は戻らず‥‥ (2024/02/17 訪問)

【打吹城】
<駐車場他>倉吉市役所第1観光駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>主郭・主郭櫓台
<感想>日帰り羽衣伝説の旅3城目。打吹城は南北朝時代に伯耆国守護の山名時氏の嫡男である山名師義が築城したと伝えられ、田内城から守護所を移しました。戦国時代には羽衣石城と共に南条氏の支配するところとなりますが、毛利氏に羽衣石城と共に落城します。南条氏は羽柴秀吉に味方したため、鳥取城攻めの和睦で再び支配下に戻ります。この後に打吹城は城郭の改修をして、現在残る櫓台や石垣遺構が見られます。城下町もこの時に整備され倉吉と呼ばれるようになります。城は一国一城令で廃城となり、1617年に池田氏が鳥取に入封したのち、倉吉に陣屋が置かれ明治まで続きます。
 また打吹山は羽衣伝説のお話の中で、隙をみて羽衣を取り返した天女が天に帰った後、母を偲んだ天女の子供たちが、打吹山の山頂から太鼓や笛を打ち鳴らして母を呼び戻そうとしますが遂に天女は戻って来なかったと伝えられている山です。
 
 登山道は打吹公園からと陸上競技場からの2つのルートがあります。大手道は陸上競技場からと思われますが、打吹公園から登りました。展望台・備前丸という曲輪があります。途中に深い切通しが1本竪に通っています。備前丸から山頂の主郭までちょっとした削平地が点々とあります。主郭は東西に広大で、東隅に石垣の残る櫓台、櫓台前に礎石が残ります。前述の織豊期城郭改修時の遺構と思います。櫓台のすぐ横に東虎口がありここにも石垣が僅かに残っています。主郭東下段に堀切土橋があり、副郭があります。副郭の曲輪壁には多く石垣が残っています。更に下って虎口、武者溜まりがあります。
 山全体が公園化されて改変されているかと思いましたが、山頂の主要部は明瞭な遺構がそのまま残っており、なかなか見応えのある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

<周辺観光・グルメ>下山後に倉吉伝建地区、山陰地方のラーメンは牛骨がメインらしくて、伝建地区にあるラーメン「縁(えにし)」で昼食をとりました。ちぢれ麵のあっさり塩牛骨スープラーメンでした。

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todo94

過去の攻城 (2009/10/10 訪問)

攻城歴がありながら未投稿の物件を発見。12年前の攻城です。国宝の三仏寺投入堂、二十世紀梨記念館に続いて訪れました。攻城後には横綱・琴櫻の銅像をチェックし、重要伝統的建造物群保存地区を散策してから帰路につきました。

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カズサン

麓は倉吉陣屋、小京都倉吉 (2014/09/14 訪問)

 打吹城麓の倉吉陣屋と赤瓦の白壁土蔵群を訪ねました、由良台場からは山陰自動車道を東に戻り北条ICから南に伸びてる倉吉道国道313号線を走行し倉吉ICを降り小高い山打吹山を目指し倉吉市役所辺りが元の陣屋跡江戸期行政の中心地です。

 駐車場:成徳小学校前の観光駐車場、倉吉市役所裏当たりの観光駐車場、その他有料駐車場も有ります。

 倉吉陣屋:成徳小学校地が陣屋跡、大きな案内解説看板が通りに建っており目立ちます、元は打吹山に室町時代初め伯耆守護に任じられた山名氏が群馬県高崎市の山名郷山名城から移り打吹城を築き約200年治めたが戦国期尼子氏の侵攻、毛利氏の侵攻で落城衰退、豊臣期南条氏が羽衣石城の支城、関ヶ原後里見氏が館山から移封、江戸期寛文9年(1632年)岡山藩と鳥取藩が領地替え鳥取藩主池田光仲より明治まで続く、倉吉は家老の荒尾氏が倉吉陣屋を治め明治まで続く、米子城代の荒尾氏は倉吉荒尾氏の兄。(案内板より抜粋追加)
 現在は成徳小学校の前の通りに陣屋時代の石垣が残ってる、裏手が打吹公園で庭園に成ってる。
 打吹城には打吹公園から登るルート、市役所、歴史民俗資料館方向より登るルートと在りますが、私は気力、体力無く頂上を眺めるだけです。

 赤瓦白壁土蔵群:旧陣屋の町人町宿場町で小京都倉吉で有名です、よくTVドラマにも取り扱われてます、中国地方に多い石州瓦で葺かれた家々特徴は赤い瓦です、土蔵群町屋が観光用に改修され多くの人を引き付けています、また郷土の英雄、横綱琴桜関の像が観光駐車場の近く立って居ります。
 白壁土蔵群の中に中学校時代の友人がオーナーで夫婦で経営、立ち寄った喫茶休憩で40年ぶりの再会、初めは分かりませんでしたが顔が何となく記憶に有り恐る恐る尋ねたら同級生でした、家内と共にケーキとコーヒーをご馳走に成りました。 有難うございました。

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打吹公園より (2020/11/27 訪問)

 打吹公園より登城しました。山頂に主郭があり北東隅部に櫓台があり、その周囲に石垣が残っています。縄張り図を見ると北側の斜面には畝状竪堀群があるとのことで、藪漕ぎをして近くまでいきました。石垣は見つけましたが、明瞭な遺構は確認できませんでした。大江神社付近から登っていくと途中に摸擬櫓風の正面展望台があります。帰りは倉吉民俗資料館方面へ下りてきました。途中、武者溜を見ることができます。トレッキングコースとなっていて歩きやすかった。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名師義
築城年 延文年間(1356〜1361)
主な城主 山名氏、南条宗勝、吉川元春、南条備前守・小鴨元清・山田越中守(南条氏家臣)、中村伊豆守
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、石垣、横堀、土塁、天守台
再建造物 石碑、説明板、城郭風建築物(展望台)
住所 鳥取県倉吉市仲ノ町