【打吹城】
<駐車場他>倉吉市役所第1観光駐車場を利用しました。
<交通手段>車
<見所>主郭・主郭櫓台
<感想>日帰り羽衣伝説の旅3城目。打吹城は南北朝時代に伯耆国守護の山名時氏の嫡男である山名師義が築城したと伝えられ、田内城から守護所を移しました。戦国時代には羽衣石城と共に南条氏の支配するところとなりますが、毛利氏に羽衣石城と共に落城します。南条氏は羽柴秀吉に味方したため、鳥取城攻めの和睦で再び支配下に戻ります。この後に打吹城は城郭の改修をして、現在残る櫓台や石垣遺構が見られます。城下町もこの時に整備され倉吉と呼ばれるようになります。城は一国一城令で廃城となり、1617年に池田氏が鳥取に入封したのち、倉吉に陣屋が置かれ明治まで続きます。
また打吹山は羽衣伝説のお話の中で、隙をみて羽衣を取り返した天女が天に帰った後、母を偲んだ天女の子供たちが、打吹山の山頂から太鼓や笛を打ち鳴らして母を呼び戻そうとしますが遂に天女は戻って来なかったと伝えられている山です。
登山道は打吹公園からと陸上競技場からの2つのルートがあります。大手道は陸上競技場からと思われますが、打吹公園から登りました。展望台・備前丸という曲輪があります。途中に深い切通しが1本竪に通っています。備前丸から山頂の主郭までちょっとした削平地が点々とあります。主郭は東西に広大で、東隅に石垣の残る櫓台、櫓台前に礎石が残ります。前述の織豊期城郭改修時の遺構と思います。櫓台のすぐ横に東虎口がありここにも石垣が僅かに残っています。主郭東下段に堀切土橋があり、副郭があります。副郭の曲輪壁には多く石垣が残っています。更に下って虎口、武者溜まりがあります。
山全体が公園化されて改変されているかと思いましたが、山頂の主要部は明瞭な遺構がそのまま残っており、なかなか見応えのある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
<周辺観光・グルメ>下山後に倉吉伝建地区、山陰地方のラーメンは牛骨がメインらしくて、伝建地区にあるラーメン「縁(えにし)」で昼食をとりました。ちぢれ麵のあっさり塩牛骨スープラーメンでした。
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