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エグ1394

駿府城 (2016/03/23 訪問)

夫駿府城は徳川家康が大御所となって隠居した際に使われた城です。天下普請によって大修築され、城郭史上最大の天守台が築かれました。天守は家康により3度建てられましたが、城下の火災が延焼して焼失しました。現在、中堀の内側にある旧二の丸と本丸が「駿府城公園」として整備されており、石垣や堀を見ることができます。また巽櫓と東御門、坤櫓が復元されて資料館として公開されています。婦で静岡へ日帰りで行ってきました。

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エグ1394

清洲城 (2016/01/24 訪問)

夫婦で行ってきました。
清洲城は織田信長の居城として知られ、信長はこの城から「桶狭間の戦い」に出陣しています。信長の後継者を決める、いわゆる「清洲会議」が行われた城でもあり、歴史的にも大きな役割をになった城です。「関ケ原の戦い」の際には福島正則の居城となっており、東軍の後方拠点として利用されました。江戸時代に入って、徳川家康により清須から名古屋への遷府(清洲越し)が指令されると、清須城は名古屋城築城のための資材として解体されました。なかでも名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」と呼ばれています。現在、城跡の一部が「清洲公園」と「清洲古城跡公園」として整備されており、信長と濃姫の銅像が建てられています。また、1989年(平成元年)には町制100周年を記念して、模擬天守が築かれました。この模擬天守は東海道新幹線の車窓から見ることができます。

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エグ1394

丸岡城 (2015/11/25 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
丸岡城は柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれた城です。江戸時代には福井藩の附家老として城主をつとめていた本多成重がをつとめていましたが、福井藩主・松平忠直の隠居に伴い独立し、丸岡藩が成立しました。その後、本多家がお家騒動で改易となったのちは、代わって有馬氏が入封し、以後6代がこの地を治め明治維新を迎えました。掘立柱構造の望楼型天守や、笏谷石を使った石瓦などが特長の北陸唯一の現存天守で、最古の天守という説もありましたが、近年の調査により築城年代は江戸初期であることがわかりました。「日本100名城」や「日本さくら名所100選」に選ばれています。

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越前大野城 (2015/11/25 訪問)

夫婦で日帰りで行ってきました。
越前大野城は織田信長の家臣である金森長近によって築かれた城です。長近はのちに「北陸の小京都」と呼ばれるまちづくりを行っています。江戸時代には土井利房が入城し、以降は土井氏が城主を務めました。遺構としては、山頂の本丸跡に石垣が現存しています。建造物としては、櫓門であった鳩門の門部分が光明寺山門として移築現存しています。また、7代利忠の隠居所が無料休憩所「藩主隠居所」(旧柳廼社社務所)として移築現存しており、当時の武家屋敷の姿を見ることができます。本丸跡には模擬天守が建てられており、金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料が展示されています。竹田城や備中松山城と並び、雲海に浮かぶ「天空の城」としても知られています。

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りゅうましゃはる

看板 (2018/04/22 訪問)

お城らしきものはありません。

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まんのすけ

素晴らしい 復元天守 (2018/04/18 訪問)

非常に見応えがあった。

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まんのすけ

貴重な中世遺構 (2018/04/20 訪問)

なかなか見応えがあった。

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まんのすけ

素晴らしい城 (2018/04/19 訪問)

見応えのある素晴らしい城だ。

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エグ1394

勝山城 (2015/11/25 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。大阪のタクシー会社の社長が建てたお城で博物館になってます。当日は休館日でした。
江戸時代に勝山市域を治めた勝山藩の勝山城には、天守台は存在したものの最後まで天守が造営されることはなく、その城跡も昭和40年代にはほぼ完全に消滅してしまった。博物館はこういった歴史遺産の記憶を留めるための象徴であり、模擬天守としてではなく、あくまで博物館としての側面が強調されている。
勝山出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清の手により建築され、1992年(平成4年)7月19日に開館した。江戸時代の大名武具や染織品、合戦図屏風、清代の中原地域の民間刺繍、日本の近代書などを収集展示している。現在は公益財団法人多田清文化教育記念財団が博物館を運営している。2014年度(平成26年度)からは、市立の博物館施設を持たない勝山市と連携を結び、収蔵庫の共同利用を行うほか、共催展覧会を開催している。
天守風建物の周囲は数千本の植栽がある日本庭園となっている。毎年4月には館内及びこの日本庭園を利用した大規模な茶会が催されている。

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エグ1394

備中松山城 (2015/10/09 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行してきました。
備中松山城は現存12天守の中では唯一の山城であり、現存天守でもっとも高い所にある城です。日本三大山城のひとつでもあります。海抜約480mの臥牛山の山頂付近に本丸があるため、山の中腹(8合目)にある駐車場から歩いても30分近くかけてのぼることになります。現存天守の中ではもっとも訪問しづらい城といえます。また江戸時代、城主をつとめた水谷氏がお家断絶になったため、『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野長矩の管理とされ、城の受け取りには家老である大石内蔵助が訪れています。そのため山頂にのぼるルートにはそのときに休んだとされる「大石内蔵助の腰掛け石」があります。時期や条件が整えば、竹田城のように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。

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やのっち

宅地造成で消えた加納城 (2018/04/21 訪問)

住宅地の中に、堀と土塁がほんのわずか残るのみ。石碑と案内板はある。当時の外堀に沿って道路が作られていて、外堀のおりひずみの形状も道路からみて取れる。

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岡山城 (2015/10/08 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行してきました。
岡山城は宇喜多秀家の居城として知られています。天守は戦争で焼失しましたが、1966年(昭和41年)に外観復元されています。岡山城の外観は黒漆塗の下見板張りが特徴的で、見た目の印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、「白鷺城」とも呼ばれる姫路城と対比されることもあります。また隣接する大名庭園の後楽園は、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三名園として並び称されています。

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姫路城 (2015/10/08 訪問)

夫婦で姫路から岡山へ一泊旅行に行ってきました。
姫路城は日本を代表する城で、国宝や世界遺産に選ばれています。現存12天守のひとつで、もっとも大きい現存天守です。黒田官兵衛が毛利攻めの拠点にするようにと羽柴秀吉に献上した城としても知られています。現在の天守は江戸時代に入ってから「西国将軍」と称された池田輝政によって建て直されたものです。中世から修復を繰り返されているため、さまざまな時代の石垣を見ることができます。また姫路城は映画やドラマのロケが行われることも多く、しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。

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掛川城 (2015/02/11 訪問)

夫婦で日帰りしてきました。
掛川城は山内一豊の居城として知られています。「関ケ原の戦い」の際に一豊が徳川家康に掛川城の提供を申し出た逸話は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場します。明治以降は、廃城令によってほとんどの建物が撤去されましたが、1994年(平成6年)に天守が再建されました。この天守は日本初の木造復元天守です。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構です。

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西尾城 (2014/08/03 訪問)

夫婦で行ってきました。
西尾城は酒井重忠や田中吉政の居城として知られています。現在は本丸、二の丸跡の一部が西尾市歴史公園として整備されており、本丸丑寅櫓と鍮石門が復元されました。また姫の丸跡には、西尾城に関する資料が展示された西尾市資料館が建てられています。

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小田原城 (2014/07/22 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
小田原城は北条氏の居城として知られています。1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となりました。現在は小田原城址公園として整備されており、日本さくら名所100選にも選定されています。天守は1960年(昭和35年)に外観復元されたものです。そのほか常盤木門や銅門、馬出門などが復元されています。土塁の城が多い関東地方において、主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城としても有名です。

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足助城 (2014/04/22 訪問)

夫婦で行ってきました。
足助城は三河鈴木氏の諸家である足助鈴木氏の居城として知られています。松平氏に属しており、1590年(天正18年)の家康の関東入国に従って関東に移ったため、廃城となりました。現在は城跡公園足助城として整備されており、高櫓・長屋・物見矢倉・厨(くりや)などの建物が復元されています。発掘調査成果に基づく戦国時代の山城の復元は、国内最初の事例で「全国ではじめて復元された山城」として謳われています。

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大草城 (2014/04/06 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。
大草城は織田信長の弟、織田長益(有楽斎)によって築かれた城です。1582年(天正10年)、信長が本能寺の変により没すると、尾張一国は織田信雄に与えられ、長益は信雄の家臣として大草城を築きましたが、城が完成する前に、長益は秀吉の御伽衆として仕えることになったため、未完の城のまま廃城となりました。現在は大草公園として整備されており、模擬櫓が建てられています。そのほか、水堀や土塁などの遺構を見ることができます。

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広島城 (2013/08/30 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
広島城は毛利輝元によって築かれた城です。聚楽第を手本にしたといわれ、築城の際には黒田官兵衛がサポートしたそうです。完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれており、大坂城や岡山城らとともに初期近世城郭の代表的な城として知られています。戦争で倒壊した天守は1958年(昭和33年)の「広島復興大博覧会」開催にあわせて再建されました。二の丸の平櫓・多聞櫓・太鼓櫓および表御門も1989年(平成元年)から行われた改修の際に再建されており、内部を見学することができます。水堀越しに見る天守の美しさは格別です。

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郡上八幡城 (2013/07/07 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。
郡上八幡城は遠藤氏や青山氏の居城として知られています。一時的に稲葉貞通が城主を務めたこともあります。1933年(昭和8年)に再建された模擬天守は日本最古の木造再建天守です。小規模な城ながら、城下から眺める天守の姿や、天守から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しく、司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城」と評しています。また、山内一豊の妻である千代が初代城主・遠藤盛数の長女であることから、山麓には山内一豊と妻千代の像があります。

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