芝村陣屋は織田長益の四男長政が元和元年(1615)に1万石を分知され陣屋を構えたのが始まりと
されています。
今は桜井市立織田小学校の敷地となっていますが、学校の周囲を囲む壁として
石垣が活用されているようです。
西側へ数百mほど行った先の慶田寺の山門として
陣屋南門が移築されているようです。
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2023/07/26 21:23
2023/07/14 20:12
芝村陣屋 (2023/06/17 訪問)
【芝村陣屋】【箸墓古墳】
<駐車場他>ひみこの庭駐車場(無料)を利用
<交通手段>車
<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅7城目。織田有楽斎が関ヶ原後に隠居するのに3万石のうち1万石は隠居料、四男長政に1万石(戒重藩を立藩)、五男尚長に1万石(柳本藩を立藩)を分与します。戒重藩は1745年7代藩主織田輔宜の時に立地が不便なことから芝村に移転し芝村陣屋となります。芝村藩はその後幕府領9万石以上を預かり地として任せられる事になりますが、年貢増徴収政策で農民一揆が起こり預かり地は召し上げとなります。芝村藩は明治維新まで存続しますが藩の借財はかなりあったようです。
上記駐車場に駐車してまず箸墓古墳を周辺を散策しました。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかとする学説もある前方後円墳ですが、大市古墳:第7代孝霊天皇皇女の陵墓として宮内庁管理で中に入ることはできません。周辺散策と拝所に行きました。
次に慶田寺の山門に芝村陣屋の移築長屋門があるのでそこに行って、陣屋跡の織田小学校に行きました。南側一線と東西の一部に石垣が残されています。南西の通りは昔ながらの街並みが残ります。南の堀跡は見落としました。
<満足度>◆◇◇
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2019/10/27 22:03
2019/09/19 17:35
横矢の掛かる小学校 (2019/07/12 訪問)
織田長益(有楽)の四男・長政が、父の隠居に伴い1万石の分治を受けて立藩、当初は戒重に陣屋を構えましたが、後代に芝村に移転して明治までこの地を治めました。
現在、芝村陣屋跡は織田小学校の敷地になっていますが、小学校の南辺には陣屋の石垣が一部残り、南部には水堀、北西部には水堀代わりの弁天池が見られます。また、陣屋跡から西に10分ほど歩くと芝村藩織田氏菩提寺の慶田寺があり、陣屋南門が移築され現存しています。
周辺に駐車場はなさそうですが、小学校西隣の建勲神社(信長公座像あり)の横に路駐可能なスペースがあります。
それにしても、織田の名を冠する小学校だけあって、塀の軒丸瓦に織田木瓜紋があしらわれているのに加え、折れのある石垣の塀には、横矢掛けのための窓(< なわけねーだろ(笑))も設けられており、陣屋跡であることを感じさせられます。
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分類・構造 | 陣屋 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 織田輔宜 |
築城年 | 延享2年(1745) |
主な城主 | 織田氏 |
遺構 | 石垣、移築南門(慶田寺) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 奈良県桜井市芝(織田小学校) |