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todo94

青春18きっぷで烏山線完乗 (2012/03/20 訪問)

宝積寺から先の烏山線には7つの駅がありそれぞれに七福神が割り当てられている。列車も七福神のイラスト付きだ。終点の烏山駅は毘沙門山があるので毘沙門天。2011年6月に筑紫山頂まで到達しながらたどり着けなかった烏山城、今回は分りやすい7曲がりからの攻城。吹貫門跡付近の石垣は中々の物だし、堀切も大層な規模。とても見応えのある城だった。

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todo94

青春18きっぷで2度目のスタンプラリー (2012/03/20 訪問)

今回の旅で狙う100名城は白河小峰城。震災で大規模に石垣が崩れ修復には5~7年かかると言うことなので、修復を待たず訪れることにした。想像以上に広範囲にわたって石垣が崩れている。三重櫓に被害がなかったのは不幸中の幸いというものか。スタンプ置き場の観光案内所が開く9:00まで駅前のローソンなどで時間をつぶす。

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todo94

青春18きっぷ (2012/03/19 訪問)

雄大な三の丸空堀だが、歩道部分には震災の爪痕が残る。そして弘道館の被害は壁の剥落など更に生々しい。建物内には入れないため無料で開放されている。水戸城に来ると必ずチェックする水郡線が走る空堀に薬医門まで一通り見て回ってから水戸駅へ。水郡線に乗車して列車内から空堀を撮影した。

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にのまる

城山史跡公園の一角 (2018/04/01 訪問)

程よい放置感。

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dougen

2018.3.26登城 (2018/03/26 訪問)

前回、登城時は夕方であまり散策できなかったことが、ずっと気になっていたのですが、今回、青梅市の城めぐりに来たので、再登城することができました。
今回は、しっかりと郭や空堀などの遺構を散策することができ、念願が叶いました。
空堀や土塁などの遺構もしっかりと残っていて、オススメです。

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todo94

天正壬午の乱 (2012/04/15 訪問)

笹尾塁は城山公園として駐車場が整備されているので見つけるのに苦労はなかった。ここも土塁、虎口、郭などの遺構がしっかりと残っている。谷戸城、深草館、笹尾塁とも天正壬午の乱の際は北条方が詰めている。

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todo94

金生遺跡の近く (2012/04/15 訪問)

北杜市考古資料館でもらった地図で金生遺跡の近くであることを確認。館跡であることを示す説明板などはなかったが、非常にはっきりとした土塁に囲まれた郭が二つ連なっていたのでまず間違いはないと思う。

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todo94

美しい土の城 (2012/04/15 訪問)

初めて訪れたときは夏草が繁茂していたが、早春のこの時期は空堀や土塁がきれいに見渡せて土の城の魅力を満喫できる。

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todo94

中央本線から見える岩山 (2012/04/15 訪問)

完全な晴れを想定していたのに大月は霧に包まれていた。満開情報が届いていた丸山公園も霧の中。岩殿山ふれあいの館も開館前なのでとりあえず山上の城跡を目指す。途中の階段や巨大な岩盤の上の見晴らしの良いところには既に大勢のカメラマンが三脚を立てて陣取っていたが、とても富士山が現われそうな気配は見られない。狼煙台跡の岩殿山頂上に歩を進めてみた。岩殿山山頂の標高は634m。東京スカイツリーの高さと奇しくも同じである。山頂を越えた先には堀切があり、兵舎跡や馬場跡、帯郭などの遺構を楽しみ、しばらく霧が晴れるのを待ったがかなり時間がかかりそうなので、富士の眺望は諦めて下山することにした。遠く大手門跡まで脚を伸ばしてから再び丸山公園へ。丸山公園の霧は晴れていて僅かながらも青い空も覗いていた。ふれあいの館の中を簡単に見て回ってから暫し満開の桜を楽しむ。岩殿城は小山田氏の居城で最後に武田勝頼が頼って裏切られる曰く付きの城である。真田の居城・岩櫃城への退避を勝頼は受け入れなかったわけだが、岩櫃城も岩殿城に劣らぬ峨々たる岸壁がそそり立つ堅城。岩櫃に逃げていれば信長もきっと勝頼を簡単に追い詰めることは出来なかったであろう。

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todo94

歴史の舞台 (2012/04/15 訪問)

獅子吼城は2009年に旭山砦を訪れた際に見つけられなかった因縁の城。今回は万全の下調べをして臨んだ。道路に案内表示もあり迷うことはなかった。淡い緑色に苔むした石垣や残石は趣きたっぷり。頂上からの眺望もなかなかのものだった。この城の開城により武田信虎の甲斐統一がなり、天正壬午の乱では北条方が籠もるこの城を服部半蔵らが落とし徳川方の勝利に寄与するなどの歴史の舞台となった城だがそういった歴史にふさわしい素晴らしい佇まいを持っていて十分に満足することができた。

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オダリン

徳川家の城 (2012/04/10 訪問)

徳川の城ではあるけれど大阪人から見れば太閤さんの城である。

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オダリン

サクラの映える城 (2009/04/09 訪問)

大和大納言豊臣秀長が現在の形の基礎を築いた城。天守台の修復工事で天守台の桜は現在は無い。桜の映える城だ。近鉄電車がそばを走っており桜のシーズンは楽しめる。

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todo94

開園前の訪城 (2012/04/15 訪問)

武田氏の信州攻略の玄関口とも言える城。諏訪口、佐久口両面の狼煙の中継地であったということでつるべ式狼煙台が推定復元されている。本能寺の変の後に徳川と北条が甲斐の地を巡って争った天正壬午の乱では北条氏直がこの城に本陣を置いた。公園の開園は8:30からということで長居は避け、南城、北城は今回は割愛。

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todo94

mixiお城めぐりしようコミュ・全国一斉お城の日 (2012/04/29 訪問)

和気うつくしい森キャンプ場から本丸にアプローチするつもりでいたが、到着したのが午後5時10分前。とても管理事務所に城に行きたいのでキャンプ場を通らせてくれと申し出る事の出来ない時刻であったため、仕方なく麓の登山道からのぼっていった。本丸まで1.3km50分の所要とのこと。脚の疲れは限界に達していて私としては珍しく、途中で何度も立ち止まりつつの攻城となったため上りに40分もかかってしまったが、何とか本丸に辿り着くことが出来た。麓近くの侍屋敷跡の石垣も中々の物だったが、本丸からキャンプ場にかけてもいくつもの郭が連なり非常に見応えがあるようなのでまたの機会に再訪したい。

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todo94

mixiお城めぐりしようコミュ・全国一斉お城の日 (2012/04/29 訪問)

宇喜多能家が自害に追い込まれた砥石城は乙子城より遥かに骨があるが、何とか立ち止まらずに本丸までたどり着けた。眺望は中々の物ものだったが、雲が広がってきてしまったのは残念至極。連郭式の城郭だが本丸の下に連なる郭には整備の手が入っておらず、草や低木に覆われていた。

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todo94

mixiお城めぐりしようコミュ・全国一斉お城の日 (2012/04/29 訪問)

宇喜多直家国とりはじまりの碑が目立つ乙子城は一度訪れたことがあるので簡単にたどり着けた。200歩ほどで頂上にたどり着けてしまう山城とは言えない程度の小さな山城であるが、この日4つ目の山城攻略でかなりの蓄積疲労がある。

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にのまる

2城一気攻めの2こめ。 (2018/03/28 訪問)

山名城から尾根続きの根小屋城は勝頼パパの築城。説明板があって嬉しかった。
「根小屋城まであと1.1km」の地点から結構進んだところの標識が「あと1.3km」に増えていて心が折れそうになった。
帰りはいちばん距離が短そうな「高崎商科大コース」を選択したが、滅亡への道かと思うくらい狭隘で笑えた。

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にのまる

2城一気攻めの1こめ。 (2018/03/28 訪問)

世界記憶遺産の山上碑や古墳のある登山道を進んでいきました。案内板が随所にあり、ハイキングコースになっているので、山中で迷子になる心配はありませんが、「ちょっとヤバイかも感」がそこここに漂っているのがイイ感じでした。城址に向かう岐路から先は攻城気分が味わえます。ゴール地点ではベンチや展望スペースが迎えてくれましたが、先を急いでいたので、すぐにお暇させていただきました。
・・・根小屋城址に続く。

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コロスケコロコロ

海老名城跡! (2017/05/20 訪問)

往時におもいを馳せ、雰囲気が感じられて良かったです。

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todo94

mixiお城めぐりしようコミュ・全国一斉お城の日 (2012/04/29 訪問)

下津井瀬戸大橋を間近に見る下津井城。瀬戸大橋記念公園として整備されていて駐車場近辺の整備されすぎた状況に危惧の念を抱いたが、西ノ丸から本丸、二の丸、三の丸、中の丸とほどよく手を入れられた素晴らしい城の佇まいだった。石垣も中々見事なものが残っている。下津井城から海岸まで下った祇園神社は下津井古城だったとのことだが、現地にそういった表示や説明板は見当たらない。その祇園神社に隣接していかにも台場といった佇まいの石垣があったが、ここは紛れもない下津井台場。小さな石碑を見つけることができた。

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