三原市八幡町にある御調八幡宮のすぐ近くの丘に築かれた城跡で、ぱっと見、「お寺には見えないお寺」広福寺の小さなお堂の裏から登っていけます。車はすぐ近くにあるJA三原八幡出張所(現在は移転したらしい)の駐車場に駐車させていただき、城跡まで500m弱の距離がありますが、そこまで歩いて行きました。
広福寺のお堂の所から2〜3分歩くと堀切があり、その北側の斜面を数メートルよじ登ると主郭、さらにその北側下方にL字型をした曲輪がありました。
この城を築いた渋川氏は、室町幕府将軍足利氏の一門です。渋川義行は室町幕府から九州探題に任じられましたが、九州の南朝の勢力があまりに強く、九州に一歩も踏み入ることができないまま5年後に九州探題の職を解任されてしまいます(ちなみに、後任の九州探題は今川了俊)。
その渋川義行が、九州に上陸できず、所領の備後国御調郡別宮に居を構えたのがこの城のはじまりということのようです。
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