今川⇒徳川⇒武田⇒徳川と、時の権力者にその支配を奪われ変わりまくった天方城。
再び徳川の支配下に置かれた際に首藤通秀が城主となり、転じて天方氏を名乗るようになります。
その息子・道興が、切腹を命じられた松平信康(家康の長男)の立ち合いをした際、服部半蔵が介錯をするのに涙で良く見えないと言って躊躇したのを見て、代わりに介錯したとされます。
(実はこれ半蔵の策略で、主君の息子の首を落として自分の明日は無いと思って芝居したとされている)
おかげで道興は良心にかられて高野山に登り、代わりに家を残す為に遠い親戚で家康の小姓をしていた道直を後継にしたとされます。
・・・とまぁ、歴史的には色々興味をそそられますが、それはそれw
お城としての天方城はと言いますと、山の頂上を主郭とし、山裾に横堀・土塁の走る比較的規則正しい形状の場所になっております。
公共交通機関の訪問は困難ですが、車で城址公園となっている山頂の駐車場まで行けるので、山城ではありますが全然登必要はありません。
ただ、山上までの道が対向車とすれ違いが困難な程細いので、十二分に注意が必要です。
堀・土塁・虎口等、城址公園にしては遺構が当時のままと思われる形状・深さ・鋭さを維持してますので、遠くからここだけを目当てに来たとしても結構満足出来るのでは?と思える場所でした。
ま、車での訪問でしたら近く(10km圏内)にレベルの高いお城転在しているので、複数ヶ所一緒に訪問が良いかと。
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