ここの城址碑はちょっと立派。
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2018/04/22 19:16
菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)
ここの城址碑はちょっと立派。
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2018/04/22 19:13
菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)
目を惹く遺構は見当たらない。
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2018/04/22 19:09
菊池十八外城 (2011/03/30 訪問)
曲輪がはっきりと見て取れて中々いい感じだった。
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2018/04/22 18:38
田原城 (2018/01/14 訪問)
夫婦で行ってきました。
田原城は三河湾を支配していた戸田氏の居城として知られています。城主が戸田康光のときに、松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(のちの徳川家康)を護送する任を受けましたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元の怒りを買い、攻められて落城しました。その後は松平氏譜代の本多広孝が、さらに家康が関東へと移封したのちは吉田城に入封した池田輝政の重臣である伊木忠次が城主となっています。江戸時代になると、渡辺崋山などを排出した田原藩1万2千石の藩庁として使われました。現在、本丸は巴江神社になっており、二の丸には復元櫓が模擬再建されています。
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2018/04/22 18:35
挙母城 (2017/12/03 訪問)
夫婦で行ってきました。
七州城は童子山の高台に築かれた城で、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・遠江国・伊勢国・近江国の7つの国が見える高台にあることから、七州城と名づけられました。また挙母藩の藩庁が置かれた城で、挙母城とも呼ばれています。現在は本丸跡が豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されており、櫓台の石垣が残っています。1977年(昭和52年)には隅櫓が復興されました。
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2018/04/22 18:32
大和郡山城 (2017/08/13 訪問)
夫婦で行ってきました。
大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城です。その後は秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。江戸時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としました。大和は石材に乏しい国であったため、天守台の石垣には墓石や地蔵までもが用いられています(これを「転用石」と呼びます)。なかには「逆さ地蔵」と呼ばれる、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵があります。現在は本丸の石垣や堀が残っており、また大手門、大手東隅櫓、大手向櫓が復元されています。大和郡山城は桜の名所として、日本さくら名所100選にも選定されており、毎年4月1日から行われる「お城まつり」には多くの花見客でにぎわいます。
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2018/04/22 18:29
松代城 (2017/09/16 訪問)
夫婦で一泊で行ってきました。
松代城は元々、海津城と呼ばれていた城で、武田信玄が山本勘助に命じて築いた城です。甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされています。松代城と改名されたのは、江戸時代に真田信之が入城してからのことです。現在は海津城址公園として整備されており、太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元されています。また付近には江戸末期の御殿建築である真田邸や真田宝物館があります。
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2018/04/22 18:27
小諸城 (2017/09/15 訪問)
夫婦で一泊で行ってきました。
小諸城は仙石秀久の居城として知られています。江戸時代に入ったのちも、極めて要衝な領地であったため、譜代大名が歴代藩主を務めました。現在は天守台や石垣のほか、2つの重要文化財が残されており、ひとつは市街地に存在する大手門で、もうひとつは懐古園の入り口にある三の門です。この三の門は小諸市のシンボルとして『サザエさん』のオープニングにも登場しています。城址にはソメイヨシノが多数植樹されており、日本さくら名所100選に選定されています。春の桜だけでなく、紅葉の名所としても有名です。また、かつてこの地で教師を務めていた島崎藤村の詩碑が建てられています。
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2018/04/22 18:24
上田城 (2017/09/15 訪問)
夫婦で一泊で行ってきました。
上田城は真田昌幸によって築かれた城で、二度にわたって徳川軍を撃退した「上田合戦」が行われたことで有名な城です。「関ケ原の戦い」で真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川家康によって徹底的に破却され堀も埋められましたが、上田藩主として入城した仙石氏によって再建されました。櫓や石垣が当時の遺構として残っています。現在は旧二の丸内が上田城跡公園として整備されており、櫓門や塀などが木造復元されています。また、アニメ映画『サマーウォーズ』では舞台となる家の門が上田城の城門をモデルに描かれています。
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2018/04/22 18:17
名古屋城 (2017/02/12 訪問)
本丸御殿へ行ってきました。
名古屋城は徳川家康が豊臣氏に対する最終防衛拠点として天下普請によって築城させた城です。初代城主は徳川義直で、徳川御三家のひとつである尾張徳川家17代の居城として利用されました。伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われているように、古くから名古屋のシンボルとして扱われてきました。天守台の石垣は加藤清正が担当したといわれています。大天守に上げられた金のシャチホコは築城当初のものではありませんが、同じ方法で復元製造された金板張りの木造鯱で、現在は名古屋城でしか見ることができません。また、築城当時は最上層のみ銅瓦でしたが、1755年(宝暦5年)に行われた修復工事の際にすべて銅瓦拭きとなっています。この緑青の屋根も名古屋城の大きな特徴です。2009年(平成21年)から本丸御殿を復元しており、現在その一部が公開中です。
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2018/04/22 18:14
水口城 (2016/09/11 訪問)
夫婦で行ってきました。
水口城は3代将軍・徳川家光が京都への上洛の際の宿館として築かせた城です。小堀政一(遠州)が作事奉行を務め、城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれましたが、けっきょくこの御殿が将軍の宿舎として使われたのは築城時の家光上洛の一度だけでした。現在、本丸跡は水口高校の運動場として利用されていますが、水口城博物館として角櫓が復元されています。館内では水口城の模型や資料が展示されています。
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2018/04/22 18:10
勝竜寺城 (2016/11/14 訪問)
夫婦で一泊旅行で行ってきました。
勝龍寺城は細川藤孝の居城として知られています。「山崎の合戦」では明智光秀がここに本陣を構えました。当時の遺構としては、近隣にある神足神社境内に空堀や土塁が残っています。現在、本丸および沼田丸趾が勝竜寺城公園として整備されており、櫓を模した管理棟が建てられています。勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻が盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごした城でもあり、城内にはふたりの像が建てられています。また夫妻にちなんだ「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月に開催されています。
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2018/04/22 18:08
2018/04/22 18:07
園部城 (2016/11/14 訪問)
夫婦で一泊旅行で行ってきました。
園部城は日本の城郭史で最後の建築物として知られています。当初、小出吉親が築いた城は徳川幕府の制度上では陣屋という扱いになったため、園部陣屋として呼ばれていました。幕末になって京の治安が悪化したことに備えるため改修が認められ、1868年(慶応4年)から普請がはじまり、翌1869年(明治2年)に完成した際にようやく園部城と呼ばれるようになりました。現在は京都府立園部高等学校の敷地となり、巽櫓、城門の櫓門(高校の校門)、番所、太鼓櫓(八木町の安楽寺に移築)など一部の建物が現存しています。
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2018/04/22 18:04
福知山城 (2016/11/14 訪問)
夫婦で一泊旅行で行ってきました。
福知山城は丹波国を平定した明智光秀によって築かれた城です(正確にはもともとあった塩見氏の横山城を石垣づくりの城として改修)。城主は光秀の娘婿である明智秀満がつとめました。現在は福知山城公園として整備されています。天守は1985年(昭和60年)に復元されたもので、福知山市郷土資料館の施設となっています。福知山城は盆地の真ん中にある小高い丘の上に建っているため街のどこからでもよく見えますし、JR福知山線の列車内から見ることもできます。城下町整備や治水工事などの功績により、光秀は地元で大変愛されており「光秀くんとひろこさん」として観光協会のイメージキャラクターにもなっています。
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2018/04/22 18:01
田辺城 (2016/11/13 訪問)
夫婦で一泊旅行で行ってきました。
田辺城は細川藤孝(幽斎)・忠興親子によって築かれた城です。田辺城は「関ケ原の戦い」の前哨戦である「田辺城の戦い」の舞台となった城です。関ヶ原での功により嫡子忠興が豊前中津に加封されたあとは、代わって京極氏、ついで牧野氏が入り、牧野氏は明治の廃城まで10代にわたってつづきました。現在は本丸と二の丸の一部が舞鶴公園として整備されており、大手門と模擬ニ重櫓が復興されています。なお園内には歴代藩主の資料を展示する田辺城資料館があります。また、春は桜の名所として知られています。
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2018/04/22 17:55
小倉山城 (2016/09/04 訪問)
夫婦で行ってきました。
小倉山城は金森長近の隠居城として築かれた城で、別名「小倉居館」ともいわれています。金森家が無嗣断絶で改易されたことにより、わずか6年で廃城になりました。城址には遺構として石垣と土塁が現存しています。現在は小倉公園として整備されており、本丸には模擬櫓、さらに山頂には三階建ての展望台が建てられています。また、城下町は江戸時代の歴史的景観を残したまま現存しており「うだつの上がる町並み」として重要伝統的建造物群保存地区となっています。
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2018/04/22 17:52
津城 (2016/08/21 訪問)
夫婦で三重県へ日帰り旅行へ行ってきました。
津城は信長の弟である織田信包の居城として知られています。お市の方とその娘たち(浅井三姉妹)も信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしました。江戸時代には築城の名手と謳われる藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。遺構としては本丸の石垣や内堀の一部が残っています。現在は「お城公園、お城西公園」として整備されており、藩校「有造館」の正門である入徳門が移築現存しています。また、隅櫓が再建され、公園内には藤堂高虎像もあります。
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2018/04/22 17:49
岡崎城 (2016/08/17 訪問)
夫婦で岡崎市内の文化財巡りをしました。
岡崎城は徳川家康の生まれた城として知られています。「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています。現在は岡崎公園として整備され、桜の名所となっています。公園内には復興天守のほか、家康や本多忠勝の銅像があります。また1982年(昭和57年)には二の丸跡「三河武士のやかた家康館」が開館しました。
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2018/04/22 17:46
高島城 (2016/06/22 訪問)
夫婦で日帰りで行ってきました。
高島城は諏訪氏の居城として知られています。諏訪湖に突き出した水城で、日本三大湖城のひとつに数えられています。地盤が悪かったためか、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きだったそうです。また、城内に温泉が引かれていた珍しい城で、導水管やそれを支える石枡が残っています。現在は高島公園として整備されており、復興天守が建てられており、最上階からの眺望は素晴らしく、眼下に諏訪湖が広がり、天候がよければ富士山を見ることができます。
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