水口には天正13年(1585)に豊臣秀吉によって水口(岡山)城が置かれ、その城下町として発展しました。関ヶ原の合戦後に交通の要衝である水口は徳川家の直轄地とされ、宿泊地に指定されました。徳川家康はこの地を訪れた際には大徳寺などに宿泊していたようです。
寛永11年(1634)に徳川家光上洛の為の宿館として築かれ、本丸の周囲は石垣と水堀で固められ、北と西側に枡形が附けられていたようです。北に二の丸が配され、本丸の四隅の坤・乾・艮・巽の方向に櫓が建っていました。
建物の構成は京都の二条城に通じるものがあったとされています。現在は西の出丸(枡形)の部分に櫓が復元されて資料館として公開されています。山の上の水口城からごっそり持って行かれた石もどこかに残っているかも知れません。
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