伊勢亀山から桑名に入り桑名城を訪問致しました!
桑名城は、1601年に桑名へ入った本多忠勝により、近世城郭の基礎が築かれた!
本丸跡と二の丸跡が、九華公園として整備されております!
中枢部を巡っていた内堀や外堀の一部が残っており、かつての水城の面影を偲ぶことが出来ます!
本丸跡の北東角には天守台跡が有ります!
1701年に焼失した後、再建されなかった!
南東角の辰巳櫓跡たと南西角の神戸櫓跡は、築山になっています!
戦国時代の桑名三城から始まって、桑名城が本格的な近世城郭に生まれ変わったのは、本多忠勝が城主となってからで有ります!
忠勝は、戦国時代の中世桑名城をベースに縄張を行い、城郭だけでなく城下の町割全体を整備しました!
こうして、本丸、二の丸、朝日丸、三の丸からなる梯郭式平城が完成した!
さらに、大山田川と町屋川の流れを変え、外堀を利用して城下町の守りとしました!
また、城の北側には船着場を設け、東海道唯一の海上交通である「七里の渡し」となりました!
本多氏の後入った松平定綱は、大規模な改修を行った!
吉の丸、朝日丸などの南側と東側の外曲輪はこの時拡張されたもので有ります
定綱は、本丸北東隅に四重六階の壮麗な天守を新たに築き、旧天守は、隅櫓として残しました!
1701年の大火で多くの建物が焼失したが、天守以外は1710年までに再建されました!
この時点で桑名城内の建物は、三重櫓3基、二重櫓24基、付櫓24基、多門櫓12基、城門46棟であったと云われています!
松平(奥平)氏が7代続いたのち、松平(久松)氏が
復帰し、4代定敬の時に幕末を向かえました!
戊辰戦争では早々と降伏し無血開城したが、桑名藩を敵視する新政府軍により桑名城は徹底的に破壊されました!
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