弘前城から北東16㎞にある青森県青森市の浪岡城です。南北朝時代、南朝方として奥羽の兵を率い京都で北朝方の足利尊氏と戦って活躍した北畠顕家の子孫が15世紀中頃に築城したとされますが、それ以前から館として使用されていたものを城郭に拡張したもののようです。1578年津軽為信は浪岡城の有力武将であり当主顕村の叔父の北畠顕範兵の留守を狙い、忍びを城内に潜入させ攪乱させるとともに、ならず者に騒ぎを起こさせ城下を混乱させ、その間に兵2300で城を包囲、そのため内応するものも現れたため、当主顕村は降伏し、自刃したとされます。城はその後、北方にある南部方の油川城攻撃の拠点として利用されたあと、1590年代には廃城となったとされます。
城は津軽平野の北側、浪岡川と正平津川の合流部北岸の標高10mに築かれた平城で、南北600m東西1200mの大きな規模を有し、幅10~20m深さ5mの堀と土塁にで囲まれた八つの曲輪により構成されていたと言われます。廃城後の江戸時代には、津軽藩の代官所などが置かれていたとされます。現在は、史跡公園として整備され南東側の隣接した場所にビジターセンターがあり、城の歴史等の展示物やパンフレットがあります。
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