臼杵市中心部にある丘に、臼杵城あり。
今でこそ陸地ですが、当時は島(丹生島)。
丹生島城という別名はここから由来。
干潮時のみ陸続きとなる陸繋島だったそうな。
築城は、豊後国はじめ隆盛時には九州六カ国を治めた大友宗麟公。
以後、大友氏の主な本拠地へ。
南蛮船も来航し、城下町には教会などキリスト教信仰施設があり、キリスト教信者も多かったそうです。
1586年12月、戸次川の戦いにて、島津軍が四国連合軍を倒し、豊後を次々と攻めます。
そして、丹生島の戦いへ。
大友軍は、「国崩し(くにくずし)」とよばれたポルトガル製の大砲で、島津軍に応戦。
頂上の臼杵公園内に、国崩しのレプリカ像あり。
その後、宗麟公は豊臣秀吉公に九州出兵を要請→秀吉公は九州出兵を実施→島津軍は撤退を余儀なくされました。
臼杵城を死守した宗麟公は、翌1587年5月6日に死去。
のちに、息子である大友義統公が朝鮮出兵時の失態で豊後改易→福原氏が入城→福原氏が豊後府内城へ移ったのち、太田氏が入城→関ヶ原の戦いで西軍に与していた太田氏が降服→郡上八幡城主の稲葉氏が入城、以後明治維新まで15代続いたそうです。
城内には、大手門、本丸址、卯寅櫓、臼杵護国神社などあり。
市民の憩いの公園ともなっております。
JR日豊本線臼杵駅から徒歩10~15分程度。
続日本100名城スタンプは、麓の臼杵観光交流センターにあり。
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