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おもち

発掘体験に行ってきた! (2018/08/25 訪問)

静岡市主催の発掘体験に参加してきました!現在、天守台付近を発掘調査中(発掘体験に参加しなくても見学は可能)。1635年の大火で焼失して以来、天守は再建されなかった(平和な世の中になり要塞は不要だったとか)ということ。でも天守台下の方はきっちり残っていてエライ!天守台は68×61メートルと大きい!迫力ありました!ちなみに発掘を体験できるのは今年で最後らしく、貴重な体験できました。素焼きの陶器のカケラを見つけました。
復元された坤櫓(ひつじさるやぐら)にも入ってきました。床と天井の一部を外してあって、どのように作ってあるかわかり易くしてあり、親切!すべて木造で当時のままの工法で再現されていて、すごい!ヒノキの香りが良いです。係の方が説明してくれて、わかりやすいです。
駿府城公園は大きな木が多くて、歩いていて気持ちいい公園です。ベンチもたくさん有ります。かき氷と静岡おでんを一緒に売っていました。
ただ街中なので駐車場をよく選ばないと、すごい高い所とかあります。ご注意を!!

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くろもり

小山評定の地 (2018/08/12 訪問)

小山駅から徒歩10分程で本丸の下に着きました。
南北に長い曲輪を堀切で断ち切った構造は、前日に訪れた佐野城と似てると感じました。
また、西に川が流れる景色は同じ栃木県の飛山城を思い出しました。
小山市役所の北側に御殿跡を整備した小山御殿広場があり、
小山市役所の敷地内に小山評定跡の石碑が建っていました。

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丹羽長重

こんなところに発見 (2017/08/15 訪問)

四国旅行の4日目に行ってきました。
松山市駅から路面電車で道後温泉を目指していたところ、湯築城という看板があったので行きました。
よくよく見れば日本百名城に選ばれていて、危うく通り過ぎるところでした。主な城主は河野氏で歴史はかなり古かったです。
武家屋敷や庭園などがあり、武家屋敷では買った湯築城グッズに百名城スタンプなども押せて、とても記念になりました👤
残念ながらこの日はもう薄暗くなっていたので本丸はスルー。もう一度行きたいです。

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にのまる

人柱伝説あり( ;∀;) (2018/08/16 訪問)

櫓がたくさん建っているのですが現存は宗門櫓と人質櫓のみ。ホンモノはどれだ!?って感じでしたが、見ただけでは全然わかりませんでした。パンフレットには載っていますが現物の前に解説板などはなく事前学習も何もしていなかったので。宗門櫓は写真が撮りにくい事情が発生していました。
プレハブの資料館がありましたが、期間限定のようです。
大手門のスタンプは薄くてなんだか水っぽかったです。大雨の被害にあったのかもしれません。
骨組み天守は遺構を傷つけるわけでもなく、本物の天守がこんな姿にされてしまったと思う人は多分いないでしょうから、これはこれでアリだと思います(*^^*)

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オダリン

碧水城とも (2010/04/25 訪問)

徳川将軍上洛の時の宿舎として建てられた。

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オダリン

城跡は石碑のみ (2009/04/30 訪問)

浜大津港が本丸だが遺構は全くなく城跡の面影は何もないが外濠の石垣の一部がある。

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小城小次郎

箕輪城

長野業政父子の哀史を地中に秘め、幾多の大改修を経て近世城郭へと変貌する過程が発掘調査で明らかに。復元整備事業がゆっくりと進行中。

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モト

陣屋跡に残る曲輪と土塁と案内碑 (2018/08/20 訪問)

陣屋の跡に石碑と案内板があります。
僅かではありますが曲輪と土塁が残っているのが確認できます。
石碑より奥にある曲輪であろう場所まではロープがはられており入れません。
せっかくなので中まで入って少しでも遺構を確認したかったなんて思いました。

場所は野球で有名な拓大紅陵の側の住宅地の中にあります。

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まっつん

【夏とお城】岩国城 (2018/08/05 訪問)

真夏のしかも13時〜15時という一日のうちで最も暑いときに行ったので汗だくになりましたが、山頂からの景色は最高でした!!

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まっつん

【夏とお城】岡山城 (2018/08/18 訪問)

とにかく毎日暑いので、涼しい時間にお城を見ようと思って岡山城へ。
時間帯がちょうど夕暮れだったので、暮れなずむ岡山城とライトアップされた岡山城を楽しめました。

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しろはる

高鍋学‼︎ (2018/08/24 訪問)

朝、舞鶴公園へ散歩。
寒山拾得の石仏周りを日課のようにお掃除されている方から、気持ちの良い挨拶を受けました。京都から来た…と伝えると、京都東山にある住友資料館や鈴木馬佐也のことなど、たくさん教えてもらい、高鍋の資料までいただきました。舞鶴神社⛩参拝後、本丸からさらに登り、おそらく頂上あたりまで登ってみました。秋に行われる灯籠祭りの盛大さを感じる石段の石燈籠を見ながらの登り降りは、たまらんな〜。宿までの帰り道も農業高校の生徒さんからもおはようございますの挨拶を受けました。人の営みを豊かにする土台が、ここにはむかしから備わっているようです。

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alis

夏とお城 (2018/07/04 訪問)

古代蓮の里からレンタサイクルで行きましたが、蒸し暑くてヘロヘロになりました。

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青春の巨匠

孤高の城 (2018/08/24 訪問)

福井からローカルバスで40分。寂れた町中にそれは居る。小さな丘の上にポツリと居る。天守しか残っていないが、これが抜群にいい。木造で古びたただずまいが、歴史を語る。ただ、もう少し守る人間が城に関する蘊蓄を語るべきだろう。

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青春の巨匠

勝者が重ねる城 (2018/08/24 訪問)

一乗谷の朝倉氏滅亡頃、柴田勝家が築城した北ノ庄城の上に柴田勝家滅亡後結城秀康が福井城築城し、廃藩置県で松平春嶽版籍奉還後、明治政府によって県庁がその上に建てられたってこと?次は自民党王国の福井県に革新系知事が当選した時にまた県庁の上に展望台でもたつのでしょうか!

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todo94

「風林火山」の年に (2007/02/10 訪問)

諏訪氏の本拠地、上原城に取りかかる。山道を登り始めて少し行くと諏訪氏館跡の大きな石碑が見えてくる。この辺り一帯は板垣平と呼ばれる。諏訪氏滅亡後、山本勘助を取り立てた板垣信方が城代として上原城に入っている。車で行ける所までのぼっていき最後は徒歩。金比羅神社のあたりが三の郭でその裏手にある物見岩あたりが二の郭。そして山頂部が主郭となっているが、木立に遮られてお世辞にも眺望がよいとは言えない。物見岩あたりを主郭から俯瞰した写真を撮ろうと思ったが、逆光で満足な写真は撮れなかった。武田信玄の信濃侵攻の端緒としてこの城を巡る攻防があったという歴史に想いを致すことができるだけで十分であろう。

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todo94

「風林火山」の年に (2007/02/10 訪問)

諏訪市と茅野市の境界付近にある桑原城は諏訪氏の本城・上原城の支城。武田信玄の諏訪攻めで最後に諏訪頼重が立てこもり落城に至る城だ。地図にも載っている西側の道からのアプローチを試みたが、城の北側の日の当たらない道には大量の雪が残っており、ノーマルタイヤの私の車では急坂を登れるわけがない。城の東側のわかりにくい道を分け入っていくものの駐車場所に難渋してしまった。何とか空き地を見つけて車を駐め、攻城に着手。至って普通の山城だが、東曲輪に至る北側の道にはやはりかなりの雪が残っていたので注意深く登っていった。本丸より二の丸の方が諏訪湖もよく見えて眺望がよかった。

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dougen

2018.8.11登城 (2018/08/11 訪問)

善光寺平付近は、悪天候のため、葛山城から長野道に入り、松本へ。松本盆地は晴れていました。
松本駅の少し南側にその名も井川城という住所表示があり、畑の中に井川城址があります。
城址には駐車スペースがないため、近くのコンビニでパンとコーヒーを買って駐車させてもらい、井川城址に行きました。
街中の平城ということもあり、遺構らしい遺構は土塁のみでしたが、付近を田川が流れ、往時は水濠の代わりだったことが感じられます。
最近、国の史跡に指定された様ですので、今後、調査や整備がされるかもしれません。

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にのまる

大友宗麟の痕跡をたずねて (2018/08/16 訪問)

周囲は埋め立てられてしまっていますが、隅々まで歩いて堅城ぶりを感じとることができました。25基あったという櫓たちもこの城の塁線を固められれば櫓冥利に尽きるのではないかと思います。
大友宗麟のレリーフと国崩しのレプリカが堂々としていてよかったです。
臼杵駅に近い卯寅口の方から入ってしまいましたが、古橋口の方からダダダーッ=3と攻めた方が攻城気分を味わえただろうなとちょっと後悔。でも最初からやり直す気力はなかった。

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dougen

2018.8.11登城 (2018/08/11 訪問)

上信越道小布施スマートICから国道406号に出て、長野市街を抜けて頼朝山トンネルの手前を旧道に入り、県道76号を経由して葛山方面に上がって行くと葛山神社があり、登城口があります。
雨は上がっていたものの、登城道の足場は悪く、笹などの夏草も生い茂っていたため、登城を断念。
秋以降に再登城したいと思います。

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小城小次郎

岩櫃城

山頂と山麓とを縦横無尽に繋ぐ竪堀・横堀・斜堀群はまるで迷路のよう。武田氏がこの城に籠っていたら、歴史はどのようになっていたのだろう。

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