七五三・この日は、結婚式されてた方もいました。
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2018/11/10 16:40
武田神社 (2018/10/27 訪問)
七五三・この日は、結婚式されてた方もいました。
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2018/11/10 16:37
虎口 (2018/10/27 訪問)
味噌曲輪、この館の1番好きなところ。
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2018/11/10 16:36
土橋 (2018/10/27 訪問)
味噌曲輪に通じる土橋
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2018/11/10 08:46
その軍師は名ではなく作品を後世に残した。 (2018/11/09 訪問)
登城前、入口の案内板で早くも妄想と感動に耽ってしまいました。数少ない史料と伝承から調査と推察とを重ねられ、整備・公開されています。
明るく、見通しの良い城址には藪も倒木も蜘蛛の巣もなく、もちろん冷蔵庫とか電子レンジとか浴槽とかが転がっているということもありません。それどころか、複雑な折れと高低差を持ついくつもの土塁と空堀が複雑に重なり合い眼前に迫ってきて、圧倒されてしまいます。勢いだけで攻め込んだらあっという間に討たれてしまいそうです。
城主岡見氏は小田氏についていて、ここ小坂も領地争いの戦場となったようです。史上最弱と言われた小田氏治が何度も戦えたのはこんなハード面の強さに支えられていたこともあるかもしれません。
大小4つの曲輪がそれぞれに役割をもっていたと推測されています。内側に土塁がないのは曲輪間の往き来を簡単にしていざという時に仲間を守るため。L字型の2郭と主郭の関係は相互の信頼と絆の証。500年前の「土」から支え合いの素晴らしさを教えられるなんて‼︎
そうは言ってもここは戦場。1郭の柱穴と焼土は落城を物語るものかもしれないし、3郭から2郭へ土橋を渡った虎口は確実に狙われるところ(写真⑦の落書きの感じかと^^;)。写真⑧は逆に1郭の櫓台から2郭虎口を見たものですが、見通しのよさに唖然としてしまいます。(私の身長からの写真だと全然伝わりませんけど…)当時はもっと土塁も高く、堀も深かったでしょうから隠れようがないです。
その一方で二重の堀で囲まれた小さな4郭からは擂鉢や天目茶碗、土器(かわらけ)などが出土していて生活臭にほっこりしてきます。
コミュニティーバス(100円のかっぱ号)の時間に合わせて1時間くらい見学しました。「小坂城址入口」に停車しないバスでも「団地中央」から徒歩数分です。周囲は住宅地なので何かしら方法はあるはずです。公共交通機関派の方も諦めないで大丈夫、行けます。
再訪の機会があれば2郭南東の竪堀と腰曲輪を確認したいです。(忘れてるし…^^;)
ご紹介くださった方々に感謝です。ありがとうございましたm(__)m
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2018/11/10 00:54
立派な門 (2018/10/27 訪問)
明日のイベント準備をしてました。
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2018/11/10 00:31
2018/11/09 20:51
うつろ屋軍師もいたのだろうか・・・ (2015/10/18 訪問)
以前栃木県北部のお城めぐりした際、水堀が見事な棚倉城が福島県にあるのを知ってて、そのまま足を延ばして訪問しました。
数年後、小説「うつろ屋軍師」なる物を読んで、丹羽長秀の息子・長重と家臣・江口正吉のコンビのファンになってしまい、ゆかりのお城を確認したらここ棚倉城だったわけで。
丹羽長重が築城した棚倉城は今では思い入れが深いお城の1つになってます。
周囲を大きな水堀で囲まれた、日本100名城の高岡城のミニチュア版(といっても広いです)みたいな雰囲気のお城です。
戌辰戦争に巻き込まれ、板垣退助に大砲でドカンドカンやられてしまったので、かなりお城傷んでしまったものと思われ・・・
(大事な史跡を壊しよって・・・だから幕末や世界大戦は大嫌いなんですw)
今は水堀の内側の土塁は角度が緩くなってしまったものの、高土塁は健在です・・・が、水堀と土塁が防御施設のほとんどを占めている為、堀の内側にはそんなに遺構はありません。
でもそれだけでも十分に見応えあるかと。
丹羽長重が棚倉藩に転封された際の棚倉城が出来る前の拠点・赤館(城)跡が北西1.4kmくらいの距離のところにあるので、一緒に見学されたし(・ω・)b
(こちらには丹羽長重の前に立花宗茂も転封されていたので、二度おいしいかとw)
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2018/11/09 20:03
元々撫川城と庭瀬城はひとつの城 (2018/11/03 訪問)
小ぶりながらも石垣、土塁、水堀、門と凝縮されてます。
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2018/11/09 19:58
庭瀬城址の清山神社 (2018/11/03 訪問)
水堀と石垣が残ってます
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2018/11/09 19:50
城址の石碑 (2018/10/27 訪問)
狭い裏から来たので失敗、表から城址へ来れば車でここまで来れます。
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2018/11/09 19:47
城址・虎口 (2018/10/27 訪問)
中に入ると土塁に囲まれてます。
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2018/11/09 19:43
国指定史跡なのに防獣ネットてw (2014/05/13 訪問)
この時期山城の事良く解ってませんでしたが、ここが国指定史跡だった事でさぞ凄いお城なんだと思って訪問。
白山神社側だとお城がすぐ近く(そもそも当時武田八幡宮を知らなかったw)だったので、そちらから登城しようと進んだところ・・・いきなりその凄さを体感・・・初めて防獣ネットを味わいました(汗)
ネットを空け、車ごと白山神社へ突入し、ネットを閉めるw
が、神社手前で倒木の為、狭い道で恐怖のUターン・・・今思うとバックすれば良かっただけなんですが(-ω-;A
ネット先の細い道の途中に一部車置けそうなスペースがあったので、そこに車乗りあげて急いでお城へ。
ちょっとした山登りありましたが、小走りに10分弱で主郭に到着。
主郭を中心に堀・土塁・土橋・虎口等が見られました。
※主郭手前に遺構があったかどうかは解らず・・・当時今ほど知識無かったので
また、武田八幡宮方面には行っていないので、そちらにも遺構あったかは不明
以前この付近に熊が出る事は知りませんでした・・・思いっきり冬眠明けの熊が活動活発になる時期の訪問で、今にして恐ろしく思い・・・しかも後日武田八幡宮で熊遭遇したので、その恐怖は倍増です(汗)
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2018/11/09 19:02
肝試しではありません! (2018/10/27 訪問)
埼玉県の比企城跡郡のお城の中に小倉城があります。
関東では珍しい「石塁」? があるとの事。
お恥ずかしながら私は石塁、知りませんでした。石垣との違いを見てみようと向かったのですが、日が沈む事を忘れてました。
山道なのでUターンできず、ずっと暗い中「怖いよぅ」と言いながらのドライブ。
少し広くなっている所が「小倉城の入口」でした。
今回は石塁見学諦めます。
お城検定の練習問題の「3級」、赤点でした。
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2018/11/09 18:57
本郭を囲む空堀が見応えがあります。ここ良かったです。 (2018/11/01 訪問)
主郭を囲む空堀が雰囲気があります。
深さなどはそこまでではありませんが、すばらしい空堀を見れば当時の居館の姿が容易に浮かび上がってきます。
空堀にかかる土橋から主郭に行くと土塁が今度はお出迎えです。
主郭の周りの土塁もそこそこあって、これまた縄張りが把握しやすく満足できました。
二重堀も確認でき、城跡としての雰囲気を十分に感じられました。
規模は見学しやすい大きさですし、ちょっと寄ろうなんてことにも対応可能な感じです。
しかしこの空堀、土塁があるなら行って損はないと思います。
近くに行った際は通過してはもったいない城跡だと思います!
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2018/11/09 18:56
朝倉義景終焉の地 (2018/11/03 訪問)
現在の日吉神社にあったとされますが、遺構は堀跡などがわずかに残るのみ。
織田軍に追われ落ち延びてきた朝倉義景を裏切り、自害に追い込んだ朝倉景鏡の居城。
徒歩10分くらいのところに、その朝倉義景の墓所があります。越前大野城と併せてどうぞ。
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2018/11/09 18:47
名水の城下町 (2018/11/03 訪問)
推定復元の天守も悪くないものの、一番の見どころはやはり本丸の石垣でしょうか。石垣の城最初期の堂々とした野面積みはなかなか見応えがあります。
また、越前大野は名水の町として知られますが、実際、城下町を歩いているとあちこちに清水(しょうず)と呼ばれる湧水地があり、特に味覚が鋭敏でない私でも、一口飲んで違いがわかる(うまく言えませんが口当たりがまるい感じ)ほどでした。そして、その名水の恵みを受けて城下には古くからの酒蔵や味噌・醤油蔵がいくつもあり、「この感じ、飛騨高山を思い出すなぁ…」と思っていましたが、考えてみればどちらも金森長近が開いた城下町なんですね。納得。
城下町では、ご当地グルメの醤油カツ丼とおろしそばを食べ、お土産に伊藤順和堂の芋きんつばを買う…つもりが、昼過ぎには売り切れていました。残念…。
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2018/11/09 15:20
城址の入口 (2018/10/27 訪問)
ここは結構 見がいがありますよ!
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2018/11/09 12:53
土塁の上から (2018/10/27 訪問)
これだけの高低差なら十分防御になります、所々に石積も見られます。
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2018/11/09 12:49
整備された城址 (2018/10/27 訪問)
空堀、土塁、説明 等 整備されているのでわかりやすいです。
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2018/11/08 23:59
賤機山城断念記 (2018/10/20 訪問)
にのまるさんと同じく登城できませんでした(;^_^A
静岡浅間神社の上に神社があるとカミさんを騙して山を登らせていたものの、山頂手前で気付かれ、山頂から賤機山城まで25分もかかると現地の案内に書いてあり断念しました。浅間神社からだと45分かかるようです。行かれる方は時間に余裕を持って行かれて下さい。
駿府城の南西から賤機山城へ向かう途中に静岡浅間神社へ伸びる浅間通りという商店街があるのですが、商店街の入口近くに店先でどら焼きを焼いて販売している河内屋さんというお店がありました。
その場で焼いたどら焼きを食べたのは、多分、初めてだったと思います。とてもおいしかったのでお勧めです。
また、商店街の中ほどに山田長政公の胸像があります。
山田長政さんはこの辺りで生まれたとも伝わり、1612年に朱印船で長崎から台湾を経てシャム(今のタイ国)に行き、現地のアユタヤ王朝に日本人傭兵隊として仕え、官位を授かる等、大変活躍したと伝わる方です。
胸像の説明が英語で日本語が1文字もないので、日本語の説明が欲しいところ・・・
長政さんの首飾りについてタイ人の友人に尋ねるとมาลัยชายเดียว(マーライチャイディアウ)という、尊敬する人に捧げる花の首飾りということでした。長政さんはタイで「YAMADA The Samurai of Ayothaya」という映画も作られるほど有名だそうです。
遠藤周作先生の「王国への道 - 山田長政」という小説があるので、詳しく知りたい方はそちらを読むのがいいかもしれません。
しばらくすると長政さんの近くに人が集まってきたので、「人気あるじゃないか!」と思ったら、どうやらポケモンGOの人達のようで、像には目もくれず・・・
10月上旬に長政さんの縁で商店街でタイ祭りが開かれるそうです。
※2018/11/26追記
にのまるさんが念願の登城を果たしたようで、おめでとうございます!
登城の大変さのアピールの為、にのまるさんの名前をお借りしてすいませんでした(;^_^A
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