かなり幅のある水堀です。中にある土塁の直ぐ横に駐車。
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2018/11/11 13:13
水堀 (2018/11/11 訪問)
かなり幅のある水堀です。中にある土塁の直ぐ横に駐車。
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2018/11/11 13:10
案内板 (2018/11/11 訪問)
お寺さんの入口にある案内板
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2018/11/11 06:21
続日本100名城 No.159 芥川山城 (2018/11/04 訪問)
大阪府の高槻市の郊外にある三好山に築城された山城です(^_^)
スタンプ設置場所は城跡から離れた市街地にあるしろあと歴史館に行ったのですが、どうやら9月の台風で倒木が多く、私有地ということもあって復旧がいつになるのか分からないそうです( ;∀;)
城跡に行くのは復旧されるまで待とうかと思います(>_<)
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2018/11/11 02:02
天神曲輪(本丸)中央にあった標柱が抜かれてる…<泣> (2018/11/10 訪問)
上杉謙信の出世を語る上で,外せない城のひとつです。
標高246m,比高230m(公式)。天神曲輪(本丸)からは,西側に日本海,北側に弥彦山を眺望できます。ニノ曲輪下の桜広場に桜井戸があり,ここから南東側に吉傳寺曲輪,北東側に大蓮寺曲輪があります。
主郭部登城口から西方丘陵ピークには,出城として機能していたという剣ヶ峰砦があります。標高290m,比高280m(公式)。黒滝城よりも50m高所です。登城道の整備状況は良いとは言えません。悪路に加えて,倒木が2ヶ所ありました。断崖を背にまたぐところとくぐり抜けるところ。
アクセスルートは,新潟県道440号線から「黒滝城址森林公園」案内標識で左折し,舗装路を突き当たりまで。左に「黒滝城登城口」,右に「剣ヶ峰砦登城口」があります。
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2018/11/11 01:52
隆景のお陰?! (2018/11/10 訪問)
先日、日本100名城を達成して、暫くは城巡りはお休みかと思っていたのですが、いざ城の近くを通ったりすると行きたくなります。
立派な天主台が残る三原城。天守ではなく天主。これは私のミスではなく、三原城の歴史的資料には天主と記されていたそうです。信長の領域に足を踏み入れてしまったのか…小早川隆景、なかなか肝の座った人物だったのか…?
しかしこの小早川隆景、実際はかなり有能な人物で父元就の言葉を死後も忠実に守り毛利家の存続に大きく貢献しています。これについては私自身知らなかった事なのでよい勉強になった。小早川隆景はただ毛利元就の三男として成長したわけでなく、敵味方問わず一目置かれる偉人だったようです。
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2018/11/11 01:09
2018/11/11 00:39
堀切竪堀がすばらしい (2018/11/10 訪問)
越美北線牛ケ原駅で下りて徒歩にて向かいました。みくら清水近くの登場道より登城。前日雨が降り、当日も朝は雨がぱらついていたために落ち葉などが濡れていて足元が不安定でした。途中には深い堀切あり、また主郭とその手前にある曲輪周囲には見事な畝状竪堀を認めていました。南出丸まで行くと大野城撮影のためにカメラを構えているグループやトレッキング目的の人たちがいました。引き返して主郭まで戻り畝状竪堀の所から北出丸へ向かいました。ここでも見事な堀切を見ることができました。尾根を利用した城址ですが想像以上に見ごたえがありました。写真では、技量不足等によりその迫力が伝わらないのは残念。ただ水の手がみくら清水では籠城は厳しかったのではないでしょうか。
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2018/11/11 00:14
またカモシカと遭遇 (2018/11/09 訪問)
白山青年の家の裏手より登城しました。土塁や堀が残っていて、所々石垣も見ることができます。11月半ばに行きましたが草が多く茂っていてわかりにくと所もありあました。また案内標識はありましが、曲輪にも場所を示す標識があるといいと思います。もう少し整備していただけると、もっと遺構がわかりやすく、すばらしい城址になると思います。周囲が道路に囲まれたところなので油断しているているとカモシカと出会ってしまいました。他にも遭遇された方いるようなので、城址に住んでいるのでしょうか。
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2018/11/11 00:01
石垣見学のイベントに参加して (2018/10/21 訪問)
本日は、名古屋城の搦手馬出の空堀の石垣見学のイベントに参加しました!
名古屋城には、本丸馬出と搦手馬出があったのですが、現在は搦手馬出が完全な石垣が残っております!
徳川家康の命で、豊臣恩顧の大名が中心となって石垣づくりに駆り出されました!
それぞれが石垣を運んだのですが、自分達の石垣と分かるように、刻印を付けたのですね!
各大名の付けた刻印や矢穴が沢山有りました!
名古屋城の石垣は、乱積だと思っていましたが色んな積石が有りました!
石材は花崗岩が多く使われておりました!
この場所は、昨年ブラタモリで紹介されております!
また、空堀の向こうは水堀になっていて当時は渡し船で対岸に渡ってたらしいです!
また、名古屋城は台地の上に築かれていてこの搦手馬出のあたりが台地の北側で有りました!
そして、台地の南側はというと熱田神宮の先の交差点あたりとされております!
そこには、石碑があって右は東海道の江戸方面行きで、左は京・大坂方面となっています!
そこから歩いて直ぐのところに熱田の港があり、そこから桑名まで東海道は七里の海路となっていました!
有名な七里の渡しですね!
どうして、七里だけ海路を通ったのだと言うと、陸路だと大きな河川が三つもあり河川の氾濫の危険性を考えたのだった!
この大きな三つの河川は、全て桑名側に寄っている理由は、桑名側に養老断層があるためだということです!
名古屋城は、鉄壁の城になったのですね!
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2018/11/10 23:56
駅前 (2018/11/09 訪問)
松任駅の駅前の公園です。遺構はありませんね。こんもりした所が櫓の跡ですかね。
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2018/11/10 23:52
日吉神社 (2018/11/10 訪問)
遺構は堀の一部ですね。
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2018/11/10 23:50
2018/11/10 23:43
水攻め (2018/11/04 訪問)
平地故に水攻めにより完全に孤立してしまう。
廃城以降も度々水害が起こったという。
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2018/11/10 23:37
児島富士・常山 (2018/11/03 訪問)
天正兵乱(備中兵乱)で城主や女軍30余名が犠牲になった城。
女軍の墓がある。
写真は本丸の石垣。
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2018/11/10 23:37
2018/11/10 22:31
三度目の登城 やっぱり格好良い! (2018/11/10 訪問)
岸和田城はいつ、誰によって築かれたかは分かっていません。羽柴秀吉は天下統一の過程で紀州の根来寺などの勢力への押さえとして中村一氏を城主とし、根来寺壊滅後は秀吉の叔父にあたる小出秀政城主として、城や城下町の整備にあたらせました。
岸和田城は輪郭式平城で小出秀政築城当時は複合式望楼型5重5階の天守構造であったとのことです。
朝4時に家を出て、岸和田城を目指しました。23号線と名阪国道を使って4時間程で到着する予定でしたが、名阪国道で事故渋滞!
「勘弁してくれよぅ〜」と一人でぼそぼそ言いながら1時間30分オーバーで到着しましたが、久々に見た彦根城天守にも似た岸和田の天守を見てお堀をぐるりと廻りながら夢中で写真を撮りました。
しかしながら残念なことに、多聞隅櫓の瓦が割れているところもあり、八陣の庭と隅櫓との間には巨木が倒れている風景がありました。
台風の影響が今以てあるんだな〜と実感しました。
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2018/11/10 21:33
根尾中学校の向かい (2018/11/10 訪問)
登り口の階段の幅が小さく登りにくい(;¬_¬)
が…
主郭の土塁は素晴らしい
そして主郭には石垣が(?)
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2018/11/10 20:05
その他いろいろ (2013/10/04 訪問)
始めて訪問したのは2013年10月、最近は2018年7月に訪問してます。
お城めぐりで新幹線を始めて使った場所も、お城めぐりで初めて芸能人に遭ったのもここ掛川城。
その後古城の存在を知ったり、移築門が離れた場所にあるのを知ったりと複数回行ってますが、訪問する度に初見の場所があり、飽きが来ないお城です(^ω^)
皆さん沢山投稿していますので、ちょっと別角度からの写真投稿させて頂きます。
内容は写真コメントご参照ください<(_ _)>
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2018/11/10 19:49
山頂で確認できた碑と遺構 (2018/11/01 訪問)
山頂にたどり着くと城跡の碑や見てわかる遺構に出会えました。
そこまでなのか山の他にあるのか堀などもあるようですが、勉強不足で確認ができませんでした。
山頂までは階段が続き、装備の不要な軽い登山です。
情けない事に、ひぃひぃ言ってしまいました。
今度は私の運動不足です。
山頂からは登った疲れを忘れるくらいの山々の展望が見れ、爽快な気分でした。
また土塁や堀切りのような遺構が確認でき景色だけでない城跡を訪れた満足が得られました。
近くに大谷資料館があります。
石切場のようですが、地底城のような異次元空間を味わえます。
せっかくですので近くに来た際は、おススメの観光スポットです。
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2018/11/10 18:46
続日本100名城スタンプ62個目 (2018/11/10 訪問)
折角、日本最大の半島の奥深くにまで脚を伸ばすのだから、那智駅近くの勝山城にまず朝駆けをかけてみた。何の案内もなく、諦めて引き返そうかと思ったとき、鉄塔の脇に城に続いていそうな道を発見。見事な二重の横堀に守られた小さな主郭に勝山城跡地と記された木の棒が刺さっていた。
新宮城は石垣は立派だが、その勝山城より簡単に本丸に登れてしまう。おそらく往事は城内であったであろう麓に巨大な城郭建築にも見える天理教の大教会が鎮座している。
スタンプ置き場の新宮市立歴史民俗資料館は阿須賀神社の境内にあるが、周辺には駐車場所がない。何事もなければ斎場に駐めることもできそうだが、新宮城から歩いて行っても、私の脚で5分の所要だった。新宮城の駐車場も小さいので、公共交通機関利用が良いとも云えるが、青春18きっぷで紀勢本線を完乗したときは1日がかりだった。今はかなり紀勢道が整備されていて昔に比べて車でのアクセスは格段に向上している。
新宮市立歴史民俗資料館には開館時刻の9時に入館。阿須賀神社から出土したという御正体(みしょうたい)は見応えがあった。
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