福島県須賀川市の長沼城です。南北朝時代長沼氏が築城したと伝えられます。戦国時代須賀川二階堂氏の支城として城代須賀氏が置かれていましたが、1566年会津蘆名氏の侵攻を受け、長沼城は蘆名氏に奪われ、二階堂氏は蘆名氏に降伏、長男盛隆を人質に差し出したとされ、長沼城は蘆名氏家臣新国貞道が入城。その後も長沼城は、境目の城としてたびたび伊達・佐竹氏などの攻撃を受けています。1589年蘆名氏が伊達政宗に敗れ滅亡した後、新国氏は伊達氏に仕えています。その後1590年豊臣秀吉の命により奥州に国替となった蒲生氏郷の支配下に移り、蒲生郷安が入城。この時、奥州仕置きのため奥州入りした豊臣秀吉が長沼城に宿営しています。1598年会津が上杉景勝の領地となると、信濃国の長沼城より島津忠直が入城。1600年関ヶ原の戦いでは長沼城が会津と白河を結ぶ白河城後方の重要な位置にあったことから上杉氏による改修が行われたとされます。関ヶ原の戦いの後1601年蒲生秀行の領地となり、蒲生郷治、玉井数馬介が城主となるも、1615年一国一城令により廃城となっています。城は、会津と福島中通を結ぶ交通の要衝にあり、長沼町の長沼小学校北側の南北二つの丘陵を利用し、頂上に本丸、西側の一段低い場所に二の丸、本丸と二の丸を取り囲む帯曲輪の東西に、一段低い三の丸が配置され、東西300m南北200mの規模とされ、ほとんどが土塁で作られていますが、本丸北西に石垣上に三重の櫓が建てられていたとされます。遺構としては、本丸跡の稲荷神社社殿裏手に石垣の一部や土塁などが残ります。現在、城跡は本丸跡、東三の丸跡が公園となり、長沼小学校北側に駐車場があり、城説明板のところに案内図などが入った箱があります。
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