岐阜県大垣市の大垣城です。城は1535年宮川氏が築城したとも1500年竹腰氏が築城したとも言われ築城時は牛屋城と呼ばれ、本丸・二の丸に土居と堀を築いた平城とされます。尾張との国境に近く激しい攻防のため城主もめまぐるしく替わり、それとともに城は拡大改修されています。1595年伊藤祐盛が城主の時天守閣が築かれています。1600年関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成が大軍を持って城の明け渡しを迫り、伊藤氏を退城させ西軍の本陣としています。三成は東軍の徳川軍が迫ると大垣城を出て関ヶ原に布陣。一方大垣城は福原長堯を守将とし熊谷、相良、秋月などの将が7千5百の兵で守備、これを東軍の水野勝成、松平、津軽など諸将が攻撃。三の丸を攻め落としたものの、15日に関ヶ原で勝敗が付いた後も、福原らが籠城を続けたため、水野氏は相良氏などへ裏切りを誘い、これに乗った相良氏らは福原氏を除く将達を軍議を名目に呼びたし謀殺。しかし、福原は本丸に籠城を続けたため、家康は長期戦を嫌い城兵の命を助ける条件により23日に城は降伏開城しています。しかし、守将の福原氏は剃髪となるものちに切腹となっています。その後も大垣城主は次々に替わり1635年戸田氏が10万石で城主となると明治維新まで続いています。四層四階建の天守閣は明治維新後も残り昭和11年には国宝に指名されますが、太平洋戦争の空襲で焼失、現在の天守閣は昭和34年に復元されたものです。城は本丸の南に二の丸、周囲に三の丸を配し、西は水門川、東は牛尾川を利用した外堀で城下町を包み、東西1.4km南北1kmの規模とされます。現在城は、大半が市街地となり、本丸・二の丸が大垣公園として整備され復元された天守閣、艮隅櫓、乾隅櫓などがあり、初代大垣藩主戸田氏鉄公騎馬像もあります。
+ 続きを読む










