長野県諏訪市の高島城です。1542年信濃の名族諏訪氏を攻略した武田氏は、諏訪氏の居城上原城に諏訪郡代板垣氏を置きますが、中信濃攻略の拠点としてより北にある諏訪氏の支城があった諏訪市街地北方の茶臼山の高島古城を改修し郡代を置きます。武田氏が滅亡、織田信長が本能寺の変で亡くなると、諏訪氏が旧臣とともに蜂起し高島古城に入り旧領を復活、徳川家康が旧武田領を狙い侵攻してくると家康に味方し、領地を安堵されています。その後、諏訪氏は平城の金子城(諏訪市中洲)を築き移りましたが、家康が関東へ移封となると武蔵国へ転封となります。1590年豊臣秀吉家臣日根野氏が高島古城へ入城、新たに諏訪湖湖畔のこの地に、1592年新城の築城を開始1598年完成しています。城は諏訪湖と沼沢地に囲まれ衣之渡川と中門川などの川を堀とし、本丸・二の丸・三の丸・衣渡之郭を配し、金子城の石垣や墓石などを用いられたとされる総石垣造で、諏訪湖の波が石垣に迫る「諏訪の浮城」と呼ばれ、日本三大湖城の一つとされます。築城時、天守閣の屋根は瓦ではなく桧の薄い板を葺く柿葺であり、石垣は野面積みで稜線だけが加工した石を用い、地盤が軟弱なため沈下しないよう大木で組んだ筏の上に石垣が積まれたとされます。1601年日根野氏が下野国に転封になると諏訪氏が2万7千石で復活、初代藩主諏訪頼水から10代続き、明治維新により廃城を迎えています。1626年には改易流罪となった徳川家康6男松平忠輝を預かり監禁場所として南の丸を増設、忠輝は92歳で亡くなったとされます。城は廃城により天守閣など撤去され、現在は二の丸・三の丸が市街地となり本丸が高島公園として一般開放され、昭和45年には天守・櫓・門が再建されています。
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