今年続百名城に選定された新潟県妙高市の鮫ケ尾城です。いつ頃築城されたかは定かではありませんが、越後守護代長尾氏(のちの上杉氏)が北国街道監視のため1500年代に築いたとされます。謙信の死後勃発した跡目相続の争い「御館の乱」では、鮫ケ尾城主堀江氏は、上杉景虎に味方しました。しかし、景虎は景勝に敗れ、鮫ケ城へ落ち延びますが、堀江氏は景勝に寝返り、城から退去、景虎はわずかな手勢は立て籠もるも落城、自刃したとされます。城は北陸新幹線上越妙高駅南西3㎞付近の矢代川左岸の標高909mの南葉山から東に伸びた尾根の先端標高185mに築かれ、本丸、二の丸、三の丸など配し東西600m南北300mの規模とされ、二の丸からは被熱した陶磁片が、三の丸からは炭化した握り飯が出土したとされ、落城後廃城となったと思われます。城跡には土塁、堀切などが残り往時を偲ばせます。城跡は、上越市から妙高市へ向かう県道63号線から県道85号線に入り斐太歴史の里駐車場へ止め、城跡へ向かいましたが、総合案内所を通る北登城道は工事により平成29年12月末まで通行止めだったため、東登城道で城を目指しまた。城跡手前の中腹に弥生時代の空堀を巡らした住居跡の斐太遺跡があります。
+ 続きを読む










