田県横手市の吉田城です。戦国時代に秋田県南を領した小野寺景道が築城、隠居後入城したと伝えられています。城は、四方100メートルほどの平城で、横手盆地平野部のほぼ中央に位置し城の西側を大戸川流れる地に、東西南北に高さ2m程の土塁を廻らし、その4つの隅には物見櫓を配し、周囲に幅10m程の水堀があったとされます。景道は父を家臣大和田等の謀反により失い、山形庄内の大宝寺氏(武藤氏)に保護されたのち、大宝寺氏や由利諸将の支援を受け大和田らを滅ぼし、横手城を本拠に領土を秋田県南・由利地方・山形の真室川地方まで拡大、小野寺氏の最盛期を築き上げ、上洛し織田信長に会見後、家督を次男義道に譲って隠居したとされます。景道が亡くなると末子陳道が城主となり1600年関ヶ原の戦いの時、小野寺氏は山形の最上義光に奪われた秋田雄勝郡の領地奪還のため最上氏を攻撃、このため関ヶ原の戦いが終わると、最上氏や周辺大名1万余の軍勢から小野寺領西部の重要拠点大森城が攻撃を受け、同時に、大森城10km東の吉田城へ3千の軍が攻めてきます。これに対し、城主陳道は吉田城の兵5百、横手城からの援兵5百、北8kmの黒川城の5百の兵計15百で、迎え撃ち撃退したとされます。しかし、小野寺氏は反徳川とみなされ改易、陳道は南部氏をたより家臣となったとされ、佐竹氏が秋田に領地替えとなると、佐竹家臣茂木氏が城主となるも1615年廃城となっています。現在城跡は一部南側が墓地となり破壊されていますが、その他土塁が良好な形で残っています。
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