長野県飯田市の飯田城です。この城が伝承に登場するのは室町時代で、現在の城地から南西約800mの愛宕神社の場所に城を構えていた坂西氏がこの地に城を移したと伝えられています。その後、武田信玄が下伊那を制圧すると飯田城には伊那郡代として秋山信友が入城し強固に城を改修。1550年から1582年の武田氏の滅亡までおよそ33年間武田氏の支配下にあったと言います。長篠の戦いでの武田氏の大敗や木曽氏の織田への寝返りにより、1582年織田信長の武田氏攻略がはじまると、飯田城主保科正直は戦わずに逃亡、城は制圧され武田軍は高遠城以外まともな抵抗をしないまま武田氏滅亡を迎えます。その後、信長の家臣毛利秀頼が伊那全郡を与えられて飯田城主となりますが、わずか3か月足らずで信長が本能寺の変で倒れると秀頼は京に逃れ、旧武田領を狙う徳川家康の支援を受けた旧武田家臣下条氏が飯田城を掌握、その後家康家臣菅沼氏が入城しています。1590年徳川氏が関東に移封になると、豊臣秀吉から毛利秀頼が十万石を与えられて城主となり、3年後に没し娘婿の京極高知に引き継がれて、近世城郭に改修されたとされます。1600年関ヶ原の合戦後、京極氏が去ると小笠原秀政が入り、1613年秀政が松本城に移ると1617年脇坂氏が入ります。その後堀氏が1672年に城主となると明治にいたる200年弱当地を治めています。城は天⻯川の⽀流の松川と野底川にはさまれた台地の先端部分に築かれた平⼭城で、東から山伏丸、本丸、⼆の丸、桜丸、出丸、三の丸を配していました。現在、本丸は長姫神社、⼆の丸は飯⽥市美術博物館、藩主居館のあった桜丸は県合同庁舎・中央図書館、出丸は追手町小学校、三の丸は商店街となり、遺稿としては、本丸神社境内に土塁と石垣、⾚⾨とも呼ばれる桜丸御⾨が中央図書館裏に、搦手門の水の手御門跡に石垣などが城址に残り、移設されたもので市内松尾久井の民家に、二の丸二の門の⼋間⾨が、桜丸の⾨が市内の経蔵寺山門に現存しています。
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