福島県猪苗代町の猪苗代城です。いつ頃築城されたかは定かではありませんが、芦名氏一族がこの地を与えられ猪苗代氏を称し、この城を築いたとされます。猪苗代氏は宗家芦名氏とたびたび争い、やがて芦名氏に従ったものの、伊達氏の勢力が強くなると伊達氏に帰順。これを怒った芦名義広は1589年1万6千の兵を率い猪苗代城へ迫り、これを聞き伊達政宗も2万三千の兵を率いて、両軍は摺上原で激突。当初西風により風下の伊達軍は苦戦していましたが、東風に変わると形勢は逆転。芦名方は総崩れとなり、芦名義広は黒川城へ撤退。伊達軍が迫るや佐竹氏を頼って落ち延びたとされます。伊達氏が会津を離れると猪苗代氏も従い、会津を領した蒲生氏が猪苗代城を近世城郭に改修したとされます。その後、領主は次々と替わり1643年会津に保科氏が入封すると城代が置かれ、若松城が鶴ケ城と呼ばれたことから亀ケ城と呼ばれたとされます。戊辰戦争では新政府軍が国境を突破すると時の城代高橋氏は城を焼き払い若松城へ撤退。これにより廃城となっています。現在は亀ケ城公園として整備され、石垣や土塁などが残り往時を偲ばせます。城は猪苗代湖北岸の磐梯山麓の半独立丘陵に築かれた平山城で頂部に本丸、二の丸、周囲に帯郭を配し土塁で囲まれ東西200m南北250mの規模となっており、大手口は石垣で固められた桝形虎口となっています。猪苗代城から北西に続く丘陵には猪苗代氏の隠居城と言われる鶴峰城があり、近世城郭へ改修されなかったため中世城郭の面影が残っています。
+ 続きを読む










