りゅうおうざんじょう

龍王山城

奈良県天理市

別名 : 龍王城
旧国名 : 大和

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北城の大堀切
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しんしんちゃん

松永氏の勢力に組み込まれた十市氏の城 (2021/04/04 訪問)

龍王山城は大和の五大豪族・十市氏の城で、後に十市氏が松永久秀に降った際には松永方の
戦力として組み込まれ、信貴山城で松永一族が滅んだ際に龍王山城も破却されたとされます。
異なる頂に南城と北城の二つの城が築かれ、南城の方が早く築かれたとされます。
南城、北城と呼ばれますが実際には北城からやや南東側300mあたりに南城が存在し、南城の
郭は最北の郭から南東側に直列に配されていて、最高部に本丸が築かれ北城より眺望に優れています。
周囲にも郭があるようで、西側の馬ヒヤシと呼ばれる場所には柳本龍王社が祀られ、小さな
ため池があります。城郭としての完成度は北城の方が高く、最高部を本丸とし山腹部や尾根上に
多くの郭が配されています。北側は尾根が多く枝分かれしており、南北の城を俯瞰で見ると
南城の南東端を人体の肘に例えるのなら北城は北西に開いた掌に近い形状をしています。
南城を北城の出城として機能させれば、より強固な山城となることは間違いなく、松永氏の
勢力下にて信貴山城に次ぐ重要な城であったとされるのは得心のいくところです。

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キンヤ

十市氏の詰城 (2022/05/15 訪問)

北城に続きまして南城を投稿させて頂きます。
北城よりも高い位置にある詰城とされます。

東西に郭が連なっています。
主郭に到着するとハイカーの方が沢山おられ驚きました。
主郭からの眺望が素晴らしいです。
主郭の東側は三本の深い堀切で厳重に防御されており、見応えがあります。
南側下には枡形、横堀が見られ、思っていたよりもテクニカルな城でした。

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キンヤ

十市氏の巨大な居城 (2022/05/15 訪問)

大和で有力な豪族の十市氏の居城です。
一時期は秋山氏が入り、松永久秀に侵攻され改修が加えられたとの説もあり、松永氏滅亡後に廃城となったとされます。

大和で最大級の山城で北城と南城に分かれますが、まずは北城を投稿させて頂きます。

10年前にも行きましたが、雨が降って来て途中で切り上げた為、3分の2程度しか廻れませんでしたが、今回は大体廻れ、巨大な山城であることが体感できました。

搦手の南虎口から登って行くと、喰違いの土塁があり、主郭まで何度か折れ両側の郭から横矢が効いてテクニカルで防御が厳重です。
広い主郭から北西側下には4段の連続郭があり、上から2段目の郭は土塁に石垣も見られ、他の郭とは違ってました。
西ノ大手丸の北側には堀切や竪土塁、五人衆郭の北側には横堀・土塁や竪堀などが見られます。
主郭の北東下には城内で最も大きな堀切があり圧巻です。
太鼓ノ丸の南西下には見辛いですが、畝状竪堀群があります。
広大な縄張りで見所が多く、見応えがある城でした。

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ぴーかる

龍王山城北城 (2021/12/04 訪問)

【龍王山城北城】
<駐車場他>北城登城口駐車場5台程度分あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・竪堀・石垣跡・堀切
<感想>南城からの続き、龍王山城は城主の十市氏が属した筒井氏や松永氏、諸勢力に城を渡してしまうことがあり、十市遠勝は娘(御料)を松永久秀に人質として差し出します。遠勝死去後の信長時代には十市氏は筒井派と松永派に分かれますが松永久通と御料は祝言をあげて松永久通は反対派を切り従えて龍王山城の城主となります。松永久通はご存じの通り父久秀と共に信長に謀反して最後は信貴山城かまたは龍王山城とは別の城で自害したとの説があるので結局龍王山城は合戦の場となることなく1578年信長の命により廃城となりました。

 北城は主郭を中心として四方に放射状に曲輪を配した縄張りで曲輪内部にはほぼ土塁を装備し、食い違い虎口や畝状竪堀があり南城と比べ北城の方がはるかに防御性は高いです。随所に石垣跡も残っています。
 ここへは現地看板の北城略図か個人ブログの方の縄張り図が詳細なのでそれを頼りに攻めるのが良いでしょう。城跡の説明をするとものすごく長文になるので主郭のみの説明をします。主郭はやや逆L字状の広い削平地で北側と東側に石積みの土塁跡があります。東側真ん中辺りに櫓台のような跡があります。虎口は南側が少し窪地になっていたのでそこかなあという感じで明確ではない。主郭を含む城跡の南半分は比較的巡り易いが主郭より北半分の曲輪群は未整備ぎみで行くには竪堀を伝って行くのがいいでしょう。ここら辺はストックがあった方がいいです。
 南城で1時間、北城でたっぷり3時間堪能しほぼほぼ遺構は巡りました。満足度は溢れ、ただただすごいの一言、百・続百名城に負けてない城跡でした。南城ともに読んでくださった方、長文のお付き合いありがとうございました。お勧めです。

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 十市遠忠
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 松永久秀
主な城主 十市氏、秋山氏、松永氏
廃城年 天正6年(1578)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、竪堀
住所 奈良県天理市田町、柳本町/桜井市笠
問い合わせ先 天理市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0743-65-5720