きむれじょう

木牟礼城

鹿児島県出水市


旧国名 : 薩摩

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木牟礼城訪問

木牟礼城訪問

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しんちゃん

島津氏の南九州支配の原点ともいえる城。 (2023/01/04 訪問)

島津家の祖、惟宗忠久が建久8年(1197)薩摩、大隅、日向の三国の守護(地頭とも)に任じられたとき
島津荘を本拠に定め島津左衛門尉と名乗ったと伝わります。
そして家臣の本田貞親をこの地に派遣し、貞親は山門院(やまとのいん)に木牟礼城を築城したそうです。
島津氏は5代、貞久の代でようやく薩摩に移り住み、碇山城(薩摩川内市)に守護所を移します。
やがて島津総州家と島津奥州家の内紛が起き、総州家が滅ぼされると木牟礼城も廃城になりました。
島津氏の南九州支配の原点ともいえる城ですが、現在は土盛りが残るのみで
これが削り取られた郭のなごりか、土塁の一部なのかは不明です。
周囲を散策して、かつての城の姿はどうであったか、いろいろと想像を膨らませてみます。
ちなみに出水市のサイトによると、当時の出水は和泉郡と山門院に分かれていたと記述があることから
山門院とは薩摩の入り口に当たる、ここの地名を指していると思われます。
江戸時代には野間之関所が置かれ、薩摩への入り口を厳重に守っていました。

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織田晃司

国道3号沿いの (2019/07/25 訪問)

小高い丘が木牟礼城跡です。

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todo94

篤姫紀行 (2008/01/26 訪問)

篤姫紀行に出てきた木牟礼城。塚のような小丘の上に城址碑が建っているだけなのであるが、守護島津氏の家臣が常駐し、島津氏三州支配の基礎となる城なのだそうだ。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 本田貞親
築城年 文治2年(1186)
主な城主 本田氏、総州島津氏
遺構 堀跡
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑
住所 鹿児島県出水市高尾野町江内小字尾崎
問い合わせ先 出水市役所
問い合わせ先電話番号 0996-63-2111