栃木県那須烏山市の烏山城です。1417年那須氏一族の資重により築かれたとされます。それ以後那須氏の居城となり北の葦名氏、東の佐竹氏からたびたびの侵略を受けるも小田原の北条氏と結び勢力安定を図っています。1590年の豊臣秀吉の小田原征伐では、下野で唯一参陣せず、所領没収・蟄居となっています。その後、信長の次男で秀吉の命による尾張からの国替を拒んだ織田信雄が秀吉の怒りを買い佐竹氏預かりの身として2か月烏山城主となり、のちに秋田へ流罪。そして、のうぼうの城で有名な忍城の成田氏が2万石で城主となりますが、お家騒動により改易、その後は数々の領主が入れ替わり1728年大久保氏が領主となると明治維新まで続いています。城はJR烏山線烏山駅北西1.5㎞の那珂川西岸の標高206mの八高山に築かれ本丸(二の丸)、古本丸(本丸)、中城、北城、西城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪の郭が配され、五城三郭と呼ばれる8つの曲輪が置かれ東西350m南北600mの規模とされます。江戸時代に入り麓に三の丸が増設され藩主の居館が置かれています。現在は那珂川県立自然公園の中にあり本丸入口付近の石垣、常盤曲輪の石垣、各丸の間の堀切などの遺構が残り往時を偲ばせます。国道294号沿いの寿亀神社(三の丸)入口から入り、神社前を左に進み道路終点に車を止め、山道を歩き本丸を目指せます。
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