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カルビン

先週訪問未遂した場所 (2016/07/24 訪問)

当初12/15に再訪予定だった三原城、睡眠不足と寝坊の為に訪問延期になりました(汗)
来年初旬には行きたいな・・・と言う事で再訪を期して一昨年訪問した時の写真を掲載します。

新幹線のホームが石垣の上に乗っかっている形で、なんとまぁ・・・(何も言えねぇw)
それまでは駅から最も激近なのは福山城だと思っていたのに、まさか同じ広島県でそれを上回る、駅とお城が同化している場所があるなんて。。。笑うしかありません(^ω^;)


新幹線の駅が乗っかっている本丸跡の石垣を囲うように水堀がありましたが、当時堀外・西側をなにやら工事していたんですね。
もしかしてその時には既に続100名城の候補地に挙がっていて、急ピッチに整備が進められていたのかもしれません。

同じく駅の西側には隆景広場なる場所があり、そこに小早川隆景の座像があります。
名将と謳われる小早川隆景ですが、こちらにあった座像は既に晩年のものと思われ、かなり年老いて疲れたような顔でした。

他にも駅南側には船入櫓跡の石垣や、臨海一番櫓跡の石垣や本丸中門跡の石垣等々、転在ではありますがそれなりに大きな史跡がありますので、欠かさず見学したいところです。

勿論本丸跡公園にも無料で入れますが、一応時間制限(6:30~22:00)があって夜中は入れませんのでご注意を。
(そんな時間にお城に行くのは自分くらいしかいないでしょうがw)

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マルボロマン

のぼうの城 (2015/01/03 訪問)

正月三が日は入れませんでした。

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朝田 辰兵衛

夕方は最大の撮影チャンス。 (2017/08/28 訪問)

桜門の間から蛸石と天守を臨むラインに全く障害物がありませんでした。

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赤い城

城山公園となっていますが遺構は未整備 (2018/12/24 訪問)

桶川駅から徒歩で50分。
城山公園として整備されています。
公園南側の駐車場横にある林に遺構がありました。
ただし、公園と違って整備はされていません。
上杉と北条の石戸城争奪戦の際、城砦として利用されたそうです。

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赤い城

上杉と北条の争奪が繰り返された城 (2018/12/24 訪問)

北本駅から徒歩で50分。
北本市自然遊歩道の一部となっています。
一夜堤の説明板がある他、曲輪や土塁が残っていますがほとんど私有地で薮化しています。
近くには石戸蒲桜のある東光寺もあり、主郭のある道路も桜並木になっていますので春に訪問するのが良いかも。

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マルボロマン

自分が一番好きなお城 (2012/09/22 訪問)

東京からも比較的近くなので訪問しやすい。女性の方はズボンで行きましょう。階段から急です。松本城に訪れたら必ず食べる山賊焼きが絶品。

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マルボロマン

城巡り開眼也 (2012/08/20 訪問)

東京から思い立ってバイクで1人で行ったお城。地元の中学生が夏の思い出と友達と来ていて写真撮ってあげました。スマホナビの使い方が分からず迷子になったなぁ〜。

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チェブ

お城Expoの帰り道。 (2018/12/22 訪問)

お城Expoの初日、「小机城」のブースがあり、「よろしくお願いします。」のお姉さんの声に「これから行ってきます!」と返事しました。

横浜のおしゃれな都会のイメージで行ってしまったのですが、立派な平山城でした。
駐車場は駅周辺か歩いて15分くらいの所にコインパーキングがありました。
「小机城址市民の森」を目指して歩けば「目的地周辺」です。
ちなみに、続100名城で私が失敗してしまうのがスタンプです!小机城も駅前の区民センターです。

深ーい空堀、よくぞ残っていてくれました。
本丸には雨避けのブルーシートがひいてあり、市民の皆さんのレクリエーション広場で使われているみたいです。
本丸で野球やゲートボール、うらやましいです。

お城Expoの開会の言葉に小和田先生、お城の整備をしてくれているボランティアさんのお陰で私達は見学できている。感謝です。(こんなニュアンス。)

本当にありがとうございます。その通りだと思います。
昨今、外国人や皇居ランナーのマナー、落書きは悲しくなります。
私も今以上にお城巡りのマナー向上を心がけます!

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三河のかづ

岡崎城 鏡石 (2018/12/22 訪問)

12月22日に石垣を巡るイベントがあり鏡石を間近で見てパワーをいただいてきました。

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Moss

長篠城

写真がない。

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Moss

浜松城

浜松城は、続100です。

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Moss

山中城 (2018/12/04 訪問)

真面目に歩くと、2時間かかります。

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天下太平

姫路城 (2018/08/26 訪問)

姫路城は、白鷺城(しらさぎじょう または はくろじょう)と、呼ばれるほど、白かった。

その時は、夏で、すごく暑かったけど、霧みたいなものがでていたから、まぁ、大丈夫だった。

天守閣🏯は、姫路駅から、商店街みたいなトコを抜けたらある。バス🚌も出ている!👍

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孔明

四稜郭 (2007/08/27 訪問)

土塁の遺構がしっかりと残っていました。

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孔明

五稜郭 (2007/08/27 訪問)

2度目の登城。タワーからの眺めは素晴らしかったです。

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まっつん

安芸熊谷氏の最初の本拠地 (2018/12/23 訪問)

皆さんは源平合戦(治承・寿永の乱)の「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実という武将をご存知でしょうか。
武蔵国熊谷郷(今の埼玉県熊谷市)を所領とした彼の子孫が、承久の乱の戦功として鎌倉幕府から安芸国三入荘を与えられて最初に本拠地としたのがここ伊勢ヶ坪城でした。
伊勢ヶ坪城は三入荘の北部に位置します。
根谷川を天然の堀とし、その東岸の山から南西に細長く伸びる尾根(比高30m)を堀切で断ち切り、南西の尾根の先端に向けて4つの曲輪を配置した連郭式の山城です。
時代はやがて戦国乱世へと移り変わり、熊谷氏はより堅固な三入高松城へと本拠地を移していきますが、伊勢ヶ坪城はその後も隠居城として存続したといわれているそうです。
熊谷信直の頃、当時従属していた安芸武田氏から離反して毛利元就に与し、それ以後、熊谷氏は毛利氏の家臣となりました。
熊谷元直の代で関ヶ原の戦いに敗れ周防・長門の二国に移封された毛利氏に従って萩へ移ったため、伊勢ヶ坪城も三入高松城も廃城となりました。
さて、アクセスですが、Google Mapで検索すると伊勢ヶ坪城展望台と出たので車で行ってみると、城の入り口付近のお墓の近くに車を停めることができました。また、麓の大林八幡宮の駐車場から徒歩で上がっても比高30mほどなので全然大丈夫だと思います。
とにかくきれいに整備されていて、地元の人の愛を感じました。

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課長

人間無骨 (2018/11/24 訪問)

今回は遠望でしたがこれもまた善し。

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課長

城の面影 (2018/11/11 訪問)

九華公園内の水堀や復元された蟠龍櫓、外堀石垣などに往時を偲ぶことが出来ます。

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たかりん

そりゃ反乱も起きるよ (2017/09/30 訪問)

お城に興味を持ち始めた頃は、「大大名がいないのだから、観光目当の模擬天守」と思ってましたが、資料に基づく外観復元と知りびっくりした記憶があります。そんな島原城、車ではるばる登城、地味に驚いたのは本丸西側から明らかに後付けの車道で直接天守直下まで乗り付けられるという、「城=天守」というライトな観光客には嬉しい構造(笑)だったことです。普通、この規模の城だと三の丸跡あたりが駐車場でそこから歩かされるのが定番です。どうせ一周するマニアには関係ないんですが(笑)。直下から見上げると天守台石垣はそれほど高くなく、単純に構造物がデカい、五重五階で全高33mだそうです。破風などの飾りが一切なく、シンプルな層塔型天守です。他にも復元ながら三基の三重櫓を本丸の各隅に配しており、一度城外に出て広い内堀の外から眺めると高石垣と相俟ってなかなか重厚なフォルムです。しかしこれ、当時の城主松倉家の身代4万3千石、どう考えても明らかに分不相応です。まあ悪名は無名に勝る、少なくともマニアの間にはその名を島原城とともに遺した同家に鎮魂の意を捧げます。

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課長

城域まで (2018/12/01 訪問)

麓から結構な登りの果てに魅惑的な土の城が!なお季節を誤ると蛭地獄のようなので要注意。

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