小折城ですが、生駒屋敷跡と言った方が地元の方には通じるかもしれません。
生駒氏(いこまし・奈良県の生駒が本拠だったそうです)と言えば、豊臣政権下の三中老の一人で、香川県にある高松城の築城と丸亀城を改修した生駒親正(いこまちかまさ)が有名なので、ここの城主は若き日の生駒親正かと思っていたのですが、生駒親正は生駒氏の分家である土田生駒氏(どたいこまし)だったそうなので、ここの城主ではなく、宗家の生駒利豊(いこまとしとよ)さんが城主でした。利豊さんなんと96歳まで生きたそうで、晩年は平和な江戸時代なので、戦国時代の実体験記を聞きたい若武者に囲まれながら若い頃の戦物語なんかをしていたのでしょうか。
小折城址に遺構は残念ながら見当たらないのですが、生駒氏の菩提寺である久昌寺(きゅうしょうじ)に生駒宗家の墓と織田信長の側室・吉乃の墓があります。
城址の西にある龍神社(吉乃の次男・織田信雄(おだのぶかつ)の守護神だそうです)に埴原(はいばら)塚があり、埴原て珍しい苗字何かの本で見たなと思ったら、織田信長の家臣の埴原加賀守常安の屋敷跡がこの近くにあり、その埴原常安の葬地だったそうです。龍神社の前には吉乃御殿跡もあり、所々に往時を偲ぶことができました。
城址からは少し離れますが、カルビンさんの投稿の通り、布袋駅の北西の広間医院に生駒屋敷の中門が移築されています。広間家は生駒家のお医者さんだったそうです。場所が分からない場合は「広間医院」さんを目指して行けば、大丈夫だと思います。
小折城址は久昌寺とその北側の公園に計10台程の駐車場があるので、車で訪問される方はそちらに止めて久昌寺にお参りしてから小折城址碑のある保育園等、周辺の散策をしたらよいと思います。移築門がある広間医院さんの近くは道も狭く、駐車場もないので、車での訪問の場合は布袋駅前のパーキングを利用した方がいいかもしれません。
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