埼玉県寄居町の百名城の一つ鉢形城です。山内上杉氏の家宰長尾景信が1473年古河公方との戦いで陣没、山内上杉氏は景信の弟忠景を家宰としたことから、景信の嫡子景春が反発、1476年鉢形城を築き反乱を起こしたとされます。景春は山内上杉軍を大いに破り武蔵国から山内上杉氏を上野国に追いやりますが、これを見た扇谷上杉氏の家宰太田道灌は武蔵攻略の好機とみて鉢形城を攻撃、攻め落としています。その後小田原北条氏の川越城の夜戦などにより武蔵は北条氏が制圧、鉢形城は北関東支配の拠点として整備拡張され、北条氏康の四男氏邦が城主として入り、その後の武田信玄や上杉謙信の鉢形城攻撃にも耐えています。1590年秀吉の小田原征伐では前田利家・上杉景勝等の北国軍3万5千の大軍に包囲され、北条兵3千が1か月の籠城戦を戦ったのち降伏開城しています。城主であった氏邦は前田利家の助命懇願で一命を許され、戦後、前田家で過ごし57歳で亡くなり、人望の高さから葬儀には多くの人々が参列したとされます。徳川氏が関東に移封すると成瀬氏等が代官になり統治しています。城は荒川と深沢川に挟まれた断崖上に築かれ本曲輪、二の曲輪、三の曲輪の外複数の曲輪を配し東西600m南北700mの規模を有していたとされます。城跡は現在鉢形城公園として整備され、遺構として堀や土塁が残り、馬出・石積み土塁、四脚門などが復元され、また鉢形城歴史館が建設されています。
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