河合城から南西に位置し、車で10分もかからなかったと思います。『夢の森公園』として整備され、駐車場も完備されており、とても行きやすい城跡です。
何度か行ったことあるのですが、何せ河合城からご近所であるし、ついでに寄ってみました。
そしたら、行楽日和とあって15台分ぐらいの駐車場はほぼ満車!それでも何とか一台分が空いてたので駐車。沢山の行楽客の方々で賑わってましたよ。
見所といえば、何といっても西郭と主郭の間を分断する大堀切でしょう!幅は何と20メートル、深さは11メートルにもなるといいます。三方を急な傾斜で囲まれ、唯一の弱点となる西側を堀切で補うといった形ですね。とはいえ、大群で囲まれたらひとたまりもなさそうですが。
そして見晴らし!山麓の河合郷はもちろん、当時重要な水運路線だった加古川も一望出来ます。山上の風、やっぱり気持ち良いですね。
今建っている門や柵、物見櫓などの建物群は、復元というよりイメージ再現ととらえたほうがよいかもしれません。それでも平面表示などもあって当時の様子がよくわかります。
あと、現状では西郭から木橋を渡って主郭に入るのですが、当時はこんな便利なところに虎口なんてありません。当然真っ直ぐには入れません。
木橋を渡りきってすぐに左に、右から来る攻撃に晒されながら細い細い道を歩かされた先に本来の虎口があるのです。
あと、城の名の由来となった『金つるべ』があったであろう水の手が、発掘調査でもまだ見つかってないようです。したがって、主郭にある井戸は一切関係ありません。
ちなみに、この城の歴史ですが、実はあまりはっきりしません。
築城年代は不明、廃城年代も不明。
わかっていることといえば、国人領主中村氏の居城で、防御の場であり、生活の場でもあったようです。
その中村氏は赤松氏の家臣で、嘉吉の乱(1441年)で赤松満祐に従った故に一時没落したが、後に赤松氏再興に尽力した結果、河合郷を与えられたという。おそらくこの頃に築城されたのでしょうか。
しかし、天文八年(1539年)赤松晴政によって中村与次郎の西河合の所領が別府源三郎に与えられ確執が発生、中村氏と別府氏との争いの結果、金つるべ城は落城し中村氏は滅んだという。
以後は別府氏の持ち城となったらしいが、それからは不明。おそらく播磨攻めの際に落城したと思われます。
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