千葉県富津市の佐貫城です。15世紀中頃総州長尾氏が築いたとも上総武田氏が築いたとも伝えられますが、上総武田氏の城として武田氏家臣の加藤氏が城代を務めていた1537年、里見氏の攻撃により里見氏の城となります。以降、北条氏と里見氏の攻防の場となり、数度、北条氏の城となったり里見氏が奪還したりしますが、1563年里見義弘が北条氏より奪還以降、里見義弘の本拠となっています。1590年秀吉の北条征伐で里見氏が上総を減封となると、、関東を与えられた徳川家康の家臣である内藤家長が入城、以降、数々の城主が入れ替わったり、廃藩廃城となったりしましたが、1688年五代将軍徳川綱吉の側用人として重用された柳沢吉保が一万五千石で立藩、1694年柳沢氏が武蔵川越へ転封となると再度廃城。1710年阿部氏が三河刈谷から移封され、佐貫城を再興し、明治維新まで続いています。城は、北上川と染川に挟まれた丘陵に深い谷が入り込んだ地形となっており、丘陵の尾根に本丸、二の丸、三の丸を配し、本丸と二の丸の間に大きな空堀と、幅4m高さ3.3m長さ10mの土橋が架けられ、城は東西400m南北500mの規模であり、佐貫は古くから複数の街道が交わる交通の要衝であり港町があったことから経済・交通の中心となっていたとされます。遺構としては、土塁や空堀、井戸等が残り、また、上総国では珍しい大手櫓門跡の石垣も残っています。佐貫中学を過ぎ県道を東に進むとカーブ付近に案内板が立ち、大手門跡へ上がる階段があり、大手櫓門跡の見所の石垣があります。
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