JR盛岡駅から南約20kmにある岩手県紫波町の高水寺城です。標高180mの独立丘陵に築城されたこの城は斯波氏の累代の居城です。足利尊氏に奥州管領に任ぜられた斯波家長がこの城を本拠とし奥州の北朝方として活躍しています。室町時代になると斯波郡の領主として地位を確立、格式の高さから斯波御所と呼ばれたとされます。戦国時代に入ると南下攻勢をかける南部氏と争うようなり、1549年には岩手郡の雫石方面を攻略、雫石城に二男を、三男を猪去城に置き支配下を拡大しています。しかし北の南部氏の侵攻を受け次第に劣勢となり、また、配下の反乱が起こるなど弱体化、これを見て、1588年南部氏当主信直みずからが出陣、斯波氏は防戦するも南部氏の攻撃を受け滅亡しています。高水寺城を占領した南部氏は郡山城と改称、城代を配しましたが、居城として築城していた盛岡城築城に難航、一時この城を居城としています。しかし、盛岡城が完成するとこの城の建物は盛岡城に転用され、1677年廃城となっています。本丸(御殿)は東西60m南北120m、本丸の東南に二の丸(若殿屋敷)があり東西50m南北100m、本丸の北東に三の丸(姫御殿)があり東西30南北60mの規模で各丸には段状に腰郭が配され、城全体は東西700m南北1200mと大きな規模とされます。現在城跡は城山公園となっています。
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