千葉県館山市の館山城です。1580年里見義頼により築城されています。1614年里見氏は大久保忠隣事件で嫌疑をかけられ改易となり館山城も廃城・破却されています。その後1781年稲葉氏が館山藩主となるも城を再建することなく、城の麓に陣屋を構えたとされます。城は、標高75mの城山山頂に天守閣を持つ本丸、二の丸の外、複数の郭を配し、麓の総構に、飛び地の鹿島領民が造ったとされる鹿島堀が廻らされていたとされます。現在城跡は、里見氏改易後破却され、さらに、本丸・二の丸が戦時中高射砲陣地を築くため大きく削られたため、遺構はほとんど残っておらず、現在、本丸跡に模擬天守が建てられ博物館として利用され、有名な架空の物語の南総里見八犬伝関係が展示されています。里見氏関係の歴史は、麓の市立博物館に展示されています。また改易後、伯耆国倉吉に配流となった里見氏は倉吉で死去、このとき殉死した八人の忠臣の遺骨が密かに持ち帰られ葬られた、八遺臣の墓が模擬天守から南側の義康御殿跡の梅園の先の城山中腹にあり、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」はこの八人をモデルにしたと言われています。その先の麓には、館山藩陣屋跡に古く小さな神社が祭られ、その先の城山の南東の慈恩院門前に鹿島堀が一部残って言います。
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