青森県八戸市の八戸城です。八戸市では百名城の根城が有名ですが、八戸城は、江戸時代に新たにできた八戸藩の居城です。馬淵川・新井田川の形成した沖積平野に突き出した洪積台地の先端部を利用して築城されています。城は1334年八戸に根城を築いた陸奥国司北畠顕家の国代南部師行の孫の信助が築いた仲舘が始まりとされています。戦国末期に三戸南部信直が豊臣秀吉から南部七郡の領主として認められ、その子利直が1627年根城の八戸南部氏を遠野に移し、八戸を直轄地とし二重の堀を廻らした当城と城下町を新たに普請しています。しかし、1664年盛岡に移った南部氏の当主重直が世継ぎを定めないまま没し、徳川幕府の将軍家綱が次弟重信に盛岡八万石を、末弟直房に八戸二万石を与え八戸藩が誕生。後に本格的な整備を行っています。明治維新後、廃城となり1878年城跡に三八神社が創建され今にいたります。現在、三八城神社や三八城公園となっている所が本丸で周囲を土塁と堀で囲み東西150m南北200mの規模だったとされます。八戸市役所やおがみ神社のあたりが二ノ丸で、その周囲に三郭があったとされ、三八城とは三戸郡八戸城との意味だそうです。城跡は市街地となっているため遺構はほとんど残っていませんが、市役所駐車場向かい側に県文化財指定の八戸城角御殿表門が残っています。
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