山上ノ丸は、吉川経家時代までの城郭を、豊臣秀吉の命で宮部継潤が入城して石垣で固めるなどの大改修を経て、関ヶ原の合戦後に池田長吉が入ってからも改修を加え、現在までに残る縄張となったようです。
戦国期から堅城として広く知られていたようで、それが所謂『鳥取城渇え殺し』につながることとなるのですね…。
山下ノ丸からは約20分の登山です。
八幡宮跡を過ぎてからは結構な険しさの山道が続きます。流石は戦国時代から評判の堅城、易しい筈がありません。加えて雪解けで足元は滑りやすく、ぬかるんでるところもあります。今の季節、特に御用心を。
なお、中腹には宮部時代の石垣や戦国期のものと思しき平坦地、江戸から鳥取を三日三晩往復した伝説を持つ狐様を祀る祠などがあります。
山頂の本丸跡と出丸跡の石垣は、荒々しくも想像以上に立派なものでした。やはり山下ノ丸とは全然違って、どことなく戦闘的な雰囲気を色濃く感じます。
ここからは秀吉本陣の太閤ヶ平跡がある本陣山が目の前に。吉川経家、どんな思いで見てたでしょうね。
本丸跡の大井戸跡は池田長吉時代に3年もの歳月をかけて掘られたのだとか。山城の、しかも本丸の水源となると、その重要性は察して知るべし。関ヶ原後も豊臣はまだ健在なので、このあたり微妙な情勢の中で実戦を想定した緊迫感が伝わります。
天守跡からは、市内はもとより、360度パノラマ遠望です。日本海や砂丘もよく見えます。
ちなみに今残る天守台の上には、宮部継潤が築いた三層の天守が建っていたそうですが、後に三階部分の傷みが激しかったのか、池田長吉によって二層に改められました(おそらく望楼型天守?)。こけら葺きか板葺きで、穴蔵があり付櫓から入る形式だったようです。が、それも後に落雷によって焼失してしまい、以降は再建されることはありませんでした。
ここから太閤ヶ平跡に向かうハイキングコースがあるのですが、今回は時間の都合上断念。一泊二日なら絶対行くんやけどなー…
山下ノ丸へ戻り、復元された城門を潜り、仁風閣へ。
ここは元々、江戸時代後期に藩主の未亡人(この時、まだ17歳だったそうです…)となって落飾した宝隆院を慰めるために建てられた扇御殿のあったところ。
今は美しい庭園と宝隆院が特に愛した化粧の間(宝扇亭)が当時の面影を残しています。
仁風閣もオススメです。大正天皇が皇太子時代に宿泊したことと、『仁風閣』の名付け親が東郷平八郎だとかで有名かと思いますが、明治以降の藩主一家はこちらに居を構えたそうで『扇邸』と呼ばれていたそうです。仁風閣の内部そのものも必見ですが、明治以降の池田家の激動のファミリーヒストリーも紹介されています。
なお、鳥取城の詳細がわかるパンフレットも無料で配布されておりますので、是非ゲットしてみて下さい。
この後、鳥取城の鎮守だった長田神社→池田家菩提寺で庭園が美しい興禅寺→鳥取東照宮→見事な庭園がある観音院→鳥取市歴史博物館を見て、お土産と駅弁のかに寿司(画像撮り忘れた…)を買ってフィニッシュとしました。
鳥取を再発見できた、良い旅でした。
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