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モト

立派な石垣にうっとり (2018/11/20 訪問)

立派な石垣に感動してまいりました。
川側から城跡近くに来ると、見える建物がきれいです。
市役所の駐車場に停めていよいよ城跡散策です。
整備された公園になっておりますので見学もしやすく、出会うどこの石垣も立派です。
冠木門から入りましたが、門跡の左右の石垣がすでに雰囲気満点です。
周りを囲む堀も立派でした。
奥の裏門の石段の角度、石垣が立派でそこからの建物の眺めがよかったです。

後で気がついたことが。
しまった、失敗したぁです。
石垣に工事に関わった大名などの色々な刻印があるものが所々にあったとのこと、残念、見逃してしまいました。
次回、訪れた際はそれも楽しみの1つにしたいと思います。

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尾張三成

松倉城の裏鬼門の神社

川筋が変わり城の遺構は何もない。
上ノ島神明神社は、松倉城の裏鬼門にあたる神社で、築城の際誘致された模様。
北に岐阜城が見える。

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にのまる

山と海とみかん。 (2018/11/23 訪問)

浅間神社の横の坂道を上がっていきます。坂の上からみかんが勢いよく転がってきました。さすが静岡、落ちてくるものが違います。
途中の階段から山道になり本丸に到着です。夏の間生い茂っていたであろう雑草はきれいに刈られ、ベンチもテーブルもあって、景色も最高!!お・も・て・な・し(最近聞かないがこれからが本番ではないだろうか…)の気持ち、確かに受け取りました!
二の丸に向かう堀切に降りると右手に石垣と、フェンスの中に井戸か祠のようなものが見えました。
堀切から少し下ったところに「←二の丸」の案内が出ていました。が、そこは物見台程度の小さな平場で、私が所有者なら「ここが二の丸です。どうぞ!」なんて絶対に案内しない感じのところ。ここ…じゃないような気がする。。。
まぁそれはそれで深く考えないことにして、海岸に向かいました。波打ち際ってずっと見ていても全然飽きない(*'▽')
BGMは今回は嵐ではなくて浜田省吾さんの「君が人生の時」で。

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コバトン

藤堂高虎の技術が詰まった傑作 (2018/06/10 訪問)

大好きな武将である藤堂高虎が伊予統治時代に築城した城。
宇和島駅から少し寂しいアーケードを抜けてふもとに到着。木々に覆われていて看板がなければ入り口もどこだかよく分からない。これも防御性を高めるためか。
うっそうとした山道を登っていくと一気に開けた天守に行き着く。そこから宇和島の町と入江が一望できる。本当に長閑で綺麗な風景。周辺が埋め立てられる前は湾に面した海城だったらしい。
上空から見ると五角形をしていて死角を少なくしている。
藤堂高虎の築城技術が随所に見られる名城。

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コバトン

瀬戸内海にそびえる要塞 (2017/06/28 訪問)


遠目に見てもその石垣の高さと壮大さに驚く。
あいにく前日に雨が降ったせいでただでさえ急な階段が滑りやすく、天守まで登るのも一苦労。
天守はこじんまりとしているが、それが石垣の高さを一層引き立てているように感じる。
一説に島原の乱の後、瀬戸内海の島々に潜伏するキリシタン勢力の蜂起に備えて築城したという。確かに天守からは讃岐平野を超えて瀬戸内海が見渡せる。
まさに要塞といったところ。

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ヨコちゃん

建っている姿を見てみたい (2018/10/13 訪問)

城跡までの道中は非常にしんどかったですが、頂上は景色がきれいで気持ちよかったです。

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ヨコちゃん

震災の爪痕 (2018/11/19 訪問)

震災後2年半経ちますが、まだまだ復興までは遠い感じでした。早い復興を祈っています。

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ヨコちゃん

秋の岡城 (2018/11/18 訪問)

紅葉がきれいでしたが、城壁の壁面と角がきれいのもビックリしました。

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todo94

続日本100名城スタンプ70個目 (2018/11/23 訪問)

2017年のお城EXPOでパンフレットを頂き天守台の展望施設のことを知りました。柳沢文庫で天守台の工事のビデオをじっくり視聴してしまいました。橋が完成したら又訪れたいと思います。

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カルビン

松尾行って鈴岡行かいでか (2015/03/22 訪問)

松尾城から絶叫橋を渡り(吊り橋でなくて本当によかったε=(´д`;))、さらにちょっとした急坂を上って鈴岡城に到着。
渓谷を挟んでいるとはいえ、同じ一族でこんな近距離なのに、なぜ敵対する必要あったんですかね?(今も昔も身勝手な連中がこの手の争いを引き起こすんでしょうけど(危))

さて前回松尾城より鈴岡城のほうが素晴らしい遺構があると書きましたが・・・松尾城の堀がわかりにくいのに対し、鈴岡城の堀は大きく深く長く・・・更に明確です。
おそらく公園化によってかなり改変しているんだと思いますが、見る限りわざとらしい改変には見えないので、個人的には好感もてるものになってました。
堀だけでなく、曲輪も土塁もわかりやすくはっきりしていておりました。

更に公園の外周にある大きな土塁と堀は圧巻の造りです。


歴史的バックボーンが弱いからか続100名城にも選ばれませんでしたが、個人的には同じ長野県の続100名城でも、高島城と龍岡城に引けを取らないと思うんですけどね~・・・
(小笠原氏は名城選定されるには歴史的ネームバリューで力不足だったのか・・・orz)

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チェブ

電車でリベンジ。 (2018/11/24 訪問)

連休の初日、渋滞や他の予定もあり車でのお城巡りは諦めました。
ちょうど今、北条家の話を読んでいて「立河原の戦い」が出てきたところです。
この辺りを電車で向かいました。(南武線です)
この日4城行きましたが、すべて駅から近くでした。そして、北条家は来てなさそうです。
大丸城は住宅街に案内板がありました。
近くに城山公園があります。

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まんのすけ

西の登り石垣 (2018/11/20 訪問)

迫力ある石垣が残っている。

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ぴぽぽ

石垣の迫力に魅了されました (2018/11/26 訪問)

城のそばに無料の駐車場があり、トイレも完備されていました
駐車場に面した南曲輪の石垣は、崩れつつあるも、迫力満点です
一番感動したのは、井戸曲輪でした
二の丸から25メートル下った場所にあり、ここが一番当時の雰囲気を感じられる場所でした
物見台からの眺めも素晴らしかったです

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はたけ

高知城 (2018/11/26 訪問)

本丸御殿も残っていていい

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ぴぽぽ

大空堀、見ごたえがありました (2018/11/26 訪問)

整備されていて歩きやすかったです
三の丸にある駐車場に無料の駐車場に車を停めました
二の丸から本丸へ向かうと大きな土塁が見れました
神社でおまいりをさせていただき、天守台跡へ
そこから、見える大空堀は、すごかったです
空堀へ下りることができる道があったので、歩いてみることにしました
ここから、上に這い上がることは、ちょっと無理かなぁ、北曲輪に行くときは
木橋とかないと無理かもと想像しながら歩きました

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にのまる

下屋敷とお濠と小学校と…意外といろいろある。 (2018/11/23 訪問)

田中城下屋敷には本丸櫓が移築され、見る(入る)ことができます。
持ち主が「大事にしてくれそうな親戚」に譲ったので、当時の姿のまま大切に使われ、受け継がれてきたのではないかと思います。
本丸櫓は一見華奢でシンプルな造りですが、石垣の上に建つ姿は凛として美しいです。飾りたてればいいってもんじゃないんだなと感じます。

縄張りは四重の堀に囲まれた亀の形で庭園内には亀石もあり、別名は「亀城」。
庭園の管理をされている方は亀マークの帽子がトレードマークで、静岡のお城の話をたくさん聞かせてくださいました。

本丸跡地の西益津小学校まで行ってみました。途中、三日月堀や土塁、作事役所跡などを見ることができます。
復元図に現在の図面を合わせた地図を見ながら円郭式の縄張りを歩こうと思ったのですが、それは難易度高すぎでした。

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dougen

2016.12.3登城 (2016/12/03 訪問)

塩原城から県道89号に出て、西へ行くと、久米島博物館があります。
博物館に隣接する丘陵が伊敷索(ちなは)城址となります。
博物館の敷地内ということもあり、城址は整備されており、野面積の石垣が残っています。
なお、石垣の石は珊瑚石灰石で穴ぼこだらけの石です。
二の郭はかなり広いのですが、郭の周りに残っている石垣は圧巻です。
博物館には久米島の歴史や城址の展示もありますので、セットで行くと良いでしょう。

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現存の三つの櫓同時初公開 (2018/11/18 訪問)

本日は、名古屋城の現存する三つの櫓の同時初公開ということで行ってきました!
まずは、東南隅櫓で重要文化財に指定されております!
東南隅櫓は、本丸の南東隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、1612年頃に建てられました!
辰巳櫓とも呼ばれておりました!
東西約11.6m、南北約13.6m、高さ約13.5mと大規模で有ります!
一重目の屋根を付けていないため、外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓で有ります!
この形式の櫓は非常に珍しいですね!
屋根は入母屋造、本瓦葺きで、鬼瓦等には徳川家の家紋である「葵紋」が見られる!
二階東面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落としが設けられています!
三階東側の屋根には、高級な意匠である軒唐破風(屋根が丸く反った、曲線状の破風)が入る!
次に、西南隅櫓でこれも重要文化財に指定されております!
西南隅櫓は本丸の南西隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、1612年頃に建てられました!
未申櫓と呼ばれておりました!
東西約11.8m、南北約13.5m、高さ約14.1mと大規模で有ります!
一重目の屋根を付けていないため、外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓で有ります!
この形式の櫓は非常に珍しいです!
屋根は入母屋造、本瓦葺きである!
二階西面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落としが設けられています!
明治後期から大正10年頃迄の間に、自然災害により倒壊したが、大正12年に宮内省により修復されました!
その際、菊紋の鬼瓦、棟瓦が用いられました!
その後、建物の老朽化が進んだため、2010年から半解体修理を実施し、2014年に完了しました!
大正期の修理で壁はモルタル塗りとされたが、本来の白漆喰塗りに戻されました!
最後に、西北隅櫓でこれも重要文化財に指定されております!
西北隅櫓は御深井丸の北西隅に位置します!
天守や本丸御殿よりも少し遅く、1619年に建てられました!
戌亥櫓や三階櫓と呼ばれておりました!
外観三重、内部三階で有ります!
東西約13.9m、南北約16.9m、高さ約16.2mを有する!
江戸時代から現存する三階櫓は全国で14基あるが、熊本城宇土櫓に次いで二番目の規模で有ります!
屋根は入母屋造、本瓦葺きで有ります!
本丸の東南、西南隅櫓と異なり、堀に面していない東面と南面にも、千鳥破風(三角形の小型の屋根)が付けられている!
一階北面と西面には石落としが設けられています!
江戸時代から清洲櫓とも呼ばれ、清洲城の小天守か櫓を移築したと言われてきました!
1962年から1964年に解体修理が行われ、複数の建物の古材を転用してはいるが、1619年の建物であることが明らかになりました!
これにより、清洲城の櫓をそのまま移築したものではないことが確定しました!

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くろもり

兵どもが夢の跡 (2012/07/14 訪問)

天守もない、大きな石垣もない。城=天守と思ってる方には、少し石垣が残ってる程度のただの山でしょうが・・・
最盛期には山陰・山陽八ヶ国(出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後)の守護であったものの、そのわずか15年後には毛利氏の侵攻により滅亡した尼子氏の居城。
この月山富田城を奪回する為に山中鹿介こと山中幸盛公が「我に七難八苦を与えよ」と月に祈り、主家の尼子氏再興の為に一生を捧げたと思うと、込み上げてくるものがあります。
尼子経久公・晴久公(国久公と誠久公も)・義久公・勝久公・山中幸盛公等の尼子氏にゆかりのある人物を知っていると、目には見えない往時の景色が見えてくるような、そんな気持ちにさせてくれる城址です。
以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸にある山中鹿介記念碑。割れたような石碑が悲愁を誘います。今は背後の木が綺麗に整備されているようです。
2枚目・・・千畳平の尼子神社。八ヶ国の守護の面影もない小さな社に思わず目頭が熱くなりました。
3枚目・・・月山富田城前を流れる飯梨川。国破れて山河ありといった感じ。往時もこのような風景だったのか。
4枚目・・・洞光寺の尼子清定公・経久公墓所から見た月山富田城(突き出た山の所)。両公は尼子氏栄華の跡を見守っています。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー88個目 (2018/11/23 訪問)

本当は麓から歩いて攻める予定だったのだが、たかとり城まつりの開催日に当たっていて観光駐車場はすべて関係者用の駐車場となってしまっていた。仕方なく前回同様、壺坂口に車を回す。大手門跡まで攻め上った後は、猿石まで下る。数々の門跡が連なっていて、このあたりが最強の城に選ばれた理由の1つになるのだろう。山中にこれだけの石垣が残っているのは驚きだ。国見櫓跡にも寄り道をして大和三山を俯瞰する眺望を楽しんだ。天守台が聳える本丸周りは、紅葉が色づいていたが、14年前の2004年11月の高取城の紅葉の美しさには到底及ぶものではなかった。

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