おおどめじょう

大留城

愛知県春日井市


旧国名 : 尾張

投稿する
子安神社の土塁上に大留城趾碑と祠
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪16/17大留城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内16城目大留城へ、大草城から南東に約4.9km程に在り、グーグルマップ史跡マーク大留城跡北のUターン詰道路へ路駐と定めて走行。

 駐車場:無し。大留城跡の在る子安神社北の高い崖上にU字道路が有り南に路駐、交通量少なし。子安神社の入口南道路には軽自動車程度であれば幅寄せして1台は路駐可能かも?
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 路駐した処から逆時計回りに庄内川河岸へ、住宅街の中に子安神社が有り、その一角の土塁上に祠と大留城趾の石碑が在る、しかし案内板とか説明板は無い。庄内川の西側に在り遺構は見当たらない。
 城郭放浪記さんの説明では、詳細不明。城主は村瀬作左衛門と伝わる。とあります。

 子安神社に参拝し、ひと際クロガネモチの大木が目を引きます、庄内川の堤防に上がり暫し庄内川の流域を眺めて終了としました。
   

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:大留城 (2024/09/24 訪問)

高蔵寺駅北口バス停から徒歩30分くらいで、子安神明社入口(35.258599、137.027292)に着きました。

1546年(天文15年)将軍・足利義輝の家臣・村瀬氏が領地内に館を築いたのが始まりのようです。その子・村瀬作右衛門が城主といわれています。
1584年(天正12年)に起きた「小牧・長久手の戦い」では城主・村瀬作右衛門は羽柴秀吉側に味方しましたが、池田恒興、森長可らとともに討死したため、そのまま廃城となりました。
現在城址には子安神明社があり、城址碑が建てられています。

神社に入った正面に土塁、その上に祠と城址碑があります。東側と本殿裏側に空掘が残っているようですが、よくわかりませんでした。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=多治見国長邸を目指す為、電車で高蔵寺駅から多治見駅に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

大留城 (2024/05/25 訪問)

【大留城】
<駐車場他>駐車場はなし。子安神明社(城跡)前に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾6城目。大留城は1546年に村瀬作左衛門というものが築城しました。小牧長久手の戦いでは池田恒興が三河中入り作戦で大留城で軍議を開き村瀬作左衛門も従軍したが翌日徳川家康軍に敗れ討死し城もその後廃城となったようです。
 現地城跡は庄内川に面した平城で現在は子安神明社という神社になっています。中央に土塁跡のような土盛があり城跡碑があります。本殿の裏側に堀跡があるようでしたがコンクリ壁の裏側だったようで気づきませんでした。城跡の説明板はありません。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

こじんまりとした城址 (2024/04/13 訪問)

大留城は庄内川の北側にある子安神明社の周辺に築かれていたようです。神明社の北側に二の丸の空堀が有るようなのですが、情報が足りておらず確認していません。
築城者であり城主の村瀬作左衛門は小牧・長久手の合戦の際には羽柴秀吉に味方し池田恒興らの大軍はこの城で軍議を行ったとされています。その後、村瀬作左衛門は池田恒興らと共に長久手で敗れ討死したそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 村瀬作左衛門
築城年 天文15年(1546)
主な城主 村瀬氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 愛知県春日井市大留町字東島