おおどめじょう

大留城

愛知県春日井市


旧国名 : 尾張

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ぴーかる

大留城 (2024/05/25 訪問)

【大留城】
<駐車場他>駐車場はなし。子安神明社(城跡)前に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾6城目。大留城は1546年に村瀬作左衛門というものが築城しました。小牧長久手の戦いでは池田恒興が三河中入り作戦で大留城で軍議を開き村瀬作左衛門も従軍したが翌日徳川家康軍に敗れ討死し城もその後廃城となったようです。
 現地城跡は庄内川に面した平城で現在は子安神明社という神社になっています。中央に土塁跡のような土盛があり城跡碑があります。本殿の裏側に堀跡があるようでしたがコンクリ壁の裏側だったようで気づきませんでした。城跡の説明板はありません。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

こじんまりとした城址 (2024/04/13 訪問)

大留城は庄内川の北側にある子安神明社の周辺に築かれていたようです。神明社の北側に二の丸の空堀が有るようなのですが、情報が足りておらず確認していません。
築城者であり城主の村瀬作左衛門は小牧・長久手の合戦の際には羽柴秀吉に味方し池田恒興らの大軍はこの城で軍議を行ったとされています。その後、村瀬作左衛門は池田恒興らと共に長久手で敗れ討死したそうです。

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イオ

河川の合流点 (2024/01/08 訪問)

戦国中期に村瀬作左衛門が築いた城で、小牧長久手の戦いでは羽柴方について長久手で討死したことにより廃城となったと伝わります。

庄内川堤防沿いの道路脇に路駐して登城。子安神明社が城跡とされ、境内南部の土壇の上に祠と大留城趾の石碑が建てられています。社殿の奥や東側には堀跡があるようですが、見付けられませんでした。石碑の土壇も遺構かどうかわからないしなぁ…などと思いながら堤防を歩いていると、城跡の東側で支流が庄内川に合流しています。なるほど、川を東側と南側の天然の堀としているんですね。目立った遺構はないとしても、大留城がこの地に築かれた理由だけは理解できました。

この後、さらに長久手古戦場(武蔵塚)や岩崎城もめぐるつもりでしたが、時間切れのためいずれもポチのみになってしまいました。これは小牧周辺と長久手周辺の両方をめぐろうと思ったら一日ではとても無理そうですね。
 

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キンヤ

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に付いた村瀬氏の城 (2023/04/29 訪問)

天文15年(1546年)に将軍足利義輝の家臣であった村瀬作左衛門(村瀬作右衛門とも)によって築かれたと云われます。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際、村瀬作左衛門は羽柴秀吉軍に付いて、池田恒興たちと軍議を開き戦いましたが、徳川家康軍に敗れて、池田恒興、森長可たちとともに討死し、大留城は廃城になったとされます。

かつては東・北・西側は堀が巡らされ、南側は今と同じく玉野川(庄内川)が流れていたようです。
現在の子安神明社一帯が城跡です。
子安神明社に入ると、遺構かどうか分かりませんが土壇があり、その上に城址碑が建てられています。
以前は子安神明社の東側と北側に空堀が残っていたそうですが、今は道路や宅地となり残念ながら空堀は見られませんでした。
でも、子安神明社北側背後には埋められたと思われる堀跡がありました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 村瀬作左衛門
築城年 天文15年(1546)
主な城主 村瀬氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 愛知県春日井市大留町字東島