おたいじょう

小田井城

愛知県清須市


旧国名 : 尾張

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ぴーかる

小田井城 (2024/07/27 訪問)

【小田井城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>地下鉄舞鶴線庄内緑地駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾ラスト7城目。小田井城の築城は応永年間(1394~1428年)に織田大和守家当主の織田敏定によって築城されたとされます。敏定が清洲城に本拠地を移すと、弟とされる織田常寛が城主となり織田藤左衛門家という庶流になります。織田信長の弾正忠家が台頭してきた時の城主織田信直は織田信秀の娘婿だったので一門として重んじられていました。1584年頃の城主織田忠辰の時小牧長久手の戦いで秀吉に城を追われたようです。
 現在城跡公園にある石碑は移したもので、本丸跡はJRの線路を越えたもう少し西にあるようです。本丸跡も宅地と交差点になっていて遺構はないようです。
 地下鉄の庄内緑地駅から徒歩25分、庄内緑地公園の横を通り、暑い中とぼとぼと歩きたどり着きました。次はJR枇杷島駅まで徒歩22分で合計1時間も歩き(寒かったらマラソンパワーで走っても平気なのだが‥‥)ダウン。予定ラストの隣駅の下津城を残して今回は終了しました。濃尾平野コンプリートまで下津城と竜泉寺城のみとなりました。三重県のちょこ城か愛知県の東の方の城攻めと合わせて制覇したいと思います。今回の旅は地下鉄乗り放題が大いに役に立ちました。気候が良ければ1回の来訪で、もっと沢山回れそうですよ。お勧めです。
 気候変動の影響でいくらちょこ城巡りとはいえ、屋外での行動は過酷すぎるので城巡り8月はお休みしてました。とは言っても9月今週末には予定を入れてますが‥。
 日帰りで行けるちょこ城がだいぶ制覇してしまったので、来年の夏からどこに行こうかと模索中です。山城は攻略に時間がかかるので尽きないのにね。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

ちょこ城にも五分の魂 (2024/03/09 訪問)

小田井城です。ちょこ城ですね。尾張の石碑ばっかりの城をまわっていると、お墓参りをしているような気になってきます。あたたた‥
最近、ますますヒザが弱って来ているんで、ちょっと山城はきついですねー。とか言いながら元気になったら、また行きたいです。
個人的には比高が低くて、遺構がいっぱいある山城が好きです!(正直すぎ)

小田井城です。(また言った)現状・公園で石碑ぐらいしか見る物はありません。遊んでいる子供なんか写ったらアウトです。織田大和守家の織田敏定の築城で清須城の支城とされています。敏定の弟・織田常寛が城主となると織田藤左衛門家の代々の居城になったようです。ちょこ城ですが歴史は深いです。城郭大系にも記載がありました。
ちょこ城にも五分の魂。

現状おつかれモードで、ぴーかるさんのリクエストにはなかなか答えられそうもないです(しばしのご猶予を‥)。体調が戻ったら、また山城にトライしたいですね。実は結構行っているんですよ。八王子城の詰めの城はマジお勧めです。城びとの投稿を見ると、にのまるさんが訪問されてますね。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:小田井城 (2022/08/04 訪問)

九之坪城からの転戦です。下小田井駅から徒歩7~8分くらいで、城跡公園入口(35.206533、136.873227)に着きました。

小田井城の築城時期は応永年間(1394年 - 1428年)のようです。
清洲の尾張国守護代「織田大和守家」当主の織田敏定が清洲城の支城として築城したといわれています。
敏定の弟とされる織田常寛をはじめ、代々織田藤左衛門家の居城でしたが、1584年(天正12年)頃に織田忠辰が羽柴秀吉によって追われた際に廃城になったと考えられています。

現在の国道22号線・古城交差点付近が城址で、近くの「城跡公園」隅に城址碑が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=緒川城を目指す為、電車で下小田井駅から高畑駅に向かいます。

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くろもり

二つの城址碑 (2019/09/21 訪問)

「城びと>お城を探す」で表示される場所は城址碑のある「城跡公園」ですが、「城跡公園」は開発により碑を移した場所で、かっての城域は城跡公園から西に500m程の「古城交差点」付近(遺構なし)と伝わるそうです。
名鉄犬山線・下小田井駅から徒歩にて「古城交差点」まで7~8分程、「古城交差点」から「城跡公園」まで7~8分程でした。「城跡公園」の周りには駐車場はありません。

「城跡公園」に2つ城址碑があるのですが、1つは大正5年(1916年)、もう1つは昭和38年(1963年)と彫られています。おそらく大正の碑はかっての正しい城跡にあったのだと思いますが、開発により「城跡公園」に移され、その時に昭和の碑も建てられたのだと思います。カルビンさんの投稿の通り城址碑の裏に謂れが彫られているのですが、どちらの石碑も全く同じ説明で驚きました。「この昭和の石碑は大正の石碑の孫なんやなぁ」と石碑と石碑を建ててくれた小田井の人達の歴史を感じました。

築城主の織田敏定(おだとしさだ)さんは、織田信長の一族であり主筋でもある清洲織田氏(織田大和守家)の当主だったので、織田氏が好きな方にお勧めです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田敏定
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 織田氏
廃城年 天正12年(1584)頃
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県清須市西枇杷島町古城他