おたいじょう

小田井城

愛知県清須市


旧国名 : 尾張

投稿する
城址碑
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

2022夏の青春18キップ16日目:小田井城 (2022/08/04 訪問)

九之坪城からの転戦です。下小田井駅から徒歩7~8分くらいで、城跡公園入口(35.206533、136.873227)に着きました。

小田井城の築城時期は応永年間(1394年 - 1428年)のようです。
清洲の尾張国守護代「織田大和守家」当主の織田敏定が清洲城の支城として築城したといわれています。
敏定の弟とされる織田常寛をはじめ、代々織田藤左衛門家の居城でしたが、1584年(天正12年)頃に織田忠辰が羽柴秀吉によって追われた際に廃城になったと考えられています。

現在の国道22号線・古城交差点付近が城址で、近くの「城跡公園」隅に城址碑が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=緒川城を目指す為、電車で下小田井駅から高畑駅に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

くろもり

二つの城址碑 (2019/09/21 訪問)

「城びと>お城を探す」で表示される場所は城址碑のある「城跡公園」ですが、「城跡公園」は開発により碑を移した場所で、かっての城域は城跡公園から西に500m程の「古城交差点」付近(遺構なし)と伝わるそうです。
名鉄犬山線・下小田井駅から徒歩にて「古城交差点」まで7~8分程、「古城交差点」から「城跡公園」まで7~8分程でした。「城跡公園」の周りには駐車場はありません。

「城跡公園」に2つ城址碑があるのですが、1つは大正5年(1916年)、もう1つは昭和38年(1963年)と彫られています。おそらく大正の碑はかっての正しい城跡にあったのだと思いますが、開発により「城跡公園」に移され、その時に昭和の碑も建てられたのだと思います。カルビンさんの投稿の通り城址碑の裏に謂れが彫られているのですが、どちらの石碑も全く同じ説明で驚きました。「この昭和の石碑は大正の石碑の孫なんやなぁ」と石碑と石碑を建ててくれた小田井の人達の歴史を感じました。

築城主の織田敏定(おだとしさだ)さんは、織田信長の一族であり主筋でもある清洲織田氏(織田大和守家)の当主だったので、織田氏が好きな方にお勧めです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城跡公園なのですが (2019/07/21 訪問)

 本来の城があったとされる場所よりも東に城跡公園があり、公園内に碑がなぜか2つ同じような場所にあります。清州城の支城であったとされています。

+ 続きを読む

じゅんじん

公園 (2006/11/05 訪問)

公園です

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田敏定
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 織田氏
廃城年 天正12年(1584)頃
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県清須市西枇杷島町古城他