巨大な空堀あり、土塁あり、石垣もあり、長野氏と武田氏の壮絶な戦いの歴史あり、井伊直政が城主を務めたりと。遺構好きの人も、武将好きの人もときめくことができるお城だと思います。
二の丸跡でボランティアの方からパンフレットを頂き(ありがとうございました!)、石垣は虎韜(ことう)門・鍛冶曲輪・三の丸・御前曲輪の西側で見ることができました。
城下の水の手曲輪に「水汲みに行くのが地獄の一の木戸行くとは見えて帰る人なし」の碑がありました。おそらく、武田軍に包囲された長野軍の兵が命がけで水汲みに行っていた様子を表している歌だと思うのですが、御前曲輪にも井戸があったので、本当に命がけで水の手曲輪に行ったのかな?と少し疑問に思いました。御前曲輪の井戸は昭和2年に発見され、底から長野氏累代の墓石が多数掘り出されたそうです。墓石を井戸に沈めたのでしょうか?なんてバチあたりなことを・・・
城址からは南に10km離れた高崎市庁舎ビル(高崎城址)がはっきりと見えたので、同じく南東に10km離れた前橋の群馬県庁ビル(前橋城址)も見えるんじゃないかなと思います。
帰る際に城址を眺めながら、箕輪城主で箕輪城落城の際に自害したとされる長野業盛公の辞世の句を思い出していました。
「春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里」
享年23歳と伝わります。
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