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ヒロケン

藤堂高虎の城づくり (2018/11/25 訪問)

藤堂高虎公が築城の名手として、縄張り・普請した城は全国で20余と言われています。高虎の築城術は、豊臣秀吉・徳川家康からも高い評価を受けました。高虎の城づくりは、高い石垣と広い内堀造って、平城でも固い防御の城造りを確立しました。

津城は本丸、内堀、二の丸、外堀を回の字のように巡らした輪郭式という典型的な近世城郭様式とし、内堀を80~100mにしました。

高山神社駐車場に車を止め、社務所で続百名城のスタンプをもらっていざっ出発!スタンプをもらうため津城に寄ったようなものでたいして期待していなかったが、神社横の天守台を見てふつふつと高揚してきた!( ・`ω・´)さすが、32万3950石の藤堂高虎公のお城! 内堀の外周を一周して、写真をパシャパシャ。模擬櫓の丑寅三重櫓も姿が良い(≧∇≦)b 満足で腹一杯。

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中川藤兵衛尉

三木城 (2018/12/01 訪問)

今、紅葉が綺麗です!

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ミッピのパパ

風情の残る小京都 (2018/12/01 訪問)

但馬の小京都と呼ばれる出石。道も狭く、その風情を残していて散策には良いところ。タイミング的にちょうどお城は工事していて、小型重機のエンジン音がしていたりして、記念写真を撮るには少し残念だった。

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ミッピのパパ

麒麟がくる 前に 竜王がきた (2019/11/30 訪問)

大河ドラマブームでごった返す前に登城。お城自体が郷土歴史館という位置づけなので致し方ないが、お城や戦国時代に関連する展示割合は少なかった。ちょうど1週間前に、ここで将棋の竜王戦(羽生善治竜王と広瀬章人八段)が行われたということもあり、郷土歴史館も大河ドラマブームの前に、まずは将棋ブームに便乗して、そちらをアピール。来訪者もそちらに目が行ってしまった。

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ミッピのパパ

人気の城なのか?、登山に人気の山か? (2018/11/30 訪問)

11/30(金)PM、登り下りで平日にも関わらず、何人の方々と挨拶したことか。登山口の4~5台程度の駐車場に1台だけ止まっていたが、帰りには満車になっていた。登りは急な坂のルート、下りは緩やか坂のルートを選ぶ。その訳は、下りに急な坂だと少し危険と思ったから。結構、人気の山?なのか、城なのかどっちだろう。山上では小さな子供2人連れた夫婦とそのおばあちゃんにもあった。凄い!!。山上からは黒井の街並みが一望でき、城も縄張りがよくわかりとても良い。汗をかいて登ってきたことが報われる瞬間。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー89個目 (2018/11/24 訪問)

史跡としての価値はあるかもしれないが、遺構としては、続日本100名城と比較しても見劣りしてしまう千早城。この秋、攻城した城の中では最も紅葉がきれいに色づいていた。早朝から金剛山の登山者がかなりいた。私はまつまさの有料駐車場600円を利用し、一旦、県道に降りて無人の千早神社参道を一気に登って四の丸に到達。県道沿いにある案内板によると四の丸まで30分とあるが、どう考えてもそんなにかからないと思う。私は10分足らずの所要だったから。

立ち入りできない本丸の裏手を回って金剛山の登山道へ。楠正儀の墓の先、3合目を越えたところで引き返した。計算通り、まつまさの開店時刻となりスタンプをゲット。

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特別公開の月見櫓 (2018/11/24 訪問)

本日は、岡山城月見櫓の特別公開に行ってきました!
月見櫓は岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓であります!
中の段の北西隅にあり、城の裏口を防備する役割を担っておりました!
1615年~1632年まで岡山城主であった池田忠雄が、中の段の拡幅を行った時を建てたものです!
岡山城内に35楝あった櫓の中で最新の櫓、最も優美な櫓で有りました!
櫓の平面は東西9.8m、南北7.9mで、高さ13.8mであります!
三階建てですが、城外からは二階に見えます!
櫓が立つ地盤が水平ではなく、城外側が石塁によって一段高くなっているためです!
最上部の屋根は入母屋造です!
下層の屋根は変化に富み、唐破風や千鳥破風が組み込まれております!
鬼瓦は池田家の家紋である揚羽蝶がデザインされております!
壁は総白壁の塗籠造りで、土壁の上に下見板を張ることで黒壁となった天守閣と好対照をなしています!
最大の特徴は、城外側は最新式の軍備を施しているのに対して、城内側には開放的で、櫓本来の機能を越えて内部の居住性を高めていることです!
一階は格子の入った出窓があって視野を確保し、下方に射撃を行う施設である石落としも設けられています!
また二階西側の千鳥破風の裏は小部屋になっていて、外を監視したり鉄砲を撃つことができる仕掛けです!
櫓の石垣は、瀬戸内海に浮かぶ犬島産と見られる花崗岩の割石を積んだものです!
特に隅角は加工度の高い長方形石材の長辺を一段ごとに左右に振り分けた算木積みとなっていて、美しい曲線を描いて立ち上がります!







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朝田 辰兵衛

思ったよりも… (2017/05/20 訪問)

石垣が多かったです。

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dougen

2017.2.10登城 (2017/02/10 訪問)

船岡山城から徒歩で南へ30分ぐらいの場所にある正親小学校付近が聚楽第(西濠跡)となります。
聚楽第は京都御所と隣接する様に築城した巨大な平城ですが、秀次事件の後に徹底的に破壊されてしまったため、遺構らしい遺構が残っていません。(発掘で堀跡が見つかっている様です)
正親小学校のところに石碑と解説板が設置されています。(城域が広かったこともあり、他にも石碑が設置されている様です。)

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dougen

2017.2.10登城 (2017/02/10 訪問)

京都市営地下鉄鞍馬口駅から徒歩30分ぐらい東側に行ったところに船岡山公園があり、船岡山城となります。
応仁の乱の舞台となった山城で、応仁の乱の石碑と解説が設置されていますが、遺構らしい遺構は見当たりませんでした。
後で調べると、建勲神社の境内に空堀の遺構が残っていたようです。

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にのまる

夜景鑑賞 (2018/11/29 訪問)

寒かったのでとりあえずタワーの中へ駆け込みました。
展望台から見下ろすライトアップされた堡塁は幕末の動乱が想像できないくらい美しかったです。
タワーに長居しすぎて、下に降りたら真っ暗で、奉行所も閉まってました(^_^;)

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モト

期待以上の遺構に出会える素晴らしい城跡 (2018/11/14 訪問)

良い意味で期待を見事に裏切ってくれちゃいました。
本郭と外郭に分かれている城跡はけっこう広いです。
入り口から順路の看板にそって進めます。
本郭には空堀や切岸や土塁などがあり、すでに期待以上の雰囲気の良さにニヤニヤです。
本郭をハジからハジまでガッツリまわってしまいました。
本郭は1枚目〜5枚目までの写真です。

しかし、それ以上に素晴らしかったのは本郭から少しだけ離れた所にある外郭でした。
外郭は6枚目〜10枚目です。
こちらは入り口から、道はしっかりできていますが、少々薮に囲まれたような道を進みます。
奥に現れるのは、素晴らしい遺構たちでした。
ニヤけた顔は、感激で満ち溢れた顔に変わっておりました。
特に空堀が素晴らしかったです。
入り組んだ堀底を歩いたり、二重堀を登ったり下ったりしながら進んで現れるの郭なども想像を絶する遺構たちでした。

ここは是非、オススメしたい城跡ですよ。
特に空堀好きにはたまらいのではないでしょうか。
南茨城県の城巡りには絶対に外せない城跡だと思います。

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赤い城

搦目城とも言われています (2018/12/01 訪問)

車で行けますが細い砂利道なので注意。
藤沢山に位置する南北朝時代の城。
結城氏が築いたがやがて本城を小峰城に移したそうです。

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赤い城

班宗寺の裏山が跡地 (2018/12/01 訪問)

遺構もあるようですが時間がなく登城は断念しました。

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赤い城

輪郭式の土の城 (2018/12/01 訪問)

磐城棚倉駅から徒歩で10分。
亀ヶ城公園として整備されています。
戊辰戦争で落城、水堀や土塁がいい感じに残っています。

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たかりん

高天神を制する者は (2018/11/24 訪問)

遠州を制すると言われ、徳川、武田の争奪戦の舞台となったため、戦国期の城としては有名どころかと。東峰が本丸、御前曲輪、西峰が西の丸で神社がありました。大手口、搦手口の登城口のうち、後者がメイン(?)の登城口のようだったので、こちらから登りました。登城口から東、西峰を分ける鞍部まで石段が続きました。晩秋だったので、ちょっとした運動で済みましたが、夏に来るもんじゃないですね(笑)。

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赤い城

石垣が見事 (2018/12/01 訪問)

白河駅からすぐ、無料で楽しめます。
復元三重櫓が目立ちますが石垣が良いです。
東日本大震災の影響でいまだに一部立入禁止になっています。

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たかりん

家康だけではない出世城 (2018/11/25 訪問)

本来は江戸期の城主から幕府要職(老中とか)に就く人を多く輩出したため「出世城」と呼ばれたそうですが、17年間城主であった家康が一番出世をしたこともあり、市としてはやはり家康推しでした(笑)。ゆるキャラも「出世大名家康くん」ですし。天守と天守門が復元ですが、復元天守は天守台と幅が合っておらず、話には聞いていましたが、やはり違和感。野面積みの石垣は当時のもので趣がありました。

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todo94

私有地 (2018/11/24 訪問)

どうもここは、私有地で立ち入ることができないらしい。とりあえず、御殿玄関が移築されている九品寺には行けたので攻城させて戴いたことにしたいと思う。紅葉がきれいに色づいていた。

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tsuchinari

和歌山城の耳より情報! (2018/12/01 訪問)

その1
やっぱりお城といえば天守。和歌山城の天守は愛媛の松山城の天守と共通点が多い。
まず、連立式であること。これは天守建築の中で最も防御に優れた作りと言われています。それと何より見た目がカッコイイ!
そして三層三階であること。和歌山城は天守が虎が伏せている様子と似ていることから虎伏城とも呼ばれています。五層並みの天守台に実際には三層の天守を乗せたので、ややずんぐりに見えるようです。
あとはどちらも平山城で、天守は小高い丘の上に立っているので、麓から見上げると天守がより凛々しく映ります。
ただ逆に違いを一つだけ付け加えると、松山城は現存天守で和歌山城は外観復元であること。ここは如何ともしがたい...(*´∇`*)
その2
和歌山城には大手門に当たる門が2つあります。現存する岡口門と一の橋の大手門です。岡口門は豊臣秀長の時代、豊臣家にとって最大の脅威だった徳川家を監視するため門は東に作られています。そして江戸時代御三家の紀伊徳川家の居城となってからは今度は逆に大阪の豊臣家を牽制するために一の橋は北側につくられました。和歌山城は時代の流れに合わせて180度役割が変わった城でもあります。
その3
和歌山城は本丸が天守と分離しています。私の知る限り、他の城にはない、かなりレアな縄張りです。多くの場合は天守のある場所が本丸または天守曲輪とかと呼んだりするのだが、和歌山城のように完全に切り離しているのは極めて珍しい。その天守と本丸の間にある堀のように窪んだ場所は、駆け込んだ敵兵なら即死ですね笑笑 この2つに曲輪を分けることで防御機能は格段に上がったことは間違いないと考えられます。
その4
万葉集などにも登場する和歌山。弟に築城を命じた豊臣秀吉が風情あふれる風土に心打たれ、この地を「若山」から「和歌山」へ変えさせたとの事。でもこれはもしかしたら地元の人の間では常識なのかも...

江戸時代、徳川御三家として将軍を2人(8代吉宗、14代家茂)も輩出した紀州徳川家。その高い格式に相応する和歌山城の存在感。是非一度は登城してみてください^ - ^

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