福島城は上杉景勝会津移封後にこの地に入った堀秀治によって築かれたとされています。上越市立古城小学校のあたりが本丸と見られ、石碑と案内板がありました。古城図を参考にすれば周囲に堀が配され、その周囲を二の丸が囲み家臣の屋敷があったようです。さらにその周囲を堀が囲い、三の丸と見られる広大な空間にも家臣の屋敷が配されていたようです。いつの時代の物かは不明ですが三の丸の南西にあたる場所が陣屋跡になっています。かつては西を関川が流れ、南を堀、東を保倉川が流れ城の守りとしていたようです。堀氏が改易された後、徳川家康の六男、松平忠輝が入りますが忠輝が高田城を築いて移ると廃城となったようです。かつて城の東側を流れていた保倉川は今では城跡の南側を流れていて、古城小学校も2022年3月で閉校になったようです。すぐ近くに資料館もあったのですが、今ではどうなってしまったやら。時代の流れを感じます。
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