岐阜県岐阜市の岐阜城です。十三世紀の初め鎌倉幕府の政所令二階堂氏が砦を築いたのが始まりとされます。子孫は稲葉氏と改め砦も稲葉山城と呼ばれますが、その後廃城となっています。戦国時代15世紀中頃守護代斎藤氏が稲葉氏の砦遺構を利用し、城を築き居城とし城下町も建設。1525年美濃の内乱で、守護土岐氏・守護代斎藤氏の実権は長井新左エ門尉(道三の父)が握り長井氏が城主となっています。最近発見された文献から道三の国盗り物語は、前半が新左エ門尉、後半が道三との見解もでています。その後、道三が城主となり城を要塞化、西麓に居館を建て、市場を設けて城下町を発展させています。1554年道三は隠居し家督を義龍に譲り、やがて父子の対立から1556年道三は長良川河畔の戦いで討死。しかし、義龍は道三の死後6年で病死、後を幼い竜興が継ぎ斎藤氏は弱体化、1564年家臣の竹中半兵衛が城を一時占拠する事件も起こっています。1567年稲葉山城は織田信長により攻略され、以後、信長の居城となり岐阜城と名付けてます。1575年城主を嫡男信忠に譲り自身は安土城へ移り、本能寺の変後、城主は三男信孝、池田輝政、豊臣秀勝と替わり、織田信長の孫秀信が城主の時、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため東軍に攻められ降伏開城、廃城となっています。城は長良川に面した標高336mの金華山山頂に築かれ山全体に郭が配され、麓にも天主と呼ばれる御殿があったとされます。しかし、山頂部の井戸は雨水をためるもので、大兵力による長期籠城には向かない城のようです。現在は岐阜公園となっており御殿跡隣からロープウェイで一の門付近まで乗車し、山頂天守閣まで徒歩7分程です。
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