石川県金沢市の百名城の一つ金沢城です。1546年加賀一向一揆の本拠として金沢御坊という城とも呼べる寺院が建てられたのがはじめとされます。1580年織田信長の柴田勝家軍の攻撃を受け落城、佐久間盛安に与えられ戦国城郭に改修され金沢城と命名されています。その後、賤ヶ岳の戦いで佐久間盛安が討たれると加賀国は前田利家が領し、1592年から金沢城を近世城郭へ改修をはじめ2代利長まで改修が続いています。城は、金沢平野の中央を流れる犀川と浅野川に挟まれた台地の先端に築かれた平山城で、本丸、東の丸、二の丸、鶴の丸、玉泉院丸、三の丸、新丸が配され五重の天守を持ち石垣と櫓が連なる東西500m南北760mの規模と言われ北側の新丸に大手門がありました。しかし1602年落雷により天守閣は焼失しています。かつては城跡に金沢大学がありましたが平成7年に移転し現在は金沢城公園として整備されています。遺構としては石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫があり、菱櫓、橋爪門、五十間長屋、河北門が復元され、かつての加賀百万石の居城を偲ばせます。隣には百閒堀を挟んで日本三大庭園の兼六園があります。
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