静岡県浜松市の二俣城です。信濃から遠江への入口となる交通の要地であり、天竜川と二俣川が合流する標高90mの台地上の要害の地に1560年頃今川氏家臣の松井氏が築いたとされます。1569年今川氏が滅ぶと徳川氏の城となり以後、武田氏と徳川氏による争奪戦が繰り広げられます。1572年武田信玄が大軍を率い二俣城を包囲、城方の天竜川から水をくみ上げていた櫓に上流から筏を流し破壊、水の手を絶ち2ヶ月後に城は陥落、城は武田氏のものとなります。1575年長篠の戦いで大勝した徳川家康は二俣城を包囲、兵糧攻めを行い7ヶ月後に城は降伏開城しています。城は徳川家臣大久保氏が城主となり、1579年には徳川家康の嫡男信康が織田信長に謀反の嫌疑をかけられこの城で幽閉・自刃しています。1590年徳川氏の関東移封に伴い豊臣家臣の堀尾氏が浜松城に入城し二俣城も支城となりますが、1600年堀尾氏の転封により廃城となっています。城は北から北曲輪、本丸、二の丸、蔵屋敷、南曲輪が一直線上に並び、本丸西側には野面積石垣の小規模な天守台があります。城跡は現在城山公園として整備され天守台や本丸石垣、堀切などが残っています。
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