愛知県岡崎市の百名城の一つ岡崎城です。15世紀中頃三河国守護代西郷氏が築いた竜頭山城が始まりとされ、岡崎の地から北東の山地にある松平郷の豪族松平氏が勢力を拡大し、1530年代前半徳川家康の祖父の松平清康の代に城を奪い岡崎城と名付け本格的な城に改修したとされます。清康は北・東三河を勢力下に置き、1535年尾張攻めを行いますが陣中で家臣に刺殺され、子の広忠は幼かったことから一族で内紛が起き衰退、駿河の今川氏に従属しています。1542年家康がこの城で誕生し、駿河に送られ人質時代を過ごしています。桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にすると、家康は独立、今川氏滅亡後は武田氏と争い、大大名となっていきます。のちに家康が関東移封後は、田中吉政が城を大きく改修し天守閣と総構の堀を築いています。江戸時代になるとこの城は神君出生の城として神聖化され、譜代大名が城主となり5万石と石高は少ないものの岡崎城主となることが誇りだったとされます。城は乙川北岸丘陵に築かれ本丸、二の丸、三の丸の外複数の曲輪や堀を配し、東西1km南北900mの規模とされます。現在の天守閣は昭和34年に復興されたもので、鉄筋コンクリート三層五階建ての展示・展望室となっていて、ほかに大手門や東隅櫓、城壁、石垣なども復元され、遺構としては石垣・堀などが残っています。現在城跡は本丸と二の丸などが城址公園となり、三の丸や他の曲輪は市街地となっています。
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