石垣の総高が日本一とされる丸亀城。大手門から天守のある本丸に向かうためには、見返り坂というかなり急な坂道を登らなくてはならない。
しかし頑張って登りきれば天守まではすぐの所にたどり着く。それは言いかえれば、城の中心部まで一気にたどり着かれてしまうということ。
中世以前の城はともかく、丸亀城のような近世城郭において大手口から天守にすぐにたどり着く城なんてほぼ皆無。あくまで戦いを前提として作っているから、そんなルートは自殺行為に等しい。
実は丸亀城、大手門の真逆に搦手門があり、ここからも登城できます。この搦手門からのルートこそ枡形が連続する大手門らしい作りをしていて、気になったので調べてみると、案の定、今の搦手門は築城時は大手門でした。つまり城の正門と裏門を交換したわけです。
その理由は、築城時はまだ城下の讃岐一帯に目を光らせておかなければいけない状況だったのが、時間が経ち、太平の世を迎えると、丸亀城の役目は瀬戸内の海上交通網の監視になっていったと考えられます。あくまで推察ですが。
これを読んで少しでも興味を持った方は、是非搦手門から登って観てください。往時は重厚な櫓が乗っていたであろう迫力ある石垣が次々に出てきます。
香川県でいうと高松城が海城として知られていますが、この丸亀城も、本丸から瀬戸内を一望できるロケーションや、当時は現在のように埋め立てはなく、より海に近かったことを考えると立派な海城だったと言えると思う。
先日の豪雨災害で石垣の一部が崩落して、復旧までは20年ほどかかるとのニュースがありました。残念だけど仕方ない。熊本城同様に再び蘇る日を信じ、気長に見守っていきたいものです。
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