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勝野武士

大和絵障子。 (2019/01/26 訪問)

鳥取城→市内の寺社巡りのついでに寄ってみたら、思いがけない出逢いが。

2019年3月24日まで、鳥取市歴史博物館やまびこ館にて企画展『用瀬-MOCHIGASE-』での展示品の中に、なんと用瀬の大安興寺に伝わる景石城の大和絵が描かれた障子が数点展示されておりました!

当初、全く立ち寄る予定がなく、あくまでついでだった(当然、何の予備知識もない状態でした…)ので、これには驚いたというか、食い入るように見てしまいましたね。
金箔を用いたかなり華やかな画風なので、おそらく応接用の部屋(広間?)を飾っていたのでしょうか…。
他にも景石城に関連する資料が数点展示されていました。
この企画展自体、思ってた以上に見応えがありましたね。何となく立ち寄って正解でした。用瀬の皆さん、すみませんでしたm(_ _)m

なかなかレアな展示かと思われますので、ご興味のある方、是非!

ってか、いつか現地に行ってみたい…!

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こるまろ

登り石垣 全国5例目 (2019/01/25 訪問)

標高90mは程良い高さで食後の運動で軽く登れる。 本丸の石垣群、天守台跡からのパノラマ景色が素敵。

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こるまろ

平田城跡は愛宕山公園になってます (2019/01/23 訪問)

愛宕山公園の展望台が平田城跡の主郭。 動物公園には新たにポニー広場出来てます。

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こるまろ

銃・罠によるシカの捕獲期間中 (2019/01/23 訪問)

ちょうど銃・罠によるシカの捕獲期間中。 万一の誤射が恐くなって入山せずに撤退。

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こるまろ

満願寺城の攻め口が分からず (2019/01/19 訪問)

満願寺の前まで来るも、案内看板も見つからず、裏山に入る攻め口も分からず、ウロウロきょろきょろ不審者に思われ通報されそうなので撤退。

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ひろべえ

巨岩と巨石の城 (2015/11/27 訪問)

朝靄の中を登城。とにかく朝霧で見通しが悪い状態でした。絶景という噂の天守台からの眺望は残念ながら見れませんでしたが、石垣と巨石のコラボがとても素晴らしい。自然石を生かした石垣の構造はとても個性的でした。石垣でここまで魅せられる構造は城跡の中でも屈指だと思います。もしも建物があれば、その異形ぶりに絶句していたかもしれません。

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くろもり

鎮西一 (2013/12/30 訪問)

雷神の化身等と呼ばれる立花道雪公と、高橋紹運公の実子で立花家を継ぎ、豊臣秀吉に「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。(忠義も武勇も九州随一である)」と言われた立花宗茂公の居城だった立花山城。

北側の麓に城主・立花道雪公の墓がある梅岳寺があったのでお参りしてきましたが、梅岳寺の山門を潜る時、道雪公から鋭い眼光で見られているような気がして思わず背筋が伸びました。武将・大名の墓をお参りして来た中で、一番畏怖を感じた時でした。

遺構は石垣が所々に残っているのですが、残念ながら立花氏の遺構ではなく、後に筑前に入った小早川氏の遺構である可能性が高いようです。井戸跡は現地の説明からおそらく立花氏からの遺構だと思います。

本城の井楼山(標高367m)からは南西に博多湾を一望でき、古来より交易の拠点であった博多津を抑える眺望に加え、南は大宰府の岩屋城のある四王寺山まで見渡せ、なるほど博多を抑えるには絶好の場所であると実感しました。また、尾根伝いに北にある松尾山(標高342m)の曲輪跡からは北の宗像方面も監視することが可能で、南の尾根伝いにある三日月山(標高272m)は、防人の時代の660年代から防人を配置した陣屋だったそうで、確かに山頂は大きくて立派な曲輪でした。

帰りも梅岳寺に寄り、道雪公に登城と道中の無事の感謝をして、立花山城を後にしました。

梅岳寺の近くに立花山登山者用の無料駐車場があり、10台程駐車可能です。

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にのまる

多聞櫓や天守をイメージするとわくわくしてきました。 (2019/01/13 訪問)

最初に千軒舎に寄ってスタンプと資料をいただき、展示を拝見しました。発掘調査の様子や出土品などしっかり予習して、千軒舎の裏口から登城。
「帰りもここ通り抜けていいからねー!」
「はーい。行ってきまーす(^O^)/」
って、なんか楽しい。
高くまっすぐ伸びた杉の木が風でしなって不思議な音を立てていました。
通行止めの春日神社からのルートとの合流点から遺構祭りの始まりです。
各郭に設置されている説明板が親切で理解しやすく、櫓や天守のかっこいい姿を容易にイメージすることができました。
災害の影響で立ち入り禁止やブルーシートで覆われた箇所もたくさんありましたが視界がひらけていたので全体の姿は把握しやすかったです。
「ただいま!」と千軒舎に戻って、もう一度展示を見ました。現地を見てからだとさらに良く理解できました。予習も大事だけど復習も大事と実感した次第です。

ここもぜひ再訪したいです。なぜかというと、黒門や春日門跡を見なかったからです( ;∀;)

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まーやん

長岡天神参詣のついでに… (2019/01/24 訪問)

長岡天神駐車場から車で坂を下り、そのままアゼリア通りを東へ真っ直ぐ進むと、阪急電鉄の踏切にあたる手前、南側に開田城土塁公園は位置する。
方形で土塁で囲まれた城だったらしく、遺構の一部が見れる。
開田城は西岡衆(にしのおかしゅう)という国人衆の一つ中小路氏の城だったらしい。同氏は長岡天満宮の宮司を務める家系だそうな。今も続いているのかな。
神社に関係あるからか、土塁内に巨大な楠が植わっており神々しい。
長岡天神は梅、桜、ツツジが有名な学問と花の神社で、阪急長岡天神駅からも然程遠くないので城址と併せて見ておきたい。

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まーやん

茶々の淀城はこちら (2019/01/24 訪問)

淀城の後に淀古城へ行ってみた‼️
ここは、桂、宇治、木津の三川合流地点の北側に位置する天然の要害。元々歴史が古い城で、応仁の乱、三好、信長、秀吉と絡みがある。
足利義昭とともに内藤ジョアンも滞在したのかなと想像してみる。今は妙教寺に石碑が残っている程度。寺横の水路が堀だったみたいだけど、時間がなく確認出来なかった。納所小学校側かな?
茶々のことを淀殿と呼ぶきっかけとなった城とか言われているが、女性に殿とは徳川の印象操作かもと好きになれない話。
石碑には、鳥羽伏見の戦いの時、砲弾が貫通したともある。どこの部分だろう…
敷地内には東軍の戦没者慰霊碑もあった。
今更ながら、乙訓も伏見も、都に近いだけあって結構色んな歴史があるんだなぁと「城びと」情報を元に周って改めて思う。

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織田晃司

南曲輪と北曲輪 (2019/01/26 訪問)

巨岩と磨崖仏で構成された南曲輪と土で構成された北曲輪

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じゅんじん

竪堀 (2010/03/10 訪問)

ここの見どころは何といっても竪堀の多さ。

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ヒロケン

畝堀(障子堀) (2019/01/04 訪問)

河村城は、標高225mにある山城です。酒匂川との比高は、約130mとなり「川村城址歴史公園」として整備されています。
平安時代末期に、藤原秀郷の一族である波多野遠義の子・河村秀高が河村城を築いたと考えられており、戸張城・猫山城とも呼ばれています。

戦国期に入り、韮山城主・北条早雲が小田原城を手に入れると、川村城も北条家の支配下とされますが、1569年に足柄城・深沢城と共に武田氏の前に落城した模様です。しかし、1570年に北条氏康が奪還し1573年まで改修工事が行われました。
1590年豊臣秀吉の小田原攻めに於いて、河村城で戦闘があったのか不明ですが開城し、徳川家康が関東に入ると河村城は廃城となりました。

河村城を訪ねた日は、小田原城・石垣山城に訪問しており、最後に河村城に訪問しました。
小田原城・石垣山城と立て続けにビックネームのお城に訪問しており、「疲れたから河村城に訪問するのを止めようか」と思っていたほどでした。自分は、車2台分駐車できるお城の北側に駐車しました。(河村城大手付近に駐車スペースもあるそうです)駐車場から本郭まで約10分で行くことが出来ます。
まず、馬出廓・西廓・北廓を見学し、本郭に到達。「フーン(-ω-)、こんなもんか」と城址碑と社の周りをうろうろしていた時に、目に飛び込んできたのが、茶臼廓と小廓でした。
茶臼廓と小廓・本郭の間にある障子堀(畝堀)が見事で、しかも堀が深い、「山中か〜」と独り言を言いながら堀を上り下りしながら写真をパシャパシャ。じっくり堪能したあと、蔵部・近藤廓・大場廓をたっぷり楽しみ(障子堀を見たあとなので物足りなさが残った)帰路に着きました。

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カルビン

小笠原氏城跡群の1つ (2019/01/21 訪問)

前日岐阜県攻めしてきたので、たまには出かけずに体を休めようと思っていましたが・・・
朝6:00頃に目覚めた事で、何故かあずさ号に乗って松本まで来ていましたw

目的は松本城ではなく、松本駅から西側にある小笠原氏城跡群・・・城びとに掲載されているのはそのうちの1ヶ所・井川城のみでした。
(東にある林大・小城はタイミング会ったら攻めてみようと思います)

国指定史跡との事ですが、実際には田畑で開けた中に小丘がぽつーーーーんとあるのが井川城で、遺構は無いと言って良いでしょう。
たまに国指定史跡なのに~・・・ってツッコミたくなるお城有りますが、ここはその1例となりますw
一応周辺はお城の名残として地名等にお城関係の名前が使われているっちゃ使われていましたが。。。それだけですなw


ここから更に西に行くと同じ小笠原氏城跡である渚城と荒井城があります。
どちらも遺構は無いですが解説は有りますので、もし行くとしたら井川城とまとめて松本城のついでに行ってみる・・・くらいで十分かと思います。

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小城小次郎

宇和島城

天守ばかりに注目が集まりがちなお城にあって、苔むした野趣溢れる石垣は規模雄大にして迫力満点の隠れた見どころとなっている。

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小城小次郎

甲府城

甲府にあっても武田氏とは関係なく、豊臣系大名が作り上げたのに徳川直系の親藩が代々藩主を務めているのは不思議と言えば不思議。現在は建物復元スピート加速中。

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わき☆れーじ

青空の天守台 (2019/01/26 訪問)

天気もよく、天守台はとても気持ちがよかったです。

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10Q-Nobu

町に埋もれた城址 (2019/01/14 訪問)

沼津駅から商店街を歩いている途中、立ち寄りました。公園に碑が立っているのみで遺構はありません。
周囲の町名から昔の城下を妄想するのみです。

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10Q-Nobu

多目的レジャー城址 (2019/01/26 訪問)

山頂までいくつかコースありますが、鎖場のあるコースは普通に登山する気持ちが必要になります。
津久井湖もあり、ダムも見れ、公園も整備されているので、お城以外も楽しめます。

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愛犬おじさん

風が強い日の訪城 (2019/01/14 訪問)

風が強くて寒かったので、帰り道に東栄温泉に入って帰りました。

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