かしわのじょう

柏の城

埼玉県志木市

別名 : 志木館
旧国名 : 武蔵

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城好きのメガネ

「柏の城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
柏の城は、武蔵の有力豪族であった大石氏が築いたとされる。戦国時代には後北条氏に服属し、小田原征伐の際に豊臣勢に攻められ落城したとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道東上本線 柳瀬川駅 徒歩15分

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赤い城

志木第三小学校 (2021/05/15 訪問)

東武柳瀬川駅から徒歩で12分くらい。
志木第三小学校が主郭跡となります。
校門脇に碑と説明板が立っています。
その東西に曲輪が配置されていたとされますが遺稿は残っていません。
南側のmansion裏の遊歩道が堀の跡。
説明板はありますが遺構としては見ることができません。
木曽義仲の子孫と言われる大石氏の居城。
住宅地のうえ小学校ということであまりうろうろできない場所の城でした。

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昌官忠

埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り⑧ (2019/08/04 訪問)

「埼玉県(東武野田線&東武東上線&JR埼京線沿線)日帰り」7城目(ラストです)は柏の城です。河越館からの転戦です。
河越館から霞ケ関(埼玉県)駅に戻り、東武東上線で柳瀬川駅に到着。そこから志木第三小学校(柏の城)を目指します。(柳瀬川駅から徒歩15分くらいです)

柏の城は木曽義仲の子孫で、武蔵の豪族であった大石氏の居館です。同地には平安時代に藤原長勝または在原業平の居館があったという説もありますが定かではないようです。
築城時期についても室町時代に大石氏が築いたとする説と、鎌倉時代の1289年(正応2年)に二階堂氏が築城したという説があるようです。
1524年(大永4年)に山内上杉氏の重臣、大石信吉が改修を加えて居城にしました。その後、北条氏の支配下に置かれましたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に攻撃を受けて廃城になりました。

現在城址には志木第三小学校があり、校門脇に碑と説明板(35.832124、139.569843)、小学校南側マンションの南側に、大堀と呼ばれる堀跡の説明板があるようですが、自分は見ていません。
志木中学校の裏手・柳瀬川沿いを歩くと「小橋の石橋供養塔」があります。攻城時間は15分くらいでした。

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BUGTI

山内上杉氏家臣の大石氏の館 (2019/09/07 訪問)

主郭は小学校のグランドとなっています。ちかくのマンションの裏に大堀跡が残されていますが、あまりはっきりしません。南側以外は結構な高低差があり、地形的には台地の端をうまく利用して構築したのではないでしょうか。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大石越後守
築城年 室町時代
主な城主 大石氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板(柏の城 大堀跡)
住所 埼玉県志木市柏町(志木第三小学校)
問い合わせ先 志木市生涯学習課生涯学習・文化財グループ
問い合わせ先電話番号 048-473-1111