いなじょう

伊奈城

埼玉県北足立郡

別名 : 伊奈陣屋、伊奈氏屋敷
旧国名 : 武蔵

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伊奈忠次 (2024/09/07 訪問)

 関東郡代伊奈氏の祖、伊奈忠次の陣屋跡です。「伊奈氏屋敷跡」として説明板や案内標識が整備されています。土塁や空堀などが、いい感じで残っています。障子堀も見つかっていますが、は発掘調査後、保存のため埋め戻されています。ところが障子堀という案内標識が複数あり淡い期待を抱いて探してみました。やはり見当たりません。また藪になっている所もあり、時期的に蚊にも悩まされました。それでも十分楽しめる陣屋跡ですが、散策は冬の方がいいですね。

埼玉新都市交通ニューシャトル丸山駅からすぐの所に裏門跡があります。

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肉球

大きな陣屋です (2023/03/17 訪問)

徳川家康に仕えた伊奈忠次の屋敷跡です。
先に投稿された方の書き込みにもありましたが
地元住民の反対運動があると認識していましたが
今はないようでした。
案内板も設置され南側から西側を巡る南側散策路と
北側から東側を巡る東側散策路があり堀跡を散策できるようになっていて
土塁、堀跡、虎口など確認できます。
今は埋め戻されていますが発掘調査で裏門跡付近には障子堀が確認されています。
陣屋南側の原市沼は綾瀬川とつながり舟も利用出来たようです。

難を言えば近くに駐車場が無いこと。
沼南駅近くにコインパーキングがあり徒歩で10分位はかかります。
 

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城好きのメガネ

「伊奈氏屋敷」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★★★★★
伊奈氏屋敷は伊奈忠次が築いた屋敷跡とされる。東西約350m、南北約750mの楕円形の地には、当時を偲ばせる表門、裏門、蔵屋敷、陣屋などの名称も遺されている。伊奈忠次は父と共に三河一向一揆に加担し、堺に移り住み治水を学ぶ。本能寺の変では徳川家康の伊賀越えに加わり復帰した。関東移封では関東郡代に任じられ、検地・治水工事の責任者として頭角を表す。後の江戸幕府の経済基盤の確立に寄与した。江戸を守護する北の要として陣屋を構えた。現在、土塁、堀などが遺されている。

<アクセス>
埼玉新都市交通伊奈線 丸山駅 徒歩15分

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退会済み
ユーザー

伊奈城周辺 (2015/03/25 訪問)

5年前(2015年)は訪問が大変歓迎されていなかった。伊奈町はバラ園も有名。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 不明、伊奈忠次[陣屋]
築城年 不明、天正18年(1590)[陣屋]
主な城主 伊奈忠次
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)、障子堀
指定文化財 県史跡(伊奈氏屋敷跡)
再建造物 碑、説明板
住所 埼玉県北足立郡伊奈町大字小室字丸ノ内
問い合わせ先 伊奈町役場
問い合わせ先電話番号 048-721-2111