西尾式部道永が文安年間(1444年~1449年)に築き、岩倉の織田伊勢守信安に仕え、この地方一帯を領したと云われます。
その後、織田氏の家督争いからこの地を離れ、天文17年(1548年)頃に廃城となったとされます。
北西側は道路や宅地の開発で削られ、本丸、背後の大堀切は現存しませんが、白山神社一帯の山林に遺構が残されています。
白山神社にある説明板に復元図がありますが、見て回った地形とは少し違っているように思われ、復元図にある各曲輪がどこなのか、よく分かりませんでした。
段曲輪や土塁がありましたが、後世の改変の部分もあるかもしれません。
山林を探し回ると、竹薮の中に遺構と思われる空堀が3箇所で見られました。
白山神社の南東側の曲輪を数段下った先にある空堀は特に見応えがあり、深くカーブし長大でした。
この空堀が復元図にある空堀だとすれば、白山神社がある曲輪は復元図で描かれておらず、白山神社は腰曲輪と馬場の間辺りではないかと想像します。
尾張の平山城では街中に大きな空堀が残された貴重な城だと思います。
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