おおぐさじょう

大草城

愛知県小牧市

別名 : 西尾城、城山城
旧国名 : 尾張

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①城址碑と説明板
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:大草城 (2024/09/24 訪問)

名鉄バスの大草北バス停から徒歩10分くらいで、白山神社参道入口/登城口(35.291040、136.989110)に着きました。

岩倉城主・織田伊勢守信安に仕えた西尾式部道永が、文安年間(1444年〜1449年)に築いたと云われています。
その後、岩倉織田氏の家督争いのために西尾氏がこの地を離れ美濃へ移ると、1548年(天文17年)頃に廃城となったようです。
大草城は白山神社一帯に築かれていたようです。

白山神社境内の石碑と案内板を確認しました。
土塁や空堀らしき遺構は見ましたが、確証はありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=大留城を目指す為、大草バス停から名鉄バスで高蔵寺駅北口バス停に向かいました。

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ぴーかる

大草城 (2024/05/25 訪問)

【大草城】
<駐車場他>福厳寺駐車場に駐車し参詣してから徒歩で白山神社(大草城跡)に行きました。
<交通手段>車

<見所>土塁・曲輪
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾5城目。現地説明板によると大草城は文安年間(1444~1449年)に西尾式部道永によって築城されました。道永は三河西尾の出身といわれ、その後岩倉織田氏に仕えました。織田氏の家督争いから1548年頃この地を離れて廃城となったようです。西側の白山神社入口からすぐに竹林の曲輪跡がみられます。平山城というより丘城で南側に対してはやや比高があるが、残り3方は緩やかに高くなっています。最頂部の城跡碑・祠から東西に土塁が伸びています。南と西方向の竹林にひな壇状の曲輪が降りていっています。筍採取の為に土地整備されているかも分かりませんが、曲輪段がはっきりしています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

タケノコ兵が道を塞ぐ。 (2024/04/13 訪問)

西尾式部道永が文安年間(1444~49)に築いたとされています。道永は西尾の出身で、岩倉織田氏に仕えたとのこと。大草城は天文17年(1548)に廃城になったとのことです。白山神社のあるあたりが本丸と見られ、かつては背後(北側)に大堀切が存在したようです。東に向かって道が続き、空堀や土塁が連なりますが案内板とは縄張りが異なる様子。本丸南側の竹藪が三の曲輪と見られ、その先は堀切が周回しているようですが、入れる場所も限られています。尾張の城にしては、比較的城址としての雰囲気を感じとることができました。

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キンヤ

大きな空堀が残る西尾氏の城 (2023/05/04 訪問)

西尾式部道永が文安年間(1444年~1449年)に築き、岩倉の織田伊勢守信安に仕え、この地方一帯を領したと云われます。
その後、織田氏の家督争いからこの地を離れ、天文17年(1548年)頃に廃城となったとされます。

北西側は道路や宅地の開発で削られ、本丸、背後の大堀切は現存しませんが、白山神社一帯の山林に遺構が残されています。
白山神社にある説明板に復元図がありますが、見て回った地形とは少し違っているように思われ、復元図にある各曲輪がどこなのか、よく分かりませんでした。
段曲輪や土塁がありましたが、後世の改変の部分もあるかもしれません。

山林を探し回ると、竹薮の中に遺構と思われる空堀が3箇所で見られました。
白山神社の南東側の曲輪を数段下った先にある空堀は特に見応えがあり、深くカーブし長大でした。
この空堀が復元図にある空堀だとすれば、白山神社がある曲輪は復元図で描かれておらず、白山神社は腰曲輪と馬場の間辺りではないかと想像します。

尾張の平山城では街中に大きな空堀が残された貴重な城だと思います。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 西尾道永
築城年 文安元年(1444)
主な城主 西尾氏
廃城年 天文17年(1548)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県小牧市大草字西洞
問い合わせ先 小牧市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0568-76-1189