おおぐさじょう

大草城

愛知県小牧市

別名 : 西尾城、城山城
旧国名 : 尾張

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池越しの福厳寺全景
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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪15/17大草城-2/2福厳寺編 (2025/03/30 訪問)

 大草城-1/2城址編の続です。

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内15城目大草城を登城し、城びとぴーかるさん紹介の大草城近くの利用駐車場の福厳寺が素晴らしいので写真投稿致します。

 住所:愛知県小牧市大草5229
 駐車場:福厳寺参拝者駐車場
 参考資料:ウキペディア、グーグルマップに依る。

 福厳寺は佛心宗大叢山福厳寺と称し、500年の歴史有る名刹です。
 駐車場を利用させて頂き、大草城登城前に参拝し、下城後ゆっくりと参拝見学させて頂きました。
 池越えから眺める福厳寺全景は丁度桜も咲素晴らしい景観です、右手には桃の畑が有り桃の花も咲き誇り、駐車場の東前には枝垂れ桜並木が今を盛りに咲き誇り一幅の安らぎを与えます、畑には菜の花が咲良いコントラスト。
 楼門式山門二階には鐘堂と成っており、山門前に大変珍しい陶製の宝篋印塔(小牧市有形文化財指定)が注目です、山門を潜って本堂を参拝、本堂左横に小牧市指定有形文化財「絹本着色盛禅画像」の解説板、それによると福厳寺の開山、盛禅和尚の像を大草城主西尾道永が描き、盛禅が賛をしたもの。永正3年(1506年)の作と伝わる。大草城主とのかかわりが窺えます。
 本堂左手に歓喜天堂が有り、大正5年の建物で昭和42年に譲り受けて移築された。現在は仏舎利殿として釈尊の遺骨を安置、ダライラマ法王より贈られた、観音像、チベット経典、鈴、スツーパ等を祀る。(案内板より)
 左手奥階段上に神社が鎮座、右手奥に庫裏が有り大草山系に抱かれて東側が開放された静かな環境雰囲気です。
 トイレは庫裏側の奥に有りましたので利用させて頂きました、ありがとうございました。
   

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪15/17大草城-1/2城址編 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内15城目大草城へ上末城から南東に約2.7km程に在り、城びとぴーかるさん紹介の大草城近くに在る福厳寺駐車場を目指して走行。

 駐車場:福厳寺参拝者駐車場。(福厳寺:小牧市大草5229)
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 上末城から国道155線をそのまま進むと信号の有る交差点福厳寺前を右折して参拝者車道を登ると参拝者駐車場に着く。東面には早咲の枝垂れ桜が見事満開に並木に成って咲きそろっている。西を向くと池越しに福厳寺全景が見える。
 福厳寺駐車場から国道155号線を約110m程戻る形で国道155号線に繋がる西洞線を北東に約200m程進むと城山4丁目交差点に着く、白山神社参道入口の白い標柱が有る、そこが大草城の登城口で約比高20m程登ると白山神社の祠、大草城跡石碑、案内板が有る。登城路はよく整備されて登りやすく大切にされて居る、登る途中には段曲輪、竹林の奥には郭、堀なども見受けられるが登城路を主郭間往復しただけで終了。
 大草城跡案内板によると
 大草城跡は西尾式部道永が文安年間(1444~49年)に築いた。道永は、三河西尾の出身といわれ、岩倉の織田氏につかえた。その後、織田氏の家督争いからこの地を離れ、天文17年(1548年)頃大草城ははいじょうとなった。本丸や背後の大堀切は開発で無く成った様です。(小牧市教育委員会より)
 
 大草城-2/2福厳寺編に続く
 
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:大草城 (2024/09/24 訪問)

名鉄バスの大草北バス停から徒歩10分くらいで、白山神社参道入口/登城口(35.291040、136.989110)に着きました。

岩倉城主・織田伊勢守信安に仕えた西尾式部道永が、文安年間(1444年〜1449年)に築いたと云われています。
その後、岩倉織田氏の家督争いのために西尾氏がこの地を離れ美濃へ移ると、1548年(天文17年)頃に廃城となったようです。
大草城は白山神社一帯に築かれていたようです。

白山神社境内の石碑と案内板を確認しました。
土塁や空堀らしき遺構は見ましたが、確証はありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=大留城を目指す為、大草バス停から名鉄バスで高蔵寺駅北口バス停に向かいました。

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ぴーかる

大草城 (2024/05/25 訪問)

【大草城】
<駐車場他>福厳寺駐車場に駐車し参詣してから徒歩で白山神社(大草城跡)に行きました。
<交通手段>車

<見所>土塁・曲輪
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾5城目。現地説明板によると大草城は文安年間(1444~1449年)に西尾式部道永によって築城されました。道永は三河西尾の出身といわれ、その後岩倉織田氏に仕えました。織田氏の家督争いから1548年頃この地を離れて廃城となったようです。西側の白山神社入口からすぐに竹林の曲輪跡がみられます。平山城というより丘城で南側に対してはやや比高があるが、残り3方は緩やかに高くなっています。最頂部の城跡碑・祠から東西に土塁が伸びています。南と西方向の竹林にひな壇状の曲輪が降りていっています。筍採取の為に土地整備されているかも分かりませんが、曲輪段がはっきりしています。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 西尾道永
築城年 文安元年(1444)
主な城主 西尾氏
廃城年 天文17年(1548)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県小牧市大草字西洞
問い合わせ先 小牧市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0568-76-1189