てらいけじょう

寺池城

宮城県登米市

別名 : 寺池館、登米要害、臥牛城
旧国名 : 陸奥

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武家屋敷通り
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ぎりょう

葛西氏の本拠地から登米伊達家の要害に (2020/11/21 訪問)

宮城県北の登米(とめ)市登米(とよま)町は藩政時代は登米伊達家(仙台藩御一門第五席20,000石)の城下町。また、水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)、教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎・重要文化財)、警察資料館(旧登米警察庁舎・宮城県指定有形文化財)など歴史的建造物を有する「宮城の明治村」としても名高い。
このほど登米懐古館で「伊達宗倫没後350年記念」の企画展が開催されていると云うことで訪問した。宗倫は登米伊達家第4代当主、仙台藩2代藩主忠宗の5男で伊達騒動の主要人物の一人伊達式部の名で知られている。

寺池城は鎌倉時代に陸奥国中部に入部した葛西氏の本拠地。秀吉の奥羽仕置きにより葛西氏の改易後は葛西・大崎一揆を経て仙台藩の要害として明治を迎える。
城地は北上川の西に位置する市街地の比高30mほどの台地に築かれており、北側の最高部が主郭であったと思われ、南に段々と曲輪が続く梯郭式縄張であったことがわかる。最下段は帯曲輪が東側と西側に廻りこみ、懐古館に展示されている城下絵図にはその周囲に水掘りが描かれているが現在は跡形もない。また、最高部は民家と畑、二段目の曲輪は簡易裁判所の敷地として利用されているが三段目、四段目は民家や旧懐古館の跡地として放置されている。廃城後の再利用によって改変されてしまい遺構を残さない残念な状態。
至近距離に観光客駐車場・物産館駐車場が有り利用できる。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

浅部茶臼館から、少し南下した仙台地方裁判所付近の丘が寺池城址となります。

城址の石碑はあるものの、裁判所などになっており、土塁や堀切がわずかに確認できるのみです。

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カズサン

登米要害古き良き城下町が残ってる (2016/10/04 訪問)

 姫松館を終えて以前涌谷城、佐沼城を探訪してましたが寺池館はパスして居ましたので今回の城廻りで初登城しました。
 車は麓の観光物産センター駐車場へ停め昼食してから登城、本丸、二の丸跡の現裁判所まで登り、懐古館で登米要害、寺池城の資料館に成って居り見学と勉強、降って大手冠木門、大手口石垣を見学して登米市寺池地区を見学、懐古館では「みやぎの明治村・登米町」とキャッチコピーされてましたので城下町を散策、武家屋敷、武家屋敷門、教育資料館(旧登米尋常小学校)、水沢県庁記念館など古き良き時代の姿を残しています。

 奥州藤原氏攻め戦功で葛西氏が領有し下向栄えるが小田原征伐奥州仕置きで改易断絶、奥州仕置で功の有った木村吉清が30万石で寺池館に入るが葛西大崎一揆で木村氏は責任を取らされ改易、以後木村領は政宗領と成り家臣白石宗直が登米要害として継承、伊達姓を賜り明治まで続く、伊達宗家筋と館主は血筋が絶えた時に養子を重ねて明治まで続く。

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夏の雪だるま

葛西氏居城 (2015/09/26 訪問)

仙台城から北東約60㎞に有る宮城県登米市にある寺池城です。築城時期は不明ですが、岩手県南部から宮城県北部を領地とする戦国大名30万石の葛西氏の居城でした。葛西氏は小田原征伐に参陣しなかったため豊臣秀吉により1590年改易となり葛西氏の領地は豊臣秀吉家臣木村氏に与えられ、城は木村氏の居城となっています。しかし葛西大崎一揆が勃発し、寺池城を占拠、このため木村氏は佐沼城へ逃れています。その後、伊達政宗が一揆を鎮圧、この地域は伊達氏のものとなり一時城は廃れますが、1604年伊達氏家臣白石氏が1万5千石で寺池城主と成り、その後、1682年に伊達性を名乗ることが許され、登米伊達氏として幕末を迎えています。城は北上川右岸の丘陵部に築かれた平山城で、東西100m南北450mの規模で、本丸、二の丸を有していましたが、現在は、公園、裁判所、住宅地となり遺稿があまり残っていません。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 葛西氏
築城年 天文5年(1536)
主な城主 葛西氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 石碑
住所 宮城県登米市登米町寺池桜小路
問い合わせ先 懐古館
問い合わせ先電話番号 0220-52-3578