宮城県北の登米(とめ)市登米(とよま)町は藩政時代は登米伊達家(仙台藩御一門第五席20,000石)の城下町。また、水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)、教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎・重要文化財)、警察資料館(旧登米警察庁舎・宮城県指定有形文化財)など歴史的建造物を有する「宮城の明治村」としても名高い。
このほど登米懐古館で「伊達宗倫没後350年記念」の企画展が開催されていると云うことで訪問した。宗倫は登米伊達家第4代当主、仙台藩2代藩主忠宗の5男で伊達騒動の主要人物の一人伊達式部の名で知られている。
寺池城は鎌倉時代に陸奥国中部に入部した葛西氏の本拠地。秀吉の奥羽仕置きにより葛西氏の改易後は葛西・大崎一揆を経て仙台藩の要害として明治を迎える。
城地は北上川の西に位置する市街地の比高30mほどの台地に築かれており、北側の最高部が主郭であったと思われ、南に段々と曲輪が続く梯郭式縄張であったことがわかる。最下段は帯曲輪が東側と西側に廻りこみ、懐古館に展示されている城下絵図にはその周囲に水掘りが描かれているが現在は跡形もない。また、最高部は民家と畑、二段目の曲輪は簡易裁判所の敷地として利用されているが三段目、四段目は民家や旧懐古館の跡地として放置されている。廃城後の再利用によって改変されてしまい遺構を残さない残念な状態。
至近距離に観光客駐車場・物産館駐車場が有り利用できる。
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