恥ずかしながら『城びと』を見なかったらおそらく知ることがなかったであろうお城です。
少し前から気になっていたので、花隈駅から阪急電車で御影駅へ。
そして、北口から出て少し西に歩くとキレイに整備された広場があり、そこに『御影城跡』の石碑がありました。
このお城は南北朝時代に赤松円心が家臣の平野忠勝に築かせ守らせたというお城です。
西に石屋川、東に池と湿地帯、北に山に囲まれた丘陵地を選んで築かれたようで、南には遠く山陽道と大阪湾を見下ろせるというのもグッドだったようです。
…私、ここでしくじってしまいました。
遺構なんて残ってないだろうと思って、石碑だけ見て引き返してしまいました。
や、実際遺構自体は残っておらず、場所もはっきりしてないようなのですが。
あとでいろいろ調べてみると、景色は宅地化などですっかり変わってしまったものの、東に湿地帯の名残だという深田池公園があったり、西に流れる石屋川もいまだ健在。
城跡推定地近くの御影北小学校の南側は切岸っぽくなってたりするそうで。
さらに、平野忠勝は打出浜の合戦(観応の擾乱の最初のほうの戦い)で足利尊氏・高師直方について敗れた後に帰農して(廃城もおそらくこの頃か)、地元の人々に農業を教える指導者として余生を送り亡くなったそうで、そんな彼の菩提寺として中勝寺が今もあるそうです。
なんてこった、知っていれば絶対行ってた…orz
ということで、またいつかリベンジしてやろうと思います。
石碑から西を見れば、立地的なところは何となく察する事はできますが…。
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