秋田県湯沢市の北部の皆瀬川左岸にある丘の先端部標高110mに位置する、本丸・二の丸・三の丸を配する東西250m南北180m規模の岩崎城です。城西側の羽州街道と皆瀬川の監視を目的とした湯沢城の支城とされます。築城年代は定かでありませんが、戦国時代秋田県南を領した小野寺氏の庶流岩崎氏が城主でした。1590年奥州仕置で雄勝郡は山形の最上義光の領土とされますが、小野寺氏は雄勝郡の支配を継続したため、最上義光は、1593年より雄勝郡侵攻を開始、国境の諸城を攻略、1595年雄勝郡の重要拠点である湯沢城を最上軍6千の兵で攻撃、激戦のうえ落城させると、岩崎城を6百の兵で夜襲。岩崎城は援軍も無く守兵2百と手薄であったため落城。最上氏家臣原田氏が城主となます。1602年佐竹氏が移封となると佐竹氏の城となりますが、1615年一国一城令により廃城となっています。1868年岩崎城址南麓に佐竹支藩2万石が陣屋を構えて岩崎藩を置きますが、1871年わずか3年で廃藩置県により廃藩となっています。城跡は現在、千年公園として藤棚などを整備、5月には藤祭が開催されています。本丸東側の堀をJR奥羽本線が走り、二の丸東端櫓台跡に高辻神社、三の丸に玉子井戸・能恵姫像があります。三の丸の下にある帯郭の八幡神社拝殿の唐破風が陣屋殿舎からの移築と伝えられ、その奥に水神神社と鹿島様の藁像があります。
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