小さな神社の中に説明板と見えにくい城址碑があるだけだが、此処は城の二の丸で本丸は安閑天皇陵。天皇陵は宮内庁の管理下にあり、勿論、立ち入ることはできない。
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2018/03/06 19:43
安閑天皇陵 (2014/03/15 訪問)
小さな神社の中に説明板と見えにくい城址碑があるだけだが、此処は城の二の丸で本丸は安閑天皇陵。天皇陵は宮内庁の管理下にあり、勿論、立ち入ることはできない。
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2018/03/06 19:39
北条氏 (2014/03/15 訪問)
狭山陣屋は石碑と説明板が道の脇に建つのみだが、狭山藩主は、豊臣秀吉に滅ぼされた北条氏の後裔である。
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2018/03/06 19:38
2003年12月13日大坂城三の丸障子堀跡発掘現地説明会 (2003/12/13 訪問)
発掘現場は、現在の大阪府警察本部建物の地下にありますので見ることはできません。当時は、大坂の陣で豊臣期大坂城が落城した頃の遺構である三の丸南西角部分と障子堀跡が地下6mから出現したことで多くの見学者が訪れました。堀底に立つ説明員との比較で堀の深さ、幅の規模や構造がよくわかると思います。粘土に覆われた斜面の角度は45度あり、迂闊に入ると重武装の武士ひとりでは堀からの脱出は困難だったでしょう。鉄砲の有効射程も織り込み済みで、堀に侵入した徳川軍は、堀底の仕切りで行動の自由を制約されたうえに豊臣軍から鉄砲弾を頭上から容赦なく撃ち込まれたことになります。防御戦を有利に、あるいは真田丸のような出丸構造なら反撃戦が広範囲で可能な城であったということになります。
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2018/03/06 19:36
中途帰還 (2014/03/15 訪問)
道沿いの説明板はすぐに判ったが、登城路らしき道が通行困難な状態になっている。急峻な山肌を無理矢理登って尾根にとりつくと漸く登城路が現われた。黄緑の梱包用テープが木に巻いてあるので安心して進んでいった。二重堀切からは竪堀が伸びているように見えこれだけで満足してしまい、この東側の郭の先にある西側の郭は完全にパスしてしまった。見事な竪堀は西側にあるらしい。根来衆が奪って拠点としたという根福寺城。又いつかやって来ることになるだろう。
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2018/03/06 19:26
震災前最後の訪城 (2014/03/22 訪問)
一口城主宛に送られてきた招待券を使用。重文の不明門の特別公開の表示を発見。慌てて不明門に駆けつけた。中々人足が途絶えず写真撮影には難渋してしまった。その後は東竹の丸、竹の丸から本丸を目指したが、咲き始めの桜を眺めつつ、本丸御殿、大天守、数寄屋丸は全てパス。重文の宇土櫓だけはじっくりと楽しませてもらった。頬当御門から西出丸、二の丸に抜け、西出丸の堀越しに天守群を楽しんでから、桜の小路に下っていって昼食をとった。前夜食べることができなかった馬刺し、辛子蓮根、一文字のグルグルに地ビールまでつける贅沢をしてしまった。
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2018/03/06 19:17
公園 (2014/03/21 訪問)
八女市役所近くの市街地に位置する平城で市民が憩う公園となっているが、櫓台とそこはかとなく土塁、そして堀跡が残っていた。
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2018/03/06 14:50
2018/03/06 14:36
2018/03/06 13:17
素晴らしい障子掘と畝掘 (2016/03/04 訪問)
秀吉軍を迎え撃つにふさわしい、立派な障子掘と畝掘が素晴らしい!
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2018/03/06 06:33
山城サミット (2014/03/21 訪問)
九州では貴重な山城サミットに加盟している城。二の丸に車を駐めて200歩ほどで本丸に辿り着いた。土塁がそれなりに残っていて眺望も良い中々の山城である。
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2018/03/06 06:29
耳納スカイライン (2014/03/21 訪問)
耳納スカイラインのすぐ脇が主郭。堀切を越え、二郭、三郭と下っていくと眼前に筑後川が悠然と流れる大パノラマが広がっていた。
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2018/03/06 06:24
筑後鷹取城 (2014/03/21 訪問)
耳納連山最高峰の鷹取山。山頂直下に車で取り付けるお手軽な山城であるが、きれいに整備されており、まずは見事な畝状竪堀に目を奪われる。主郭、二郭と郭もきれいに視認できて素晴らしい。生憎、雪が舞ってきて眺望を十分に楽しむことはできなかったが、晴れていれば山頂からの素晴らしい眺望も楽しめるだろう。黒田六端城の鷹取山城の方が遙かに有名だとは思うが、筑後鷹取城も中々楽しめる城である。
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2018/03/06 06:18
本丸御殿玄関表書院 (2014/03/29 訪問)
公開からかなりの日数が経っているにもかかわらず結構な行列ができていた。かなりの時間待たされたが、その分、御殿内は人でごった返していることがなく襖絵をゆっくり鑑賞することができた。玄関の間の虎や豹は威嚇目的だというが、かなり愛嬌がある。表書院の上段の間は定番の松や桜でやっぱり落ち着きを感じる。帰りがけには全国の魁である名古屋城おもてなし武将隊の演舞を暫し観覧。
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2018/03/05 23:54
勝山城と勝山御殿 (2018/03/03 訪問)
四王司山・勝山・青山の三山のうちの一つ、勝山の山頂にあるのが「勝山城」で1378年に大内氏の家臣が築いたとされる。曲輪や櫓跡が残るそうだが今回は登城せず。
麓にあるのが「勝山御殿」で今回行ったところ。
幕末、海岸近くにあった毛利の長府藩邸、櫛崎城が危険になったため領民総動員で急遽、突貫工事で内陸に造られた。
廃藩置県後に解体されたが、建材は覚苑寺の庫裏や宮殿、了円寺の山門などとして残っている。
山の方もそのうち攻めてきます(`_´)ゞ
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2018/03/05 23:30
37.一乗谷城(福井県)〜日本100名城に行こう その12〜 (2018/03/03 訪問)
登城日:平成30年3月3日
天気:快晴
見どころ:谷あいにある城跡と復元された街並み。本来は居館の礎石とか石垣が見れたのでしょうが、今回はこんな感じでした。
雪まみれで何がなんだかさっぱりわからない。
庭園跡?うーん、どこにあるん??
城跡は一通り歩きましたが、足場悪いのなんの。滑らないように恐る恐る・・・。
数週間前に降った37年ぶりの大雪がまだ溶けずに残った状態でした。
でも、それはそれで風情があってよかったですね。
グルメ:福井と言えばそば。永平寺近くのけんぞう蕎麦にて食べた大根おろしの辛い汁で食べるざるそば。美味しかったです。
なんだか城巡りかグルメツアーかよくわからなくなってきましたね、前回ぐらいから。
おまけ:雪の永平寺。こちらは20数年ぶりの訪問。
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2018/03/05 23:10
いつの間に白壁に (2013/07/20 訪問)
JR亀山駅より徒歩で登城しました。10分ぐらいで城址に到着。最初、白い壁の櫓が見えたので新しく作ったのかと思ったが、多門櫓を修復し板壁から江戸時代末期の姿である漆喰壁にしたらしい。以前来たとき、と言っても中学生の頃友人の来た時だが板壁の櫓で趣があってよかったのだが、白壁がきれいで何となく違和感はありました。昼はB級グルメで有名?な「みそ焼きうどん」を食べました。期待していませんでしたが、結構おいしかった。
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2018/03/05 22:57
2018/03/05 22:42
2018/03/05 22:35
何も無い (2018/03/04 訪問)
かつての城跡に老人ホームが建っていて遺構はほぼない。石碑と、バス停の名前に白地城跡とるだけ。
ただ、長宗我部元親が対秀吉の拠点とした城。
ひょっとしたら、老人ホームの裏手の山と言うか、住宅地も城の範囲内では無いのか?って思えてしまう。
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