駐車場に近い東出構、西出構を堀越しに眺めつつ、乾門桝形から二の丸、本丸へと向かいました。帰路は馬出、三の丸、丸馬出と辿ったので新府神社の石段は利用しないで済みました。午前中に御坂城、要害山城と無理をしたので、身体に負担の少ないルートは良かったです。見映えのする遺構もしっかりとチェックできますし。
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2018/12/28 06:09
続日本100名城スタンプ83個目 (2018/12/16 訪問)
駐車場に近い東出構、西出構を堀越しに眺めつつ、乾門桝形から二の丸、本丸へと向かいました。帰路は馬出、三の丸、丸馬出と辿ったので新府神社の石段は利用しないで済みました。午前中に御坂城、要害山城と無理をしたので、身体に負担の少ないルートは良かったです。見映えのする遺構もしっかりとチェックできますし。
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2018/12/28 00:01
2018/12/27 23:22
夜の城景 (2018/12/26 訪問)
名古屋城の西にある、ホテル ナゴヤ キャッスル11階のレストランクラウンで晩御飯を食べて来ました。名古屋城大天守の真西にあるホテルなので、大天守を正面に見ることができます。
ピアノを生演奏しているようなお洒落なお店なので、天守の写真を撮るにも少々の気合がいるのですが、大天守が建替えでなくなってしまう前の最後のチャンスだったので意を決して撮ってきました。ここからの西北隅櫓の写真はネットでも見たことないので、貴重かも・・・しれません。
私のような一庶民には少々高いお店なので、何かの記念日にしか利用しません。窓際の席で何かの記念日だと伝えておくとお店の方が写真を撮ってくれるのですが、それだと天守がちょっと小さい(;^_^A
もちろん、普通の食事でも写真頼めば天守バックに撮ってくれますが、遠方から来られる方はホテルに宿泊した方がゆっくり城を眺められていいかもしれません。夜も朝も名古屋城を見られるし。
ホテルを出ると北東に西北隅櫓があり、こちらもライトアップして綺麗でした。堀にも隅櫓が映り二つの櫓に。ライトを反射した水面の波紋が隅櫓の白い漆喰の壁に映り込んで幻想的で、大天守がなくなる寂しさを少し癒してくれました。
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2018/12/27 23:10
信康の首を刎ねたが為に (2016/04/02 訪問)
今川⇒徳川⇒武田⇒徳川と、時の権力者にその支配を奪われ変わりまくった天方城。
再び徳川の支配下に置かれた際に首藤通秀が城主となり、転じて天方氏を名乗るようになります。
その息子・道興が、切腹を命じられた松平信康(家康の長男)の立ち合いをした際、服部半蔵が介錯をするのに涙で良く見えないと言って躊躇したのを見て、代わりに介錯したとされます。
(実はこれ半蔵の策略で、主君の息子の首を落として自分の明日は無いと思って芝居したとされている)
おかげで道興は良心にかられて高野山に登り、代わりに家を残す為に遠い親戚で家康の小姓をしていた道直を後継にしたとされます。
・・・とまぁ、歴史的には色々興味をそそられますが、それはそれw
お城としての天方城はと言いますと、山の頂上を主郭とし、山裾に横堀・土塁の走る比較的規則正しい形状の場所になっております。
公共交通機関の訪問は困難ですが、車で城址公園となっている山頂の駐車場まで行けるので、山城ではありますが全然登必要はありません。
ただ、山上までの道が対向車とすれ違いが困難な程細いので、十二分に注意が必要です。
堀・土塁・虎口等、城址公園にしては遺構が当時のままと思われる形状・深さ・鋭さを維持してますので、遠くからここだけを目当てに来たとしても結構満足出来るのでは?と思える場所でした。
ま、車での訪問でしたら近く(10km圏内)にレベルの高いお城転在しているので、複数ヶ所一緒に訪問が良いかと。
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2018/12/27 20:28
大手門は改修中 (2018/12/27 訪問)
大手門は骨組みくらいの状態でした。
入ってすぐの虎口は高い土塁に囲まれ、周りの堀深く、そちらの遺構で充分満足。
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2018/12/27 20:10
お城expo後、最寄りのお城へ (2018/12/26 訪問)
expoでテンション上がったので、ご近所の小机城址へ再登城。
駅からは反対側、鶴見川沿いの自転車道からお城全体画像をお届けします。
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2018/12/27 19:49
危険だよのパイロン。 (2018/12/09 訪問)
「寺尾城」に行きました。
神奈川県には寺尾という名前のお城、川崎と横浜にそれぞれあります。今回は川崎です。
団地の近くの「菅馬場谷森林保存地区」辺りになります。
遺構は分かりませんでした。城跡の案内板もありません。
台地の下から登って上は団地。団地を建てた時に土地の整備をされてしまったのかな?と思いました。
今年は猛暑に台風、大変でしたね。この「寺尾城」も斜面工事(台風の影響かは不明です)や進入禁止の場所があります。
来城の際は気をつけて下さいね。
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2018/12/27 18:27
主郭部 入口 (2018/12/27 訪問)
小さな社があります、沖縄では神聖な場所。
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2018/12/27 18:24
神聖な城 主郭部 (2018/12/27 訪問)
初めての沖縄、最初に来た所がここです!
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2018/12/27 17:55
磐城平城一夜城プロジェクト (2016/10/01 訪問)
いわき市制施行50周年記念事業の催しとして、本丸跡地で行われた
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2018/12/27 17:36
大館城 (2010/06/27 訪問)
磐城相馬街道の街道歩きに立ち寄りました
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2018/12/27 17:18
史跡資料館は平成31年2月完成 (2018/12/27 訪問)
かつては美濃取りのための一時的な居城と思われていましたが、近年の発掘調査等で本格的な城と城下町が形成されていた事が分かってきました。話をややこしくしてるのが信長が岐阜に移って廃城になった事と、徳川家康が小牧長久手の戦いで陣城として再整備したことで信長時代の遺構が分かりにくくなっている事。要衝ゆえの運命ですが、一つずつベールを剥がすべく研究発掘されている関係者の方々の力と情熱を感じます。
特に南面の大手道は安土城を彷彿とさせる直線道で信長イズムを存分に感じると共に、天正時代には大手道を土塁で区切り要塞へと作り直した家康の戦にかける意気込をも体感できる貴重な遺構だと思います。
また小牧山天守より金華山(岐阜城)が良く見え、信長の美濃攻略の意気込みを視覚的にも感じられます
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2018/12/27 16:44
松江城のことなら松江武者に聞け 「天下一優しい松江武者ガイド」参上! (2018/12/26 訪問)
松江城にはボランティアガイドともう一つ、松江観光協会が主催する「松江時代案内人」というガイドがあります。天下一優しいガイドをモットーに、松江開府の祖堀尾吉晴公や松江城のこと、時代背景、縄張りや石垣のこと国宝になったきっかけなどなど、楽しく優しくご案内しています。楽しいですよ!!詳細は観光協会のホームページにて予約も可能。
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2018/12/27 06:25
続日本100名城スタンプ82個目 (2018/12/16 訪問)
3年前の2015年12月に訪れた時は、この城の素晴らしさに感動したものだったが、今回は同じ12月に訪れたのにさほどの感動を覚えなかった。原因は笹が伸びてきて藪化してきてしまっていることにありそうだ。それでも熊本城を凌駕する数の門、桝形の連続は圧巻である。主郭を越えて上部に石垣を備えた竪堀群もしっかり鑑賞。熊城攻略は次回の楽しみにとっておくことにして、献血ルームへと赴いた。御坂城、要害山城と寒風の中に長時間、身を置いていたため、身体が冷え切ってしまっていて、献血ルームの看護師さんにはご迷惑をおかけしてしまった。献血後に藤村記念館に赴いてスタンプをゲット。
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2018/12/27 02:10
しっかりとした土塁と空堀が魅力的です (2018/11/30 訪問)
城址は現在は、神社になっています。
東別府神社の境内が城址です。
神社になっているということは、よくても案内板か碑がある程度なのかと思っておりましたが、いやいやそれは誤解でございました。
城址である境内に近ずいてきますと、そこを囲む空堀が見えます。
これがなかなかはっきりと残っていて雰囲気があります。
また、境内は土塁が囲んでおり、これもしっかり残っています。
しっかりとした遺構が、居館タイプの城跡だってことをわかりやすく案内してくれておりました。
なかなか雰囲気があって良い城址でしたよ。
駐車場は特別はないので東別府神社の境内に停めさせていただきました。
さっと見学できる広さですが街中で見るには十分な遺構でした。
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2018/12/27 00:04
2018/12/26 23:25
小松城跡にある岡太神社の御朱印 (2018/11/14 訪問)
小松城の所には現在は「岡太神社」になっています。
この神社の御朱印を頂きました。
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2018/12/26 23:05
ブランド牛だけじゃない! (2016/12/11 訪問)
蒲生氏郷の築城で「松坂(現松阪)」という地名もその際に氏郷が名付けたそうです。今やブランド牛の名で世界に名を馳せることになるとは夢にも思ってなかったでしょうね(笑)。ちなみに氏郷は、ご栄転先、会津の黒川も「若松」と改めたことで知られていますね。江戸時代の松坂城は伊勢なので藤堂家が城代でも置いていたかと思ったら、南伊勢は紀州徳川家の所領で同家の城代が置かれていたそうです。紀州一国+南伊勢約18万石で俗に紀州55万石とのこと、勉強になりました。お城ですが、櫓や門など建造物の遺構は全くありませんが、「平成の松坂城石垣修復」という一大事業で足かけ16年、総事業費11億円(!)かけて修復整備した立派な高石垣と本丸以下、主要な曲輪はその姿を残しており、城郭遺構としては十分楽しめます。また、城代を補佐する「城番」という役職の人が住んでいた「御城番屋敷」という屋敷群が三の丸だったエリアに現存しています。国重文ですので、まず城南面の高台から眺めた後、ぜひ一緒に見学を。
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2018/12/26 21:13
松茸シーズンは入山禁止 (2015/05/01 訪問)
3年前のGWには長野県上田を拠点にした1泊2日のお城巡りを敢行して来ました。
その際武田信玄も北信濃攻略や対上杉謙信の拠点として使用したとされる塩田城を訪問。
松茸の取れる私有地との事で、秋のシーズンは入山禁止になっている模様ですが、それ以外の時期もある程度奥に入った場所から先、立入禁止の札が沢山あって、どうやら期間関係無く山上の方にある遺構は残念ながら見学出来ない様になってました。
(おそらく松茸の生育に良く無いからかと思われ。。。仕方ないね(汗))
立ち入る事が出来るのは登りの緩やかな地域までなのですが、それでも立ち入り禁止区域の手前には結構な規模の石垣群が見られます。
ここは自然と同化して、個人的にはものすごく好みの場所で御座います。
緑が多く湿度の高い場所なので、夏場は藪蚊と藪化が凄そう・・・しかも蛇も出そうな雰囲気ありますので、松茸シーズンを回避しなければならないとなると、やはり12月下旬・丁度今頃から3月くらいの訪問がベストかと。
しかしこの時期、雪の可能性もあり、しかも路面凍結の危険もあるので、訪問にはくれぐれもご注意下さい。
(GWの訪問ではちょっと緑が多過ぎた感がありましたので)
車で真田郷を見学に来られる方、ついでにちょっと足を延ばして、ここ塩田城や、村上vs武田の合戦場・上田原古戦場にも立ち寄られてはいかがでしょうか?
(地元の観光PRみたいw)
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2018/12/26 19:36
高坂さんのお宅はこちらですか? (2018/12/16 訪問)
「高坂氏館」は東松山の高済寺にあります。
お寺を正面に見て左手に高い土塁があります。土塁の上に説明板が見えたので登ってみました。
「加賀爪氏累代の墓」とあります。
本当に高坂氏の館跡か?遺構は他にもあるか?と探検開始しようとしました。が・・・、
お寺の中から御経が聞こえ、喪服の方々がいらっしゃいました。
ここで、お城見学を中止しました。
もしかしたら土塁はお寺の中からではなく外側からの方がよく見られるかもしれません。
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