丹波亀山城を調べていたら、リアル謎解きイベントを実施しているのを知りました。
せっかくなので併せて攻略!
城内も近辺も対象エリアなので、近隣散策も出来て1日楽しめました。
また、再来年の大河ドラマに決まったこともあり、町全体で盛り上げている様子がわかりました。
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2018/10/28 17:52
リアル謎解きイベントやっています (2018/10/28 訪問)
丹波亀山城を調べていたら、リアル謎解きイベントを実施しているのを知りました。
せっかくなので併せて攻略!
城内も近辺も対象エリアなので、近隣散策も出来て1日楽しめました。
また、再来年の大河ドラマに決まったこともあり、町全体で盛り上げている様子がわかりました。
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2018/10/28 17:46
人工的になってしまった・・・ (2014/04/23 訪問)
初めて訪問したのが2014年の春
この時はえらい土塁祭りのお城だなぁ・・・って思わず笑ってしまったものですがw
2017年のGWに再訪した際に愕然と・・・
土塁が自然の土盛だったのが、いらぬ手が加わって妙にとんがった土塁に大半が変えられてしまいorz
(ものすごくカクカクしてましたw)
せっかく自然の形状が好印象だったのに、いらぬ所に手付けすぎで一気につまらなく。。。
(同様に同県南にある小田城もw)
名胡桃城と同様にお城ブームにかこつけて整備しすぎて面白くなくなってしまったお城、今後増えなければ良いのですが・・・
あまりにも角ついた土塁を見て、キングコングニーやチェーンで削り直ししたくなりますww
近くを通る道が筑波山に通じていて、お休みの日は付近の県道14・41・42・214号が混みますので、車で北・東側を迂回して目指したほうが無難です。
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2018/10/28 17:33
登山可 (2018/10/27 訪問)
雨上がりの翌日、登山道がぐちゃぐちゃかと思いきや、登山道の多くはセメントで固められた道で「スニーカー」が汚れることはなくよかった。急な狭い道とゴツゴツ岩が多いですが、「登山ポール」片手にゆっくり歩けば往復 難なく踏破可能。でも、登山道に城跡の痕跡は全くありません。健康のための低山登山。
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2018/10/28 16:48
リバーサイドキャッスル (2018/10/27 訪問)
高坂駅徒歩圏の住宅街にある高済寺。お寺を囲むように土塁が残っています。川(リバーサイドパーク)側には大きめの堀もありました。川からは人ではなく水が攻めてくるので、ここの土塁は堤防の役目を果たしていたのではないでしょうか?
松山城攻めでは北条氏政の陣城になったという記録があります。新編武蔵風土記稿の高済寺の縁起には「四方を土塁に囲まれ、堀もあるのでおそらく陣屋跡。北条家臣の高坂刑部の陣所だったという説もあるが、どこから出た話か知らない」というようなことが書いてあります。
道路側の土塁は発掘、整地したばかりの様相でした。周辺は宅地開発が進んでいるようなので、もしかしたら次に行った時にはこの眺めはないかもしれません。
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2018/10/28 08:40
ほとんど復元 (2018/10/28 訪問)
ほぼ観光地化してますが一部、当時の石垣、土塁、堀あります
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2018/10/28 08:34
2018/10/28 07:36
表の顔と裏の顔がおもしろい (2018/10/21 訪問)
バスツアーの最後は岡崎城。
いわずと知れた家康公生誕の城です。
東海道が通っているため、
参勤交代の西国大名は
必ずこの城を眺めながら江戸に向かいます。
そのため、
西から見たときの城が一番見栄えが良いように
設計されていたそうです。
城内には空堀から様々な種類の石垣があり、
時代の変遷がよくわかります。
訪れた日は七五三の参拝者やポケモン(?)のイベントで
多くの人で賑わっていました。
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2018/10/28 03:00
まさに秘境 (2018/10/27 訪問)
肥後菊池氏の末裔、旗本の米良氏が治めた地。
現在は小川地区の民俗資料館、その裏手に宿泊施設があり、この2カ所に当時の石垣が見られる。
施設内はよく整備されており、駐車場近くにはお食事処も(食べてませんが是非…)。トイレも新しく綺麗でありがたい。
城の手前を流れる小川川が大変美しい。
少し遠いが、西米良村中心部にある歴史資料館もおすすめ。
・アクセス
高鍋、西都方面から車で40kmほどの川沿いの道を山奥へ進んで行く。
土砂崩れや狭い道が多いので、観光の際はそれなりの覚悟が必要。
警笛鳴らせの標識、生まれて初めて見た。
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2018/10/28 02:12
2018/10/28 02:00
高所恐怖症の人は,ヤバイよ² (2018/10/27 訪問)
標高295m,比高260m(公式)。本丸からは,西側に日本海,東側に長岡市内を眺望できます。本丸は威圧感のある切岸で周囲を遮断しており,尾根筋を南下すると,出丸として機能していたという物見山砦があります。物見山砦からは南西側に柏崎刈羽原発を眺望できます。また,本丸と物見山砦の間の尾根筋には7つの堀切が存在するとのこと。2つは発見でき,そのうちの1つはイイ画像が撮れました。
アクセスルートは,新潟県道23号線から「西山連峰入口」で峠道に入り北上。車1台分ほどの狭い舗装路をしばらく登ると,右側に「物見山砦登城口」,左側に「二田城登城口」があります。ここも,山城ガイドブックに取り上げられてもイイぐらいの城郭だと思います。
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2018/10/28 01:12
2016.9.4登城 (2016/09/04 訪問)
和歌山駅でレンタサイクルを借りて、国体道路を南下、紀伊寺駅付近で国道42号に入り、橋を渡った和歌浦口にある津屋公園(城跡山公園)が雑賀城址となります。
遺構らしい遺構はありませんが、主郭跡に妙見堂があり、参道が整備されています。
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2018/10/28 01:10
2016.9.4登城 (2016/09/04 訪問)
JR和歌山駅の東側に来迎寺があり、太田城址となります。
街中の平城の宿命から、遺構らしい遺構はありませんが、解説板と立派な石碑が設置されています。
また、秀吉が水攻めを行った城で、秀吉の築堤跡が周辺に残っています。
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2018/10/27 21:23
ダニ (2016/06/21 訪問)
小谷城は京極家の譜代家臣から北近江の戦国大名となった浅井家三代の居城です。小谷山南筋に展開する広大な城域は、実に戦国大名の居城らしい縄張りです。織田信長公の妹、お市の方と浅井三姉妹 お茶々(豊臣秀吉の側室)お初(京極高次の正室)お江(徳川秀忠の正室)が暮らした城としても有名です。
北陸自動車道長浜ICから約20分。山麓にはWC等完備された無料駐車場があります、山腹には5~6台分(もっとかな)駐車できる駐車スペースがあります。
今更になりますが、6月の梅雨の季節が一番ダニが増殖するのだそうです。自分も太股の付け根、タマタマの横をガブッとヤられました。市民病院に行き切開して頂きましたが、タマタマの横の切開はちょっと恥ずかしい思いをしました。
皆様も環境の整ったと思っている山城に行くときも、ハーフパンツ等お薦めできませんm(_ _)m
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2018/10/27 20:34
本日、播州三大城制覇!(←遅) (2018/10/27 訪問)
行こうと思えば行けたのにも関わらず、なぜか今日まで行くことがなかった英賀城。
秀吉による播磨平定を語る上で欠かせない重要なお城ですね。
あ、ちなみに、播州三大城とは小寺氏の御着城、別所氏の三木城、そしてこの三木氏の英賀城なのです。
本丸跡の石碑近くにある復元縄張図をみる限りかなり広く感じますが、現地を訪れると改めてその広大さを実感できます。
港近くに本丸、二の丸などの主要な曲輪群を配置し、後になって城下西方に英賀御坊が築かれると寺内町としての要素もプラスされ、土塁と堀で町をぐるりと囲んで総構が築かれ、さながら巨大要塞都市の様相を呈していたようです。
石山本願寺や毛利方の関係がかなり強かったことから、どうしても織田方との対立は不可避であり、結果として三木城が陥落すると英賀城も次いで陥落してしまいました。
現在は大部分が住宅地となってしまい、本丸などの中央部はほとんど面影もありません。
唯一、英賀神社北側に僅かながら立派な土塁が残っています。前述の復元図から推測するに、英賀御坊の北側の総構の土塁の一部のようです。
その土塁の北側に公園があり、なぜか中央に模擬石垣がありました。何の説明文もありませんでした。前述の復元図から推測してみてもこの場所は総構の堀のあたりでは??…個人的には記念碑的なオブジェととらえてます(笑)。
あと、総構の城門の跡や英賀城関連の石碑が町のあちこちに立てられてるのはとてもありがたいですね。
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2018/10/27 18:31
2018/10/27 18:22
蕨城址公園となっています (2018/10/27 訪問)
京浜東北線蕨駅西口から徒歩で10分弱。
蕨城址公園として市民の憩いの場となっています。
江戸時代には徳川家の鷹狩御殿として使用されました。
神社池が水堀の跡のようです。
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2018/10/27 17:11
2018/10/27 14:45
被害甚大 (2014/04/20 訪問)
まだお城めぐり始めて間もない頃、八王子城を頑張って見学した際に管理棟の関係者様からすぐ近くに支城があると聞いて訪問
駐車場が無い為(車を停められるスペースも無さそう)、JRor京王線・高尾駅からバスでの訪問が宜しいかと
(バスの本数が意外に多い・・・行先はバラバラですが、ほぼ小田野城近辺まで行きますので、最寄りのバス停をご確認下さい)
最初の訪問では解説版の場所等知らず、また雨上がりの影響で斜面で思いっきり転倒し、ズボンが泥だらけになるという被害甚大でw
テンション下がって早々に敗走したという苦い思い出がorz
同年夏に再訪し、しっかりとリベンジ攻略を果たしました(苦笑)
遺構はと言いますと、地形はそれっぽいものの、これ!と言えるものは曲輪と切岸くらいで・・・それほどの物はありません
観栖寺台公園にある解説を確認し、その脇にある入口からお城をざっと見学し、北側山裾沿いに降りてトンネル脇の標柱を見て終了・・・ってところでしょうか
ここから徒歩圏内に、武田氏滅亡時に逃れてきた武田信玄四女・松姫が一時匿われていたとされる心源院があります(解説等はありませんが、お寺内に松姫座像があるとの事・一般公開はされていない模様)ので、一緒に見学されると良いかもしれません
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2018/10/27 11:18
2018/10/27 07:21
河内との国境に近く、東高野街道を見下ろす軍事的拠点 (2018/10/14 訪問)
長藪城は、標高約347mの城山に東の城かL字形の尾根上約600mに渡り、西の城、出城と3ヵ所の拠点が設けられ、堀切などで遮断されている!
かなりの規模で、戦国時代に大幅な改修を受けたと考えられますね!
所在は、橋本市城山台です!
城山台の地名の由来は、この城山から来ています!
長藪城は、楠木正成の家来で、しばしば手柄を立てた牲川左ヱ門頼俊は、南朝が衰え千早城が落ちると十津川に逃れた!
その子の義春になって、伊都郡に入り、長藪城を築いたと伝えられています!
そして、義春は守護畠山氏に仕え、その子義信の時は河内国の一部も領したという!
義信の子義則の時、近畿一円を支配下に治めつつあった松永久秀に攻められ、1558年にたまらず長藪城を退去、同城は松永氏に奪われてしまいました!
しかし、義則の子義次が1560年に松永方を攻めて長藪城を奪い返したと云われております!
だけど、これらは伝承で、残念ながら史実かどうか確認されておりません!
長藪城のように、東の城、西の城、出城と二つ以上の城郭が、城山という一つの城域内に含まれるのを「別城一郭」の城といい、和歌山県下で同様の形式を持つ城としては、海南市の大野城、湯浅町の広城が有名で、長藪城とともに、規模の大きさから畠山氏の主要三城とされております!
尾根続きから敵に攻められるのを絶つため、堀切を施し、郭への虎口は狭く複雑にして、敵の一気の侵入を防いでいます!
また、堀切に続いて堅堀を設け、敵兵の山腹斜面での横移動を制限しているのが特徴です!
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