吉川広家、やったな
(2016/07/24 訪問)
関ヶ原の合戦は小早川秀秋の裏切り、黒田長政や藤堂高虎の根回しが西軍の敗因とされる事が多いですが、実際一番効いたのが吉川広家が家康の背後を付かせない様、エンドレス弁当タイムで毛利家を押し留めた事って言われてます。
そのくせ毛利家は減封され、広家は毛利輝元から面会謝絶されたとか。。。広家、やったな(バスサンド風にw)
そんな残念な広家君が初代藩主となった岩国藩のお城が岩国城。
自分はこの日三原駅⇒広島駅⇒広島バスターミナル⇒郡山城⇒広島バスターミナル⇒錦帯橋前・・・と、ほぼバス旅でお城攻略してました。。。バス移動だけで4時間以上かかってます(汗)(注・もちろんバスサンドでは無いw)
錦帯橋入口から有料区間になっており、手前で錦帯橋通行料(往復)、岩国城のロープウェー(往復)、等のセット券を購入し、城域に参ります。
ロープウェーの駅から岩国城まではそれなりに山道を登りますが、途中にお城関連の史跡(井戸とか石垣とか)が見られます。
登城路が2本ありますが、行き帰りで別の道を通って遺構の確認をしましょう。。。両方に見所ありますので。
ちなみに今ある天守は模擬天守で、中は資料館のようになってますのでちょっと物足りないのですが、実は天守より更に奥にリアルな石垣遺構(天守台とか苔生した石垣の堀とか)があったりします。
なので天守だけ見て引き返さない事をオススメ致します。
麓には岩国藩吉川家の菩提寺・永興寺があり、累代当主関連の墓所がありますが、ここでも残念な広家さん、お墓が山の上にありまして(ーωー;)
岩国城の見学で予定時間を大幅に過ぎていた為、山上のお墓を見に行く時間が無く、残念ながらスルー致しましたw
もし再訪する機会があれば真っ先に残念な広家氏に合いに行きますかね(⌒∀⌒;)
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