西からの国峰城の入り口は、最近ほとんど使われている形跡がありませんが、近年の石造物や半分廃墟の仏堂があります。
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2019/01/27 19:40
西出丸からさらに西の稜線 (2019/01/18 訪問)
西からの国峰城の入り口は、最近ほとんど使われている形跡がありませんが、近年の石造物や半分廃墟の仏堂があります。
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2019/01/27 18:45
優しい城址 (2019/01/27 訪問)
駐車場があり行くまでの案内と城址の中のコース案内がありとてもわかりやすい。また、見所もありますのでおススメです!
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2019/01/27 18:01
密かに建つ石碑 (2019/01/27 訪問)
一度通り過ぎてしまいました、逆から行けば直ぐにわかったんですね。
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2019/01/27 17:58
今切城登城 (2019/01/03 訪問)
篠原神社が跡地
篠原神社は周りより1だん高くなっている‼️
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2019/01/27 17:20
2019/01/27 17:17
民家の中に城址の石碑 (2019/01/27 訪問)
完全に普通の民家の庭に城址の石碑があります、個人で建造した感じです。庭には入らず遠くから撮影しました。
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2019/01/27 16:59
徳島城登城 (2019/01/27 訪問)
久しぶりにいってきた‼️
やっぱり石垣かっこいい‼️
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2019/01/27 16:16
公園にある石碑 (2019/01/27 訪問)
住宅街にある公園入口に城址の石碑があります
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2019/01/27 16:10
城址の石碑 (2019/01/27 訪問)
ゴルフ練習場の駐車場入口に立っています
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2019/01/27 16:10
雪降ったのかよ~(汗) (2019/01/21 訪問)
月曜日に衝動的に出掛けた長野県、本命は松本ではなく諏訪大社でした。
松本駅滞在90分でお城見たあとは茅野駅まで戻り、時短の為にタクシーで諏訪大社上社本宮へ。
参拝後、歩いて上社前宮を参拝後、ここから隣接する干沢城に登る事に。
電車の車窓から近辺が白く見えていた為、まさか雪降ったの?と思いましたが、タクシーの運転手さん曰く、ほんのちょっとだけ降ったとの事だったので、登場には影響なかろうと思ってました。
駄菓子菓子、旧鎌倉街道沿いにある登城口に着いてみると。。。誰も登った形跡が無い為か、他の場所は雪溶けてしまって問題無かったのに、干沢城の道がしっかり雪残ってて・・・
滑る恐怖を味わいながら攻略しました(冷汗)
(注・よゐこはマネしない様にw)
途中道が倒木に遮られる等、登ってはいけないのでは?と思いつつ、次来るの大変だ。。。とケチケチ根性で進みましてw
登城口から一旦大きめの空堀まで進み、左手三の郭・右手二の郭の場所からは主郭方面へ。。。主郭へ向けては段曲輪になってました。
鉄塔のある二の郭まで来てしまえば雪も無くなっていた(日が当たるので雪解けしたと思われ)ので、サクサク見学出来ました。
松本で見てきたお城(松本城はスルー)にはほとんど遺構が無かった為、ここでお城らしいお城を見れてスッキリしました(^ω^;)
干沢城はそれ程高い山でも無いので、登りの疲労は殆どありませんでしたが、雪で滑るのと猪出没エリアということで気にしていた分、メンタルはちょっと疲れたかな~w
ここから武田vs高遠の合戦場・安国寺に寄りつつ最寄り駅・茅野まで歩いて45分くらい(直線距離はは2.5kmくらいですが、川や高速道路を超える必要があって遠回りになる)かかりました。
茅野駅ではレンタサイクルがあるらしいので、それを利用すればもっと効率良く史跡めぐり出来るかもしれません。
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2019/01/27 16:03
説明板 (2019/01/27 訪問)
空堀の所に立っています
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2019/01/27 15:00
戦国の面影を残す山上ノ丸へ。 (2019/01/26 訪問)
山上ノ丸は、吉川経家時代までの城郭を、豊臣秀吉の命で宮部継潤が入城して石垣で固めるなどの大改修を経て、関ヶ原の合戦後に池田長吉が入ってからも改修を加え、現在までに残る縄張となったようです。
戦国期から堅城として広く知られていたようで、それが所謂『鳥取城渇え殺し』につながることとなるのですね…。
山下ノ丸からは約20分の登山です。
八幡宮跡を過ぎてからは結構な険しさの山道が続きます。流石は戦国時代から評判の堅城、易しい筈がありません。加えて雪解けで足元は滑りやすく、ぬかるんでるところもあります。今の季節、特に御用心を。
なお、中腹には宮部時代の石垣や戦国期のものと思しき平坦地、江戸から鳥取を三日三晩往復した伝説を持つ狐様を祀る祠などがあります。
山頂の本丸跡と出丸跡の石垣は、荒々しくも想像以上に立派なものでした。やはり山下ノ丸とは全然違って、どことなく戦闘的な雰囲気を色濃く感じます。
ここからは秀吉本陣の太閤ヶ平跡がある本陣山が目の前に。吉川経家、どんな思いで見てたでしょうね。
本丸跡の大井戸跡は池田長吉時代に3年もの歳月をかけて掘られたのだとか。山城の、しかも本丸の水源となると、その重要性は察して知るべし。関ヶ原後も豊臣はまだ健在なので、このあたり微妙な情勢の中で実戦を想定した緊迫感が伝わります。
天守跡からは、市内はもとより、360度パノラマ遠望です。日本海や砂丘もよく見えます。
ちなみに今残る天守台の上には、宮部継潤が築いた三層の天守が建っていたそうですが、後に三階部分の傷みが激しかったのか、池田長吉によって二層に改められました(おそらく望楼型天守?)。こけら葺きか板葺きで、穴蔵があり付櫓から入る形式だったようです。が、それも後に落雷によって焼失してしまい、以降は再建されることはありませんでした。
ここから太閤ヶ平跡に向かうハイキングコースがあるのですが、今回は時間の都合上断念。一泊二日なら絶対行くんやけどなー…
山下ノ丸へ戻り、復元された城門を潜り、仁風閣へ。
ここは元々、江戸時代後期に藩主の未亡人(この時、まだ17歳だったそうです…)となって落飾した宝隆院を慰めるために建てられた扇御殿のあったところ。
今は美しい庭園と宝隆院が特に愛した化粧の間(宝扇亭)が当時の面影を残しています。
仁風閣もオススメです。大正天皇が皇太子時代に宿泊したことと、『仁風閣』の名付け親が東郷平八郎だとかで有名かと思いますが、明治以降の藩主一家はこちらに居を構えたそうで『扇邸』と呼ばれていたそうです。仁風閣の内部そのものも必見ですが、明治以降の池田家の激動のファミリーヒストリーも紹介されています。
なお、鳥取城の詳細がわかるパンフレットも無料で配布されておりますので、是非ゲットしてみて下さい。
この後、鳥取城の鎮守だった長田神社→池田家菩提寺で庭園が美しい興禅寺→鳥取東照宮→見事な庭園がある観音院→鳥取市歴史博物館を見て、お土産と駅弁のかに寿司(画像撮り忘れた…)を買ってフィニッシュとしました。
鳥取を再発見できた、良い旅でした。
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2019/01/27 13:47
難攻不落の城へスタンプリベンジ行軍❗ (2018/11/03 訪問)
10月初めに攻城の際、台風禍により登山が禁止されていたほか、月曜日で施設休館のためスタンプは日本城郭協会公認の事前押し切り貼り式の紙の無人配布などと当方の攻撃はことごとく退けられた。
この日はリベンジの攻城。ちいさなスタンプ紙はないことはないが、満足いくはずがない‼️山城ってしんどいから好きくないのに燃えてしまっている。。。
さてさて、佐柿は小浜から半時間ほど東にある美浜町にある地域で、元奉行所跡地に若狭国吉城歴史資料館が建っている。この日は入館無料で事前にしっかり歴史を勉強しスタンプゲット。缶バッチもいただいた。
國吉城は丹後街道椿峠を見下ろせる位置にある。麓に居館があり、有事の際は山城に籠って戦う典型的中世山城。若狭武田氏の配下にあった粟屋氏が築城し、主家の衰退等により若狭を狙う朝倉氏の度重なる攻撃を退け続けた難攻不落の名城。
朝倉攻めの際、信長、秀吉、家康と三傑が揃って迎えられ出陣したことでも知られている。
居館跡を横目に綴れ織りの道を進むと伝二ノ丸の案内が出てくる。更に進むと本丸址に出る。
本丸では、晴天にたなびく幟がよく映える。先に見える若狭湾は御食国(みつけくに)の名の由縁となる漁業資源の宝庫。
今の丹後街道国道27号がはっきりと見える。当時もこのような状況だったのだろう。とにかく、眺望が素晴らしい。
城自体では、石垣、堀切、土塁、食い違い虎口などが残っている。斜面は急だが、遊歩道がしっかり管理され、あと○○mといった案内も多くあり大変親切だ。
是非天気の日に登っていただきたい美しい城だ。
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2019/01/27 13:32
富士見市の富士山。 (2019/01/26 訪問)
日本列島、インフルエンザと大寒波の襲来ですね。みなさんの所は大丈夫ですか?
私の住む東京の端っこはカラカラ北風がビュービュー吹いてます。
なので整備された「難波田城」に行って来ました。無料の資料館、駐車場あります。
鎌倉時代に金子氏が難波田の土地を与えられ住み始めたようです。
後、扇谷上杉氏の重臣になった難波田 憲重さんは武蔵松山城や深大寺城の城主も勤めます。
「難波田城」手入れが行き届いている公園です。
きれい過ぎる城跡です。
入れ違い虎口や曲輪の説明板、木橋の復元、難波田の歴史イベント等々、現地の方に大切にされているのが分かります。
帰り道、富士山が大きく見えました。
私の住む街にも「富士見」とつく場所がありますが富士山の頭しか見えません。
風が強いので雲が流されきれいに見えました。
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2019/01/27 12:06
池田家三十二万石の意地!まずは山下ノ丸へ。 (2019/01/26 訪問)
鳥取城…およそ20年振りの再訪です。
本日のお目当ては仁風閣裏の旧宝隆院庭園と復元された擬宝珠橋。
お天気は…積雪はないものの強風と時折降る霰。あまり良い天気とは言えませなんだ。
鳥取駅から一回100円で乗れる循環バス(←3つのルートで運行してますので要チェック!使いこなせたら超便利そうです)で約5分ほどで城跡へ。
もちろん最初に向かうは擬宝珠橋。やはり木造の橋は美しいですね。お城に来た!って実感がいよいよ湧いてきます。ここから本来の登城ルートに従って進みます。
石垣修理中の中ノ御門跡から太鼓御門跡にかけては現在整備の真っ最中。完成はまだまだ先でしょうが、完成すればかなり雰囲気が変わるでしょうね。楽しみです!
天球丸下の楯蔵跡もよく整備されてました。ここからは例の巻石垣を見ることができます。
表御門跡を抜けると二ノ丸跡。藩主の御殿があったということで、政庁があった三ノ丸や現在仁風閣がある扇御殿跡に次いで、流石に広いです。
二ノ丸は久松山の尾根を大規模に切り崩して造成したそうで、石垣もここから採取したとか。そんな関係で二ノ丸奥には石切場も残っています。
三階櫓は山上の天守が焼失してからは実質的に天守の役割を果たしていたそうです。櫓台を築く際に女中のお左近さんが手水鉢を寄進したという逸話もあり、今も西角にあります。ここからは鳥取市内を一番よく望めますし、城下からお城を見たときにほぼ中心に櫓台が見えます。まさにベストポジション。
標高はここまでですでに40m弱。尾根の切り崩しが如何に大規模だったかもよくわかります。
なお、二ノ丸の裏御門跡より西側は幕末になって増築されたエリア。石垣の積み方(特に反り)が違うのも見どころですが、登り石垣まで築かれています。幕末に築かれたものとしては唯一の遺構とのこと。
三階櫓といえば、山下ノ丸の最上段にあたる天球丸跡にも存在し、こちらは三層の多聞櫓のような外観だったようで、その跡も美しく整備されてます。
そしてここから、いよいよ山上ノ丸へと向かいます。
すみません、まとめきれないので続きます…m(_ _)m
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2019/01/27 10:11
大和絵障子。 (2019/01/26 訪問)
鳥取城→市内の寺社巡りのついでに寄ってみたら、思いがけない出逢いが。
2019年3月24日まで、鳥取市歴史博物館やまびこ館にて企画展『用瀬-MOCHIGASE-』での展示品の中に、なんと用瀬の大安興寺に伝わる景石城の大和絵が描かれた障子が数点展示されておりました!
当初、全く立ち寄る予定がなく、あくまでついでだった(当然、何の予備知識もない状態でした…)ので、これには驚いたというか、食い入るように見てしまいましたね。
金箔を用いたかなり華やかな画風なので、おそらく応接用の部屋(広間?)を飾っていたのでしょうか…。
他にも景石城に関連する資料が数点展示されていました。
この企画展自体、思ってた以上に見応えがありましたね。何となく立ち寄って正解でした。用瀬の皆さん、すみませんでしたm(_ _)m
なかなかレアな展示かと思われますので、ご興味のある方、是非!
ってか、いつか現地に行ってみたい…!
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2019/01/27 07:51
登り石垣 全国5例目 (2019/01/25 訪問)
標高90mは程良い高さで食後の運動で軽く登れる。 本丸の石垣群、天守台跡からのパノラマ景色が素敵。
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2019/01/27 07:43
平田城跡は愛宕山公園になってます (2019/01/23 訪問)
愛宕山公園の展望台が平田城跡の主郭。 動物公園には新たにポニー広場出来てます。
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2019/01/27 07:38
銃・罠によるシカの捕獲期間中 (2019/01/23 訪問)
ちょうど銃・罠によるシカの捕獲期間中。 万一の誤射が恐くなって入山せずに撤退。
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2019/01/27 07:32
満願寺城の攻め口が分からず (2019/01/19 訪問)
満願寺の前まで来るも、案内看板も見つからず、裏山に入る攻め口も分からず、ウロウロきょろきょろ不審者に思われ通報されそうなので撤退。
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