みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

小城小次郎

洲本城

続100名城だが、そもそも100名城に選ばれなかったのが不思議なくらい。天守台の上に天守台を作っちゃったのは賛否あるとは思うが、あの天守はあの天守で私は好きだ。

+ 続きを読む

くろもり

お城にお参りへ (2014/04/13 訪問)

投稿日の今日、3月13日は上杉謙信公の旧暦での命日(天正6年3月13日)です。
旧暦の命日を現在の新暦にすると1578年4月19日が命日になります。

後北条氏から上杉氏の養子となった上杉景虎公は、旧暦の天正7年3月24日が命日で、新暦にすると1579年4月19日。

御館の乱で景虎公を破った景勝公は、旧暦の元和9年3月20日が命日で、新暦にすると1623年4月19日。

不思議なことに新暦にすると4月19日が三公の命日となります。

命日には少し早かったのですが、新暦4月13日に三公に縁のある春日山城へお参りに行きました。

丁度、桜が咲いている時期で、実城(本丸)跡にはたくさんの人が桜の写真を撮っていましたが、桜よりも上杉三郎(景虎)宅址の石碑の下に、真っ赤な薔薇の花が一輪手向けてあったのが印象に残っています。

私はやはり謙信公となってしまうのですが、景虎公を想う方もいるのだなと思うとともに。三ノ丸屋敷跡の説明にある「今、春日山城の中で最も注目を集めている所である」の説明は本当なのだと実感しました。
※小説『炎の蜃気楼』の主人公が景虎公なので、そのファンの方が薔薇を手向けていったのだと思います。

+ 続きを読む

尾根を断ち切る三重堀 (2019/01/16 訪問)

東西を川が浸食した急峻な凝灰岩の山体。獣避けの柵から尾根までの道は不明瞭だが、石だらけの浅い谷を行くと藪化してないので、直登可能。柵の入り口は方々にあるが、北西麓の民家の間を進んで、コンクリートの階段がある先の入り口が良い。

+ 続きを読む

降雪の合間に登頂 (2018/12/28 訪問)

東郭に人が住む寺があり、墓地もあって、良く手入れされているが、寺の裏手になる本丸北側の姫の郭方面は藪。搦め手側に降りていくと小鹿が路にたたずんでいて、目が合いました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

ポケモンGOの方達、見上げてくださいな。 (2019/02/17 訪問)

少し前に城跡巡りとは言っても遺構が消滅して看板ばかり写真に写してた不完全燃焼日の最後に行ったのが「片倉城」でした。
「片倉城」以前、駐車場が満車で城攻めできませんでした。
今回も相変わらず人気の「片倉城」。
駐車場は運試しみたいです。お城の神は一台分、空けておいてくれました。
たくさんの方が携帯を見つめています。ポケモンGOの方達です。

扇谷上杉氏の家臣、長井氏が築きます。その後いろいろあり、北条 氏照さんが滝山城の城主になると「片倉城」は滝山城の支城となりました。

国道16号から「片倉城」に入った時は分かりませんでしたが、公園の中の小高い山を登ります。
木橋があり、なんとなく滝山城に似ているように感じます。
空堀、土塁もあります。

ポケモンGOのみなさん、携帯で目が疲れたら山を見上げてください。「片倉城」で癒されます、、、?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

浸食のされ方がへんなお城 (2014/05/10 訪問)

GWをずらした為、金曜日に千葉県柏市のお城に行ったのですが、1日で予定していた場所全然回りきれず・・・次の日も同じエリアを訪問しw。。。訪問したのが増尾城。
実は金曜日道に迷ってたどり着けなかったっていうのもあったんですが(汗)

東武アーバンライン増尾駅から徒歩20分程で増尾城に到着。。。増尾城は城址公園になっていますが、ものすごく暗いですw
木の葉の生い茂り方が半端無い為、太陽の光が届かなかったんですよね・・・曇りの日だったらより一層暗かったのでは。。。

肝心のお城ですが、予想外に高い土塁が印象に残ってました。
改めて写真を見て思い出したのですが、堀底道や虎口等が良形で残っていました。

こうしてupする際に写真見直して、改めて再訪したいと思える場所は意外と多いです。


南東側が芝浦工大付属高校・中学を造る為に整地されたのは解るんですが、南西側のゴルフ場等が増尾城址公園に不自然に食い込んでいるのを見て、変な浸食され方しているな・・・と改めて思いますw

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

平馬

水戸城跡 (2019/03/13 訪問)

御三家の城跡!ですが…ほとんど学校の敷地になっているので当時の面影は薄いですが、空堀が当時の凄さを物語っています!二の丸展示館に水戸城の模型があるので分かりやすいと思います。大手門は復元中でしたが弘道館、杉山門、坂下門、薬医門と見どころがあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

白桜

高岡の石垣と堀 (2019/03/13 訪問)

水堀を間近で見れます!

+ 続きを読む

城密集地帯甲賀 (2019/03/12 訪問)

甲賀忍者屋敷の近くです。
古琵琶湖層の粘土質が、急斜で重厚な土塁を可能にする。
新宮支城は、野性動物捕獲用の罠が仕掛けてあるので、表示を良く見て近づかぬように。

+ 続きを読む

todo94

国史跡大内氏遺跡 (2019/03/09 訪問)

続日本100名城の大内氏館と共に大内氏遺跡として国の史跡に指定されている築山館です。八坂神社の境内の一角にL字状に土塁が残っています。

+ 続きを読む

にのまる

青春18きっぷ1回目 (2019/03/08 訪問)

群馬・栃木・茨城あたりは「18きっぷ」発売を待って行くことが多いです。浮いた分でグリーン席を確保して(結局チャラなんだけど)、景色を眺めたり本を読んだりしながら過ごすのがささやかな楽しみ。爆睡していることもよくありますが(^_^;)

北新波砦は箕輪城とセットにしたいところでしたが、時間と強風と花粉の都合によりこの日はここだけにしました。
張り出しを持つ75m四方の曲輪跡です。

1566年、信玄さんにより箕輪城が落城した際に長野氏も没したそうですが、1576年に勝頼くんが家臣に所領を安堵したとの記述もありました。1576年といえば前年長篠で大敗を喫し、これが武田氏没落のキッカケとも言われていますが、実は敗戦処理も領地拡大も見事にやってのけていた勝頼くんの黄金時代。まぶしいぜぃ☆彡
隣接する満勝寺の屋根には武田菱がありました。なんか関係ありそうです。

437年前の一昨日(3/11)、天目山で果ててしまった勝頼くん追悼ウィークの前哨戦でありました。
私はこれだけで大満足ですが、皆様方におかれましては箕輪城または桜の時期の高崎城と一緒にまわられるのがよいのではないかと思います。または倉賀野城で石碑だけを上手に撮ってみるのにチャレンジとか。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

て,て,て,点がない! (2019/03/10 訪問)

関沢神社から自分が描いたコースで,比高約30mを登るっていう散策となります。私は,主郭の東側をえぐるようなルートで登城しました。関沢神社に向かって右回りのルートです。西側の堀切はヤブっていて散策を断念しました。花粉の飛散量,半端ないです。ホントは西側から下山したかったのですが…。本丸には,表札が掲げられてました。よく見ると“城”の字に点がなくて,しばらく固まってしまいました…。
なお,すぐ近くの関沢ふれあいセンターはチェックのしがいがあります。ここには,周辺から出土した板碑群が,石碑の脇に並べられています。倉庫らしき壁面には,案内パネルが貼り付けてあります。マイカーで来られる方はここに駐車できますョ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

あきおこ

竪堀が放射状に伸びる山城 (2017/12/29 訪問)

北条の城で竪堀が山頂の郭から放射状に麓に向かい伸びる凄い城。
縄張り図を見てすぐに行きたくなりました。

年末の18切符を握りしめ神奈川へ。

JR橋本駅北口から、神奈川中央交通・橋1 三ケ木行きに乗車、
津久井湖観光センター前で下車。20分で到着。
こちらには広い駐車場もあります。

バス停横の山が津久井城のある山です。

遊歩道が麓に整備され途中から登山道に分岐します。
登山道は複数あるようです。
遊歩道沿いには山頂から伸びると言われるトバ堀が整備されています。

登山道は1泊2日の装備を背負い登った為か、息があがりました。

荷物無しなら苦もなく登れる整備の行き届いた道だと思います。
私の足で山頂まで30分くらいでした。

山頂には郭群があり曳橋のあったといわれる堀切、土塁のある郭群などが
ありますが、主郭下の連続桝形がある部分は立ち入り禁止となっていました。(2017年12月29日現在)

竪堀の堀底道が、そのまま登山道になっているところもあり楽しめましたが
全体的に竪堀のある場所は藪化している所が多く、楽しみにしていた竪堀群を
体感することなく散策終了。やや消化不良の登城となりました。





+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

二俣城に行くならここもセットで (2014/12/06 訪問)

AM2:00に家を出て、新東名を大声で歌いながら(←眠気覚ましの為w)はるばる二俣までやってきました。
もちろん本命は二俣城だった訳ですが、事前に近くにお城があるかどうか確認したところ、すぐ傍に鳥羽山城がある事を知って立ち寄りました。

二俣城から天竜川沿いに細い道を南西に進み、広い駐車場を見つけそこから登ったのですが、実は南の主郭に近い所にも駐車場があった模様(しかも登りがそちらの方が少なかったw)。

朝二俣城では霜も降りる程寒かったのに、駐車場からお城までの道は草が生い茂っていて進み辛かったです(汗)


主郭まで来てビックリ、二俣城にも負けていないお城がそこには有りました(驚)

山の頂上に平坦地を設け、その周辺を石垣や土塁が囲むという、山城では珍しい(個人的にはw)居館タイプのお城になっております。
どこまでが現存の石垣なのかは不明ですが、今まで見てきたお城の中では上位の部類に入ると思われるお城です。

迎賓機能を備えたお城との事で、枯山水庭園跡も見つかっております。

北西に造られた展望台からは天竜川の絶景・・・と言いたいところですが、結構背の高い木が多く、枯れ気味にも関わらず遠くが見辛い残念な展望台になってました・・・一部遠望が利いたのでギリギリセーフかなw


本丸から延びるローラー滑り台がありましたが、そのNG見本が笑えます(そんな体勢で滑るヤツおらへんやろw)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

甲賀の城密集地帯に踏み込んだ (2019/03/12 訪問)

和田城と支城六つと公方屋敷跡を廻り、城はいずれも丘程度で単郭に近いが3時間ほどその辺りにいました。古琵琶湖層の粘土質で切岸が立ちます。土塁も重厚に仕上がってます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

メディカルセンターに生まれ変わった! (2019/03/09 訪問)

埼玉県の「土呂陣屋」に行きました。
初鹿野家の陣屋です。
武田 信玄さん、勝頼さん二代に仕え、武田氏滅亡後は家康さんの家臣になります。

住所の場所は「彩の国東大宮メディカルセンター」でした。
初鹿野さん、ずいぶん体に優しい近代的な陣屋を築いたんだな~ってボケている場合ではありません!
工事現場と駐車場の誘導をしている方に「土呂陣屋」を訪ねましたが分からないとの事。
メディカルセンターは4年前に出来たと教えてもらいました。
んっ!工事している所、土塁に見える気がします。
目が城跡を欲しているのか、ユンボが掘っている所が遺構に見えてしまいます。

地蔵堂と説明板はなくなったと思い、探しませんでした。「お城を探す」の地図を見たら、少し離れた場所に移築されているみたいですね。

ちょっと淋しいお城巡りでした。

+ 続きを読む

モト

すごい!本格的な遺構が残る城址です。 (2019/01/29 訪問)

栃木県の城址では評判の高い黒羽城、訪問しましたらなるほど高い評判に納得の遺構が残ってました。
私としては特に印象に残ったのは空堀です。
まずは入り口から入った付近から見える左右にある空堀です。
本丸を囲むようにある空堀はこれぞ城址の空堀といった雰囲気です。
また、先を進み本丸から曲輪を仕切りる堀は深く迫力満点でした。
本丸は公園になっていましたがちゃんと囲む土塁が残っていました。
本来は三の丸、二の丸とかなり大きな城だったようです。
今は本丸しか残っていない黒羽城ですが、その本丸の遺構はきれいに残っておりました。
ぜひ、ち栃木県の城址でおススメの1つです。

隣には松尾芭蕉の館があり芭蕉の銅像も建っておりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

二度目の当選 (2019/03/09 訪問)

城びとメールマガジンご登録キャンペーン、当選いたしました。頂いた書籍は「日本史1000名城」税抜き2800円のすごく立派な本です。これに載っている1000城、全制覇を目指して頑張ります。(ちなみに昨年7月、「続日本100名城」投稿キャンペーンにも当選して近ツーの10000円の旅行券もいただいています。)その「日本史1000名城」にも載っている霜降城。標高250mということで侮っていましたが、4つの峰(前城、本城、後城南峰、後城北峰)を全て回ったのでかなり歩きでがありました。中の城も目指したのですが、かなり下ってもたどり着ける気配がなかったのでこれは断念。厚東氏が大内氏に敗れ廃城となったため、南北朝期の遺構が残る城とのことです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

前ちゃん

歴史は・・・ (2019/03/11 訪問)

石垣や庭園は再建時?

+ 続きを読む

前ちゃん

郡上をどりの城 (2019/03/11 訪問)

出来びと、山内一豊の妻・千代の生誕地

+ 続きを読む

ページ1789