三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康公、家康は駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目し、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原大地の東南端に浜松城を築城した。
家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。三方原台地の斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、更に東南に三の丸とほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法をとっている。
浜松城は代々の譜代大名がが城主となり、歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多い事から、出世城と呼ばれるようになりました。自分も歴代城主にあやかろうと、5回以上浜松城に登城しましたが未だに一兵卒で出世には無縁だということが分かりました。そもそも城主にならなければ出世も出来ないですよね((;_;))
浜松城公園には無料駐車場があり(休日には早く行かないと駐車は無理)、公園内には栗鼠も確認できのんびりするには絶好の公園です。
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