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todo94

えさし藤原の郷の近く (2019/05/02 訪問)

浄土ヶ浜レストハウスにて本州最東端到達証明書をゲットしてから、長駆、駆けつけました。釜石ジャンクション周りの三陸道、釜石道が開通して交通アクセスは便利になっていました。

広大な二の丸には嘗て御殿があり、復元図の看板が建っていました。古い時代の館跡であった本丸周りには空堀、土塁がめぐり、中々見栄えが良かったです。藤原経清、清衡の父子にちなむ二清院も建てられています。

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勝野武士

御影城=平野城。 (2019/05/04 訪問)

恥ずかしながら『城びと』を見なかったらおそらく知ることがなかったであろうお城です。
少し前から気になっていたので、花隈駅から阪急電車で御影駅へ。
そして、北口から出て少し西に歩くとキレイに整備された広場があり、そこに『御影城跡』の石碑がありました。

このお城は南北朝時代に赤松円心が家臣の平野忠勝に築かせ守らせたというお城です。
西に石屋川、東に池と湿地帯、北に山に囲まれた丘陵地を選んで築かれたようで、南には遠く山陽道と大阪湾を見下ろせるというのもグッドだったようです。

…私、ここでしくじってしまいました。
遺構なんて残ってないだろうと思って、石碑だけ見て引き返してしまいました。
や、実際遺構自体は残っておらず、場所もはっきりしてないようなのですが。

あとでいろいろ調べてみると、景色は宅地化などですっかり変わってしまったものの、東に湿地帯の名残だという深田池公園があったり、西に流れる石屋川もいまだ健在。
城跡推定地近くの御影北小学校の南側は切岸っぽくなってたりするそうで。
さらに、平野忠勝は打出浜の合戦(観応の擾乱の最初のほうの戦い)で足利尊氏・高師直方について敗れた後に帰農して(廃城もおそらくこの頃か)、地元の人々に農業を教える指導者として余生を送り亡くなったそうで、そんな彼の菩提寺として中勝寺が今もあるそうです。
なんてこった、知っていれば絶対行ってた…orz

ということで、またいつかリベンジしてやろうと思います。
石碑から西を見れば、立地的なところは何となく察する事はできますが…。

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スミヤキ

感謝!感激!群馬プレDC③ (2019/04/07 訪問)

城好きには堪らない、無料シャトルバスの運行サービスを利用した上州真田三名城を廻る行程は、岩櫃城から名胡桃城、最後は沼田城です。

沼田城は、利根川と薄根川の合流する河岸段丘の台地上に位置しています。二つの川側は、約70m 程の崖となっており、天然の要害です。
豊臣秀吉の小田原征伐後、沼田領は真田氏に回復、昌幸の嫡男信幸が治めます。この信幸により大改修と拡張が施され、段丘崖を背にした本丸を取り囲むように前面に幾重にも堀や土塁を巡らした梯郭式の、本丸に五重天守と三重櫓を持つ、近代城郭に変貌を遂げた平山城が完成します。雄大な素晴らしいお城だったと想像できますよね。残念な事に分家独立した沼田真田氏は、1681年に改易になり、翌年に城は全て破却されてしまいます。

現在城址は沼田公園になり、当日は桜まつりのメインイベントデーに重なり、老若男女沼田の人々全てが、公園に集まっているのでは、と思うほどの賑わいでした。城内の桜は、ようやく咲き始めた状態でした。さすがにこの日は、城好きには場違いな、浮いた存在と感じられ、早々に立ち去ることに。周辺の遺構を見て帰りました。城址から200m 離れた沼田小学校の正門は、当時沼田城の大手門があった場所らしく、冠木門が再建されています。また、水利に恵まれない沼田に新たに用水確保の為、二代信吉が自ら手掛けた城堀川の布積み石垣の遺構が、自身が眠る天桂寺横で見られます。

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長尾景仲 (2019/05/04 訪問)

 渋川駅より徒歩にて30分くらいで城址に行くことができます。
空堀が見事です。しかし農地になっている所もあり、また空堀も藪になっているところがあります。空堀だけでも整備すれば、もっといい城址になると思います。

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関東管領の城 (2019/05/02 訪問)

 崖の上に築かれた城です。土塁と堀の一部が復元されています。

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平井城の詰城 (2019/05/02 訪問)

群馬藤岡駅よりバスにて日野小学校前まで行き登城しました。バスの本数は少なく日に5本しかありません。
物見台を見た後、三の丸、二の丸、本丸へと散策しました。本丸南面に大石垣遺構と表示されていましたが、高石垣があるわけではなく大きな石の石垣がありました。自然石のような気もするがどうなのでしょう。井戸曲輪のある井戸跡はユニークで湧水ではなく運んで来た水もしくは雨水を溜めておく所なのでしょう。櫃岩方面へ進み櫓門の跡、大手門跡まで行きました。所々、石垣があり楽しめますが、下はゴルフ場で「ナイスショット」という声が聞えてくるとテンションが下がります。比較的整備されていい城址です。

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まーやん

令和元年最初の登城は…やはり京都から(笑) (2019/05/02 訪問)

立藩400年を迎える京都府南丹市園部では、
5/1に恒例の生身天満宮春祭り
5/2に船井JC(青年会議所)主催の「れきしクン」イベント
5/3には南丹市商工会主催の関連複合イベントと大変盛り上がりました。

5/1の夜は全国放送のゴールデン枠に林修先生のSP番組で「れきしクン」出まくってた翌日のイベントでワクワクでした‼️

まずはれきしクンと城下町探訪に。
3万石もない小藩ながら惣構えの様相を見せる園部城下を歩き始めてすぐにれきしクンが萌えまくり。
現況地図に古地図を合わせた資料を持って土塁跡や堀跡、不明(あけず)門や大手門跡、袋町跡など様々確認されました。さすがれきしクンだけあって、様々指摘や質問をされておりました。
スーパーマリオの元風景と言われる小麦山(現:小向山)の三層櫓が天守の役割を果たすことなど説明があり大変発見がありました。

後半はれきしクンと地元歴史家の方々とのテーマトークで大盛り上がり。
城主小出氏のことや、日本最後で唯一明治時代に陣屋から昇格し城となった経過などよくご存知で、鳥羽伏見の戦いで劣性となった際に天皇陛下をお匿いする役割を負っていたことなどもご存知でビックリいたしました‼️
最後は著書を買い求める聴衆で長蛇の列となり、いかに楽しい講演だったかを顕しているようでした。

会場は京都府立園部高校でしたが、本丸内に校舎を構えるだけあって理解があり、5/3は巽櫓を開放いただき、小出氏所縁の品々を見せていただきました✨

日本には数万ものお城がありますが、日本最後のお城で博物館併設の本城がなぜ脚光を浴びないのか不思議でたまりませんでした。
全国にも色んなジャンルで脚光を浴びるべきお城がまだまだあるはずです。
その町の人達が立ち上がり繋がったとき、れきしクンのような方に裾野を広げていただき、楽しく自慢できるものとなるのでは、と大変勉強になりました‼️

今回、ふとした繋がりから若干お手伝いすることがあり贔屓目に投稿しているようにありますが、私は決して業者の類いではありません。若者達の活動を知りほんの少し無償でボランティアをしていたのみです。
歴史を掘り起こし地域資源にしようとする現場を目の当たりにしましたので応援したく思っておりました✨気分を害される方がありませんよう祈っております。

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ぴーかる

赤穂城 (2016/06/26 訪問)

【百名城9城目】
<駐車場他>西と東に城の無料駐車場あり。 <交通手段>JR近畿1DAYパス

<見所>輪郭式縄張り・石垣・横矢・大石神社

<感想>JR近畿1DAYパスで明石城の次に来た。赤穂駅でまず大石内蔵助像が出迎えてくれる。駅から歩くと三の丸隅櫓が見える。三の丸には入らずに東へ、堀周辺を散策。船着き場、潮見櫓(海への物見櫓)、水の手門などなるほど海に面していたと見える造りの遺構をみて、大手門へ。大手門枡形は内枡形で立派。大石内蔵助邸跡横を通り、本丸を外周する。外堀・内堀共・隅櫓の代わりに横矢枡形が飛出ている形状で取巻いている為に星形のような形となっていて面白い。本丸門枡形も立派。内堀の本丸側は石垣の雁木ではなく土塁だった。天守は建てられなかったが天守台は立派で築城年代からみても元々私も不要と思った。一通り廻って、最後大石神社に参拝し帰路へ。帰路のJRでちょうど明石駅で架線事故で50分間停車状態に(@_@;)。まあ車窓から明石城が見れ、気が紛れたので停まった駅がまだよかった。

<満足度>★★☆☆☆

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たくわん

宇都宮城 (2019/05/03 訪問)

日本の名城双六に載っていた宇都宮城行きました。宇都宮駅観光案内所で行き方を聞いて行きはバス1番乗り場から馬場町下車。そこから1本道。ほどなく城が見えてきます。500メートルくらいで宇都宮城。帰りは歩き。駅まで30分弱。外から見るとそこそこ行けてます。中に入るとがらんどう。櫓の中は見学できます

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藤岡第一小学校 (2019/05/03 訪問)

 藤岡第一小学校が跡地です。土塁の一部を見ることができます。

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正蓮寺 (2019/05/03 訪問)

 正連寺周辺が城址です。ぼたん祭りで多くの人がいたのでさらっと見て退散しました。

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勝野武士

荒木村重、最後の抵抗。 (2019/05/04 訪問)

花隈城…私兵庫県民なのに、お城ファン歴25年以上にして何でか今回初めて登城致しました。
行こうと思えば行けたのに、ねぇ…。

花隈城といえば、荒木道薫こと村重が信長公に謀叛を起こし、有岡城を脱出して大物城に移り、大物城が陥落するとまた脱出して、ここで最後の抵抗をした場所であります。

築城年は諸説あるようですが、村重の件で落城・廃城になるまで10年前後しか存在しなかったようで、以外と短命だったようですね…。
そんな花隈城、六甲山系の大倉山から海岸近くまで続く丘陵地を利用して築かれた、いわゆる天然の要害だったようです。
地名の『花隈』もこの地形からきているそうで、元々は『鼻隅(ハナクマ)』と書いたんだそう。意味は「海岸に突き出た先(崎)」といったところでしょうか。
そういえば大物城もここ花隈城も海から近い立地です。
村重の有岡城からの脱出は、毛利の援軍を期待しての移動だったかもしれませんね。…まぁ実際は来ることはなかったのですが。
で、どんなお城だったかというと…古図『摂津花熊之城図』によると、花隈城の縄張は北から三の丸、二の丸、本丸と並ぶ連郭式で四方を切岸を造り、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓があったようです。そして東には侍町と足軽町、西には町屋を配置して守りを固めてたようです。規模にして東西約350m、南北約200m程だったと推定されているそうです。

さて、現状はというと、JR神戸線の高架沿いに高石垣が築かれています。ここが花隈公園(城跡公園)となっていますが、高石垣は全て模擬です。公園の整備方法に史実は何一つ反映されておりませぬ。
おまけに地下はなんと駐車場。しかも土日祝は最大設定料金の適用無しで15分100円。ク●高ぇ。
ちなみに、石碑と説明板(石製)が公園内にあります。

で、公園の周辺はというと、見事に都市化しており面影は何も残ってません。
強いて言うと、やはり地形でしょうか。公園の近辺はかなりの傾斜地となっており、高低差も相当あります。
あとは福徳寺門前の『花隈城天主閣之趾』の石碑も見ておきましょう。
福徳寺から南の花隈公園までが本丸だったようですが、同じ(推定)本丸にしては公園とは高低差がありすぎます。
個人的な推定ですが、本丸跡が福徳寺周辺とするならば花隈公園は本丸下段もしくは帯曲輪と思っているのですが、どうなんでしょう?地形自体が著しく削られてる可能性もありますからねぇ。

結論、城の遺構はほぼ無いに等しいのですが、公園の周辺を歩いてみると、当時のお城の姿が妄想できるかもしれませんよ??

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ふうちゃん

鉄道がお城を分断 (2019/05/04 訪問)

1枚目は、線路越しに小諸城の三の門を見ています。2枚目は、大手門です。線路の内側にあります。これはお城の敷地が鉄道に分断されているからです。同様のところは、長岡城、三原城、甲府城、福山城などです。鉄道を敷いたのは明治新政府ですが、これらの藩は、幕府側です。単なる偶然とは思えませんが。小諸城は、城下の一番ひくいところに城があると言う穴城です。小諸の場合、河岸段丘の上にある街道側を通そうとしたようですが、そこに住んでいる養蚕で生業を立てていた人たちが反対して城の敷地に通したという事情があるそうです。

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あつ

登山の先に癒しあり (2019/05/04 訪問)

ゴールデンウィークに行って来ましたが、人もまばらでした。野花や青紅葉がとても綺麗で、清々しく山城登山が出来ました。車を夢創館(スタンプ場所)近くの無料駐車場に停めて、本丸まで約1.5時間の登山。途中、可愛らしい猿石や絶景の国見櫓跡を経て緑綺麗な本丸へ。御神木の荘厳さに見惚れながら、帰りは壺阪寺方面へ下山。途中、五百羅漢さんを経由してツツジが満開の壺阪寺を拝観。そこから奈良交通バスで(320円)壺阪駅まで行き、駅から徒歩で駐車場まで戻りました。駐車場近くの街の駅でちょうど遅めのランチを食べました。レストランは駅の近くにもあまりないので、国見櫓跡か壺阪寺で持参したお弁当を食べている人達がいて、良いアイデアだと思いました。トイレは高取城にはないので、登山前にどこかで済まされた方が良いです。
高取城跡まではなかなかの登りでしたが、登った先の猿石や本丸の案内板を持つ木彫りのクマや、景色や新緑の木々に疲れが吹っ飛びました。最高に気持ちの良い山城登山でした!

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ふうちゃん

藩主居館の前でパチリ! (2019/05/04 訪問)

上田城には今まで3回行ったことがある。今回初めて藩主居館があった県立上田高校の正門前でカメラを構えていた。そこを通りかかった散歩中の卒業生のわたしより年輩の方がシャッターを押してくれた。愛校精神の固まりのような方だった。

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カルビン

面会謝絶(滝のような汗) (2019/05/04 訪問)

2018年の年始(1/4)に木曽福島に行ったものの、年末の雪が残っていて残念ながら木曽福島城の攻略は断念。
GW入ってから苗木城への期間限定バスが中津川駅から出ていると知って、今日に標準を絞って名古屋周りで苗木城再訪し、その足で木曽福島にもリベンジしに行ってきました。

流石に熊出没シーズンに入っている為、鈴×2装着してビビりながらお城登ってきました。

いくつかルートがあるのですが、権現滝側のコースは水が豊富な為か熊出没情報が多かったので、ちょっと遠回りではありますが、林道側より進み、途中から城山自然遊歩道に入って・・・だいたい木曽福島郷土館から30分強で主郭に到着。

木曽福島城は連郭式で、郭間に堀切のある山城です。

ただメインの郭は主郭・ニの郭・三の郭しか無く、堀切は2本だけ。。。それでも十二分に見応えがあります。

そして木材搬送用なのか竪堀なのかそのどちらもなのかは不明ですが、途中幾筋かの竪堀も見受けられました。


要所要所に熊避けの鐘(線路?を槌で叩く)がありますが、その説明がタイトルに関わる・・ちょっとリアルな内容ですw


しかし今日の山登りは暑くて辛かった・・・もう山城シーズンは終わりだな・・・と実感しました(ーωー;)

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あんらくごえ

初代藩主藤堂高吉は丹羽長秀三男、小藤堂と呼ばれた猛将 (2019/05/04 訪問)

藤堂高吉公の波乱万丈人生
丹羽長秀三男→羽柴秀長養子→藤堂高虎養子→今治2万石→蟄居→実子高次が嫡子に→名張5千石
悲劇的な人生を送りつつちょいちょい病気に掛かってますが92歳で大往生しています。本人の気持ちはともかく戦国→江戸の経て数多の大名家が滅亡、改易されていく中きっちり血筋を残せたのは結果的によかったのではないでしょうか?ちなみに藩主の諱を途中から高から長一字に変わっていたり独立騒動を起こすなど名張藤堂家は本家としこりがあったみたいです。
邸宅の中の資料でひときわ目を引いたのは藤堂采女着用伝の赤い甲冑です。高虎の兜以上にウサ耳度が高いです。写真撮影禁止なのが残念ですが、甲冑にも興味あるかたは一見の価値ありです

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あんらくごえ

大和大納言百万石の城 (2019/05/04 訪問)

天守台に登った時点で奈良の四方が見渡ました。天守台は復旧時の調査で豊臣期から補修等の手を一切加えられていない事が分かったそうです。野面積みの石垣の隅部は場所によって扇の勾配だったり直線だったりまちまちです。高虎プロデュースの部分は直線なんでしょうかね?天守台北側の本丸石垣がかなり孕んでいて盛り土で応急措置をしてあるみたいですが、こちらの復旧も必要なんじゃないでしょうか?

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あんらくごえ

蛸と蛸に乗った坊さまがお城を守ったって… (2019/05/04 訪問)

石垣以外は全て昭和復興の岸和田城です。とはいえ見事な石垣で野面積みは隙間が多いですが、特に孕んだ部分も無くしっかりしています。東面と北面に広めの犬走りが設けられています。

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いんげん丸虫

新庄館 宮城県栗原市 (2019/05/02 訪問)

堀、土橋、土塁が残ってます。
東側は東北新幹線のトンネルの上です。

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