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ぴーかる

長浜城・黒壁スクエア (2014/08/17 訪問)

【長浜城】
<駐車場他>城公園の南側にあり。 <交通手段>車

<感想>駐車場は2014年来城時は無料でしたが今調べるとコインPになっている模様。城の横の道路は20年程前までは湖岸道路と言ってましたけど、現在はさざなみ街道と言っておしゃれな名称になっていて車等で走行していると模擬天守が見えるのですぐわかります。この道路はキャンプ・ウインドサーフィン・夕日のきれいな絶景スポットでドライブもいいところ。今まで何度も横を通り過ぎていたが立寄ったのは初めて。当時の無料駐車場に駐車し、周辺を散策し、模擬天守の博物館、展示物はテーマ毎を期間で変えていてまあまあ良かった。当時は勉強不足もありどの石垣やその他のものが遺構かがよくわからなかった。その後駅を超えて黒壁スクエアの方へ。城の西側一帯は道を東西南北に細かく割って、秀吉の町割りの力の入れ方が現在でも残っておりそのすごさを感じた。黒壁スクエアのガラス館やガラスの工芸品のお店に寄って海洋堂フィギィアミュージアムに行った。

<満足度>◆◇◇

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Red☆53

10連休四国の城を巡る「脇坂安治の城」 (2019/05/05 訪問)

歴史的な平成から令和への改元の10連休を利用して四国の城巡りの帰路に突然思いついて立ち寄った城です。
車で登れるからと資料館で案内され,気軽に期待せずに向かいました。
ところが石垣が崩れる事無く多く残っていて,とても素晴らしかった。
山上なので海まで見渡せる景色が素晴らしい。脇坂安治もこの景色を見ていたと思うと感激でした。
私は山を登るのが苦手ですが,車で本丸近くまで登れて小さいながらも駐車場が2つ有り,本丸の真下に車を止めて5分も登れば天守閣です。
山城なのでトイレが心配でしたが,本丸への階段「本丸大石段」の横にありました。年配の方や子供でも心配なく登れるお城です。ただ…この時期は毛虫が大量発生しています。地面や壁にいます。要注意。

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真田の城 (2019/05/03 訪問)

 群馬原町駅より徒歩にて登城しました。以前来た時には「真田丸」の放送前で観光客も少なかったと記憶していますが、今回は多くの方が見学にみえていました。この城の魅力のひとつは空堀だと思います。横堀もよく残っていますし、竪堀も保存状態は悪くありません。ただ散策していると竪堀の中に倒木などがあり残念な状態になっているところ(海野屋敷方面)もありました。後ろが岩櫃山であり背後は、どのようになっているかと登って行くと「天狗岩」あたりまでは細い尾根道で一騎掛けのようになっています。周囲は崖であり、「天狗岩」の先も堀切のようにもなっていて守るに易く、攻めるに困難であろうと感じました。岩櫃山自体が岩山であり軍を布陣することも難しかったのでしょう。岩櫃城の東側には沢があり水が流れています。近くには水曲輪もあり、こちらが水の手で見ずにも不自由しなかったことがわかります。

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todo94

柳之御所資料館リニューアルの最中 (2019/05/02 訪問)

16年ぶりに柳之御所資料館に行ってみたらリニューアルの最中とのことで閉館していました。2021年に「平泉の文化遺産」ガイダンス施設としてオープンの予定とのことです。16年前に展示は見ているから良いとして、その当時はまだ発掘・調査・整備が行われていなかった柳之御所は今回が初めてです。グーグルマップにも便所遺構が表示されていますが、たしか資料館の展示に秋田城と同じような籌木(ちゅうぎ)が展示されていました。

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じゅんじん

令和最初の日 (2019/05/01 訪問)

桜祭りやってました。水堀が大きい。裏側の堀も広くあじさいが咲くときれいなんだろうな。

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じゅんじん

令和最初の日 (2019/05/01 訪問)

大手門が現存しています。ちょうどお祭りをやっていました。

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じゅんじん

令和最初の日 (2019/05/01 訪問)

復元?門が2か所あります。ライトアップしてるのかな?

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じゅんじん

令和最初の日 (2019/05/01 訪問)

山形県立酒田東高校になります。東面に土塁が残っており道路側に説明板がありました。それにしても立派な校舎でした。

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じゅんじん

令和最初の日 (2019/05/01 訪問)

山寺寄ってから向かいました。神社の御朱印行列すごかったなあ。

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宗春

鎌刃城 (2019/05/02 訪問)

道路には落石が多く、今も人を寄せ付けない城のようです。

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勝野武士

武庫川を望む小さな丘城。 (2019/05/05 訪問)

小浜宿を見たついでに寄ってみました。

JR新三田駅近く、国道176号線の大原交差点から東に入るとすぐそれとわかる地形に出くわします。
なぜか案内板も説明板もありませんが、その場所こそが大原城跡です。

比高約20m程の小高い丘陵の突端にあり、主郭の東に二の郭が並び、それを帯曲輪と水堀(空堀?)で囲んだという小さなお城です。
南西には武庫川が流れています。

この城の主であったという大原氏は、大原村と川除村の二か村を所領していた豪族であったそうです。
天正年間の初め頃に、摂津の平定を目指していた荒木村重によって攻められ落城した、ということ以外詳しいことはあまりわかっていないようです。

正直、あまり期待せずに行ってみたら、まずそのいかにも城跡って感じの雰囲気にまず驚きでした。
大半が竹藪と化してはいるものの、登城道の下には帯曲輪のような地形がしっかり残っていました。
そして主郭と二の郭を分けるように大堀切があって思わず「お~」と声が出てしまいましたw
そして主郭まで登ってみると、小さな神社があって、そんなに敷地自体は広くはないが櫓台のような高まりや土塁がしっかり残っていて、思ってた以上に良好に遺構が残っていました。
土塁の一部が凹んでいたのですが、おそらく大堀切の上を木橋が架けられていて二の郭と行き来出来るようになっていて、凹んでいる部分がおそらく門があったのかなぁなんて想像を巡らせる事が容易に出来ます。

どこへ行くにしても、正直行ってみないと実感なんて湧かないものなのですが、やはり行ってみないとわからないもんですね。
予想以上の収穫といいますか、一日の最後に充実感を得ることができた、そんな大原城跡でした。

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朝田 辰兵衛

本丸よりも狼煙台のほうが魅力的。 (2019/05/04 訪問)

狼煙が春日山から良く見えるように,眺望も開けています。8月の謙信公祭では“狼煙あげ”が行われますので,興味のある方はぜひどーぞ。
標高:143m,比高:約35m。登城口は,三の郭に通じる南東側登城口と,本丸から狼煙台の間の鞍部に通じる東側登城口がメジャーです。西側から尾根伝いに攻めるタフなルートもありますが,もうこの季節はおすすめしません。

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ぴぽぽ

遺構と曲輪、土塁、堀がみれました (2019/05/05 訪問)

武蔵境通りの1000円打ち止めの駐車場に車を停めました
神代水生植物園へ向かい城跡へ
城跡に向かう道は、上り坂、思ったより遺構は残っていました
一の郭からおりる階段を登ると草の陰に石垣が見えました
これが当時のものは不明ですが、最近のものではないような気がしました
お城は、隅から隅まで見てみると面白いなって思いました

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あつ

楠木正成について学べる (2019/05/05 訪問)

連休で最寄りの駐車場が満車だったので、金剛山ロープウェイ乗り場近くの府営駐車場に停めて、バスで二停下った金剛山登山道バス停で降りて、約600段の階段をひたすら登りました。(バスは2バス会社運行しているので、金剛山登山道口とロープウェイ間はそこそこ本数もありました。)金剛山登山客はものすごく多いのに、千早城跡を目指す人はほとんどいませんでした。帰りは裏道からまつまさ方面に下山し、名物の棚田米プリンをいただきました、あっさりしていて、喉越しも良く美味しかったです。
帰りに大阪府で最初に出来た道の駅、道の駅ちはやあかさかに寄り、地元の野菜とお米で出来た絶品カレーをいただきました。ものすごく可愛らしい道の駅です。
その道の駅に隣接する千早赤阪村立郷土資料館では説明員の方の詳しい解説により、楠木正成や千早城についてしっかりと学ぶことが出来ました。おかげで千早城跡見学が充実したものになりました。

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はどり

天然の要塞城 (2017/09/24 訪問)

日本五大山城、日本五大山岳城にも数えられている。

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赤い城

緑の桜があります (2019/05/02 訪問)

尼子十旗の一つ。
春は桜の名所にもなっています。
三刀屋川を自然の堀としています。
石垣が残っていますが江戸時代のものらしいです。
この季節、本丸からは山また山、緑も輝いていました。

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にのまる

栃木はかんぴょうだけじゃなくて生姜も名物だった!? (2019/04/21 訪問)

皆川城の帰りに寄りました。
小さな公園で、公園内と少し離れたところに説明板がありました。埋め戻されていますが発掘調査で障子堀が見つかったのだそうです。

すぐ近くの「岩下の新生姜ミュージアム」がインパクト強すぎでした。
入場無料ですし、栃木城とのセット訪問を全力でおすすめします(^^)

栃木城と西方城(←今日行った)の中間に「合戦場」という駅がありました。宇都宮氏と皆川氏が戦った(1523年、河原田の戦い)ところで、近くに合戦場郵便局や合戦場小学校もあり、升塚が残っているそうです。
合戦場小学校って、運動会の騎馬戦とかすごく盛り上がりそう!

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いんげん丸虫

鶴巣館 宮城県黒川郡大和町 (2019/05/02 訪問)

かなり藪の状態ですが西側、2曲輪3曲輪に大きく複雑な遺構が展開しています。今後、伐採され整備されることは無いと思います。観やすくなればもっと凄い城跡と認知されるはず。

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勝野武士

天然の地形を利用した寺内町。 (2019/05/05 訪問)

初めて小浜宿に行って参りました。
「おばま」ではありません。「こはま」と読みます。

明治時代以降に宝塚温泉街に賑わいが移るまで、ここが宝塚で一番賑わった場所でした。
西宮街道、有馬街道、京伏見街道が合流する交通の要衝であり、江戸時代には宿場町として明治時代まで大いに栄えた小浜宿ですが、そのルーツは16世紀前半までに成立していた浄土真宗(一向宗)門徒による寺内町に由来します。

小浜の寺内町は周辺よりも高くなった台地上に寺内町を展開するといった風に、地形を巧みに利用した町で、今でも大堀川沿いにその面影を見ることができます。
但しこの大堀川、何と人口の堀なんだとか。
道理で流路が自然っぽくないわけだ。
かなりの大規模な土木工事だったことでしょう。宗教の力、恐るべし。
そして北、西、南側をその大堀川がぐるりと巡り、東側には土塁と堀が守りを固めていたといい、東門跡周辺に僅かながらその跡が残っています。
また、北門跡には現在国府橋が架かっていますが、これは明治時代以降に架けられたもの。
本来は、小浜に北から入るには細く狭い『いわし坂』を通らなくてはならず、この辺りの大堀川はさながら深い谷のようです。
なるほど、所謂『小浜城』と呼ばれるわけです。

小浜の寺内町の中心は、小浜御坊の別名を持つ毫摂寺です。
このお寺の出身の娘が、後に豊臣秀次に見初められ側室として嫁ぐ小浜の方ですが、例の秀次事件によって六条河原で一族もろとも処刑されてしまいます。そしてその件に連座して小浜の町は焼き討ちされてしまうという、実に血生臭い歴史があるのです。

寺内町から宿場町への転換期はこのあたりからかもしれません。
元々交通の一大拠点で賑わっていたし、秀吉が有馬へ湯治に向かう途中に千利休に茶を点てさせた話もあるほど良質な水が豊富だった事もあり酒造りの名所としても知られていたそうです。
平和な世の中になり、いつしか物々しい防御の必要性は薄れていったことでしょう。

今は年月の経過と共に古い建物は姿を消してゆき、阪神大震災によって甚大な被害を受け、当時の面影はすっかり薄れてしまいましたが、町割りと町名は当時のまま。
当時の賑わいに想いを馳せながら歩くのも良いものですよ。

…なんか、『小浜城』じゃなくて『小浜宿』のレポートになってしまいましたねw

あ、マイカーで訪れるならば『旧和田家住宅』近くのコインパーキングが安いしオススメですよ。
但し道が結構狭いので、くれぐれも通行には気をつけて。

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赤い城

竹林寺から登城します (2019/05/01 訪問)

広島空港から車で15分くらい。竹林寺を目指します。
細い道ですが竹林寺の近くまでは車で行けます。
山門を下り、右手に行くと説明板があり、その脇から進みます。
土橋状の尾根道の向こうに本丸への道があります。
二ノ丸には井戸の跡があり、石積が残っていました。

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