蒲生氏郷の築城で「松坂(現松阪)」という地名もその際に氏郷が名付けたそうです。今やブランド牛の名で世界に名を馳せることになるとは夢にも思ってなかったでしょうね(笑)。ちなみに氏郷は、ご栄転先、会津の黒川も「若松」と改めたことで知られていますね。江戸時代の松坂城は伊勢なので藤堂家が城代でも置いていたかと思ったら、南伊勢は紀州徳川家の所領で同家の城代が置かれていたそうです。紀州一国+南伊勢約18万石で俗に紀州55万石とのこと、勉強になりました。お城ですが、櫓や門など建造物の遺構は全くありませんが、「平成の松坂城石垣修復」という一大事業で足かけ16年、総事業費11億円(!)かけて修復整備した立派な高石垣と本丸以下、主要な曲輪はその姿を残しており、城郭遺構としては十分楽しめます。また、城代を補佐する「城番」という役職の人が住んでいた「御城番屋敷」という屋敷群が三の丸だったエリアに現存しています。国重文ですので、まず城南面の高台から眺めた後、ぜひ一緒に見学を。
+ 続きを読む