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くろもり

【冬とお城】雪の鶴ヶ城 (2014/02/15 訪問)

会津の親戚の家に雪掻きの手伝いに行った時に、雪景色の鶴ヶ城を見て来ました。

北国の人には当たり前なんでしょうが、水堀の水が凍っているのを見た時は驚きました。

親戚に借りた長靴で散策しましたが、足場に不安を感じることはありませんでしたし、若い学生のカップルも厚手のスニーカーでデートしてたので、靴と寒さの対策さえしておけば、大丈夫だと思います。

帰りに興徳寺(こうとくじ)の蒲生氏郷公墓所に寄りましたが、五輪塔の最下部の地の石は雪で見えなくなっていました。「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心みじかき春の山風」の氏郷公の歌碑を見て、春が待ち遠しく感じました。

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にのまる

ジュストさまの障子堀!? (2019/01/14 訪問)

高槻市しろあと歴史館に芥川山城のスタンプをいただきに行ったらそこが高槻城址で、高槻城のものと考えられている矢穴のある石が鎮座していました。
高槻商工会議所は高山右近天主教会跡、永井神社は三の丸で、野見神社は右近に破壊されたけれど元和五年に復興されたとのことです。(周辺あちこちにある解説や由緒記より。)カトリック高槻教会の右近像も拝見いたしました。
高槻城址公園には城址碑やホンモノの石垣が少しばかりありました。街並みも城下町風で親和性をもってつくられた感じです。

そしたら一昨日、高槻城で障子堀が見つかったというびっくりニュースΣ('◉⌓◉’)
そういえば塀で囲まれて工事をしている広い場所がありました。何か建つのかなぁと思いつつスルーしてしまったのだけれど、発掘していたのか(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
高岡城(富山県)も独特の縄張りだったし、高槻城の色々が解明されると高山右近式が確立するかもしれない!?(「軍師官兵衛」で右近役だった生田斗真くんが「ありえない?アリエールでしょ」って言ってくれてる姿が目に浮かぶ^_^)

詳しくは「高槻城 障子堀」で検索すると出てきます。
明日(2/2)午前10時から現地説明会があるそうです。

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カルビン

面影無し (2014/12/12 訪問)

当時同じ日に栃木県の良質なお城を数多く散策していた為か、上三川城を見た時のガッカリ感が半端無かったです。
自然の遺構が全く無くなって、現代の手が入り過ぎて不自然さしか無かったので。

今写真見てみると。。。ま、同じ様なお城いっぱいありますよねw

恐らく場所が市街地内過ぎて、こういう改築しか出来なかったんだと今なら解る気がします。。。形を変えてでも残っている分、全然マシなんだって事が今なら解る気がします。。。(大事な事なので2度書きましたw)


そんな上三川城は居館タイプの、外から水堀・土塁に囲まれた、中心が曲輪になっているお城です。
土塁以外は水堀?も石垣?も現代風にアレンジされまくってますので。。。公園としては高得点な場所。。。と言う事でw

流石にここをメインで訪れるのは勿体ないですが、車での訪問であれば近場にオススメのお城多いので、バーター的な訪問が良いでしょう。

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チェブ

山の神に怒られちゃうよ。 (2019/01/05 訪問)

大石 定重さん築城の「滝山城」。
大石 定久さんの時代に北条 氏照公を娘婿に迎え、北条家の仲間入りをしました。(乗っ取られた方が正解らしいんですけどね!)
で、氏照さん大胆に大改修しました。

滝山街道沿いに滝山観光駐車場があります。
大手口から少し登ると虎口は確認できませんでしたが空堀、曲輪、馬出と見る所はたくさんありました。
第一印象は、もともとの山の形がわからん(苦笑)!でした。
ずいぶん、掘って盛って、また掘ってくれてます。
「行き止まりの曲輪」=袋のネズミの意味で氏照さんトラップにはまるのも楽しいですよ。

武田 信玄公が「滝山城」攻めました。
落城寸前で小田原方面に向かったようです。
氏照さん、あわてて「八王子城」を築城し、引っ越ししました。

大石さんと氏照さんの時代じゃ敵の攻め込む方向が違いますからね。

花粉症の方はもう少ししたら、辛いかも。って山城は、どこも辛いのか!!

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こるまろ

残雪の月山富田城へ (2019/01/27 訪問)

雪が残る月山富田城を登ってみた。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42460513/

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イオ

熊野水軍 (2019/01/27 訪問)

壇ノ浦の戦いでは源氏の勝利に大きく貢献した熊野水軍。その熊野水軍を率いて、秀吉の四国攻めや小田原攻め、文禄・慶長の役などで活躍した堀内氏善の居城です。しかし、関ヶ原の戦いで西軍に加わったことで所領を失い、今では城跡には全龍寺(後の新宮城主・水野重仲の菩提寺)が建ち、水堀の名残の小川が一部残るのみとなっています。

それにしても、赤木城と新宮城で写真を撮りまくったためデジカメがバッテリー切れになり、やむなくスマホで撮影してみましたが、ピンぼけだったり斜めになってたり散々です…。

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モト

さすが!国指定史跡、高い土塁でした。 (2018/12/31 訪問)

大宝八幡宮に城跡の遺構である土塁がありました。
八幡宮と周り一帯が城跡らしく、周りのあちこちにも城跡の碑がありました。
広い縄張りだったことがわかります。
八幡宮の入り口付近に土塁が登場します。
高さがあって立派な土塁でした。
これは、見所ある土塁だと思います。
土塁のある付近の地形がなんとなく空堀だったような感じはしましたが、はたしてどうでしょうか。
また、案内板もありますので歴史を学んで帰りました。

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イオ

水ノ手郭 (2019/01/27 訪問)

丹鶴城公園の駐車場から少し登ると鐘ノ丸、そして本丸に着きます。
新宮城の見どころといえば、本丸からの熊野川や熊野灘の眺望、そして隙間なく切り揃えられた切込み接ぎの石垣。赤木城の無骨な野面積みも見応えがありましたが、新宮城の整った美しさにも心惹かれるものがあります。

しかし、私が一番楽しみにしていたのは、何と言っても熊野川河畔の水ノ手郭で、本丸周辺をひととおり見て回った後は、鐘ノ丸を抜けて松ノ丸から水ノ手に降りる…つもりが、崖崩れにより通行止めとのこと。一応、皆さんの投稿で覚悟はしていましたが、まだ通れないようです(今年度中に復旧予定とも聞きますが…)。でも、迂回すれば見学はできるようなので、どうせ二ノ丸南西角の算木積みを見に行くつもりでしたし、もう少し回り道することにして川沿いから水ノ手郭へ。郭に入ってすぐのところに河原に降りる石段があるので、何となく降りていってみると…

川に面した石垣が高い! そして船着場がでかい!!

本丸から見下ろした時にはよくわかりませんでしたが、水面近くから見上げるとその高さ、大きさに圧倒されます。帰宅後、水ノ手郭は熊野川流域の備長炭を集積し、江戸などに出荷する拠点だったと知り、この規模にも納得しました。

水ノ手郭内にも立ち入り禁止の箇所がまだ多くありますが、迂回してでも来てみる価値はありますので、お時間があればぜひ。復旧前ならば、二ノ丸西側の観光用駐車場(無料)に駐めるのも良いかもしれません。

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hodaka

古代ロマンに触れられる史跡 (2018/03/29 訪問)

史料に記載がない神籠石系山城。構造自体は半島の影響を受けており、大和朝廷が築いたものと考えられてます。昭和中期に発見され自治体により保護、整備が行われ、現在では西門や版築が復元、往時の姿を見ることが出来ます。アクセスはよくないので、岡山駅でレンタカーを借りて行きました。ビジターセンターに駐車場はありますが、そこまでの山道は細く行き違いが厳しい箇所もあります。小回りの効く車で行くか、運転になれた方と行くのをおすすめします。
鬼ノ城は桃太郎伝説ゆかりの地でもあり、近くには同じくゆかりの吉備津神社があります。本殿が国宝に指定されており、落ち着いた雰囲気で、こちらもおすすめです。

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あるじ

松本城 (2019/01/13 訪問)

国宝はやっぱ、すごい。

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あるじ

小諸城 (2019/01/13 訪問)

懐古園も広いし神社もあった。

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あるじ

上田城 (2019/01/13 訪問)

桜のとき、また来たい。

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朝田 辰兵衛

V字の連続に萌え²ズキューン! (2018/04/28 訪問)

山城フェチにはたまらないV字の数々…<笑>。しかも,整備が行き届いています(続日本100名城らしくなく)。居心地の良さを感じ,いくらでもいれそうでした。唯一,石垣に石が見当たらないのはギモンでしたが…。
また,砺波市埋蔵文化財センターで,登城現地画像を見せると,日付とシリアルナンバーの入った“登城認定証”が付与されます。それと,手作り感たっぷりのかわいいステッカーも合わせて。

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にのまる

スタンプだけです。 (2017/01/14 訪問)

高槻市しろあと歴史館にスタンプを押しに行きました。
復旧の目処は立っていないとのことです。
ボランティアの方々が復旧作業をしてくださっているのだそうです。感謝しかありません。二次災害の起こらないことを祈ります。

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くろもり

雪の春日山城 (2014/02/11 訪問)

春日山駅から雪に気を付けながらゆっくり歩いて、35分程で大手道へ。

大手道は雪深く通るのが大変そうだったので、春日山神社へ。春日山神社から実城(本丸)への道は、地元の方が散歩をしているらしく、足跡がいくつかありました。足跡がない所を歩くと膝近くまで雪に埋まり難儀するので、足跡がある所はありがたかったです。雪国の山城の散策は大変でしたが、綺麗な雪景色を見ることができました。

雪山用の登山靴やレインウェア・防水の手袋等、装備をしっかりしていけば、比高はそれ程高くないので、普段山城に登っている方なら問題ないと思います。

一面の銀世界で座る場所がなく、本丸下の東屋の椅子も半分凍っているような状態でしたが、謙信公が同じような景色を見ていたのかと思うと、幸福感が五臓六腑に染み渡りました。

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刑部

城址がお寺さん (2019/01/31 訪問)

永福寺が城址です、お寺さんの駐車場をお借りして本堂を越えてずっと奥まで行くと墓地になります。おそらくここが主郭部と思います、この墓地の両脇はかなりの断崖になっており写真は断崖の最先端にあたります 土塁なのか少し土が盛り上がってます。後ろ堅固な城と感じました!

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刑部

天然の要害 (2019/01/31 訪問)

川と川の二股を利用した天然の要害、かなり堅固な城ですね! 諏訪神社迄の道のりも困難です。

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チェブ

突っ込み所満載の高月城と根小屋城。 (2019/01/05 訪問)

「滝山城」に行った時、観光エリアマップに「高月城」と「根小屋城」の名前がありました。
皆さんの情報でフワッと分かってましたけど、もしや見られるようになったのか?っと向かいました。

「高月城」はホテルの近くとあります。
実はホテル、何件かあります。
まさかホテルの名前が同名の「高月城」なんて・・・。
お城跡の「高月城」は私有地なので立ち入り禁止の看板がありますのでご注意を。
ホテルの「高月城」も廃城してますが立ち入りを見かけたら警察に通報とありました。
調べたら廃墟マニアのブログありますので、こちらメインで来る方もいるんですね。
ちょっと、いづらい感じなので「根小屋城」に向かいました。
前に来た事のある道でした。
崩落箇所があるので注意とあります。
私、以前にこの崩落箇所の情報で怖くなってやめた事がある!
「根小屋城」=「戸吹城」かーい!!!
またしても、諦めました。

「滝山城」に来た時は近くの「高月城」「根小屋城」、ちょっと違う覚悟が必要です。

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カルビン

本多正純預かりの地 (2014/07/31 訪問)

本多正純は徳川秀忠を宇都宮城のつり天井部屋で亡き者にしようとした・・・等の罪で佐竹藩に身柄預かりとなりました。
(実際にはつり天井部屋等は無く、権力争いのライバル・土井利勝(実は家康の近親だった説も)等に他の罪をねじ込まれてハメられたのが実状らしい)

佐竹藩では優遇されていた事・実際悪い事していないと訴えていた事が秀忠を逆上させ(やはり徳川秀忠は凡庸だったとこの事実から伺えるとの最近の研究結果らしい)、佐竹藩に命じて横手城に幽閉されてしまったらしいです。
結果その幽閉は生涯解かれる事無く、本多正純(とその息子・正勝)はここで没してしまいます。



戦国時代までは小野寺氏が支配していた横手城ですが、関ヶ原合戦では昵懇だった上杉氏に見方し西軍に付いた結果、津和野城預かりとなり、代わりに同じく西軍に付いて減封された佐竹氏が移ってまいります。
横手城にはその後近代の整備によって遺構は大きく消失してしまい、現在ある模擬天守も展望台と化している模様。
自分が訪問した際には既に時間切れで展望台閉まっていたので中は未確認です。

遺構の大半は失われましたが、地形を見る限りそれなりの規模のお城だった事は伺えます。
(横堀跡や帯郭跡・虎口跡等、おそらくそういう遺構があっただろう・・・という予測が出来る場所が多かったです)
一応土塁とか解る遺構も残っているので、訪問して損した感は全くありませんでした。

しかも横手城といえば本多正純のお墓がありますので(前振り長かったのはここにつなげる為w)
こちらもしっかりお参りさせて頂きました(むしろメインだったかも)


横手駅から歩いて散策するのであれば、先に本多正純(親子)のお墓見学⇒横手城、の順で回ると効率良いと思います。


本多正純のお墓のところには宇都宮城関係者(「よみがえれ!宇都宮城」市民の会)からの記念碑板がありました。
横手と宇都宮・・・本多正純つながりの縁はかなり太い様です。

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モト

柵に囲まれた中の城跡の碑 (2018/12/31 訪問)

町の一画に柵で囲まれた狭い場所があります。
その中に城跡の碑が建っていました。
囲まれたその場所は、なんとなくなにかあるなって雰囲気が漂ってます。
(そう感じるのは私だけ?笑)
少々土が盛られているような感じです。
これはきっと土塁の一部かなと。
(そう思えてしまうのも私だけ?笑)
小さい場所ながら柵で囲まれているがことで神聖な印象です。
(またまた思うのは私だけ...)
案内板を見ると、歴史でそこそこな堅城だったようです。
そんな城のきれいな遺構が残ってればなぁなんて思った駒城址でした。

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